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歯学の行方:感染症の歴史とそこから学ぶこと

月刊『日本歯科評論』では歯科界のオピニオンリーダーに時評をご執筆いただく「HYORON FORUM」というコーナーを設け,「臨床の行方」「歯学の行方」という2本のコラムを掲載しています.
本記事では9月号に掲載した「歯学の行方:感染症の歴史とそこから学ぶこと」を全文公開いたします(編集部)

谷口清州/国立病院機構三重病院 臨床研究部 部長

2019年12月,中国内陸部の湖北省武漢市に端を発した新型コロナウイルス感染症(Coronavirus Disease 2019:COVID-19)は,瞬く間に世界中に広がり,2020年7月28日の時点では世界中で16,521,620例(うち654,817例死亡)の確定患者が報告*1され,依然として増加傾向にあります.

これまでに見つかっているコロナウイルス

人間世界には4種類のコロナウイルス(Human Coronavirus:HCoV;HCoV-229E,HCoV-NL63,HCoV-OC43,HCoV-HKU1)が存在し,日常的に人に感染して風邪症候群の10~15%(流行期は35%)の原因となっています.これらはおそらく太古の昔にコウモリから何らかの中間宿主を経て人間世界に入って定着したものと思われます.

最近では,2003年に深刻な流行を起こしたSARS-CoV(Severe Acute Respiratory Syndrome Coronavirus)と,2012年に発見され2015年にかけて各地でアウトブレイクを起こし,現在も中東においてラクダから人への感染が持続し,渡航者で時折発生するMERS-CoV(Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus)は,コウモリが保有していたコロナウイルスがそれぞれハクビシン,あるいはラクダを介して人間世界に入ってきたものです.

SARSは,中国の広東省に初めて出現した時にはすでにヒト-ヒト感染の能力を備えており,人間の移動を介して世界に広がりましたが,発症初期は感染性が低く,発症後1週目くらいに最も感染性が高かったため,発症後の発熱がある患者を4日以内に隔離することによって人間世界から駆逐することができました.また,MERSは非常に濃厚に接触しないと感染しなかったため,地域でヒト-ヒト感染が維持されることなく,現状ではラクダから人間への感染症である“人獣共通感染症”であり,人間同士の濃厚接触があった際にヒト-ヒト感染が起こるのみです.

これらのウイルスはたまたま人間世界に入ってきたものの,まだ人には十分適応していなかったため定着できなかった,あるいは適応できるほど長期間の感染機会に恵まれなかった,ということです.

一方,今般の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は,発症2日前の症状のない時期から感染性があり,発症当日くらいが最も感染性が高く,そして感染しても無症候性例や軽症例が多く,またここからの感染伝播もあり,いったん消失したように見えた患者から再び検出されるなど,人間世界に定着するのに都合のよい性質を備えています.

ウイルスの歴史

歴史的に見れば,地球上で最も早く誕生した生命は微生物と考えられていますが,ウイルスがどのように発生したのかはよくわかっていないようです.少なくともわかっているのは,現在人に感染して病気を起こすウイルスというのは,もともとは他の動物を宿主としたウイルスだということです.

考えてみれば当たり前の話で,人類などはその祖先が地球上に現れてから100万年くらいしか経っていないわけですが,進化の過程からしても,齧歯類はおよそ6000万年前から存在しており,その頃から存在していたウイルスはこれらの動物に寄生して生存する以外に方法はなかったわけです.

実際,現在地球上には1,415種の病原体があり,そのうちの868種(61%)が人獣共通,最近の新興感染症の病原体175種では132種(75%)が人獣共通,すなわち動物から入ってきています.現在では人間の病原体と思われている麻疹ウイルスは羊から人間世界に入ってきたウイルスですし,インフルエンザウイルスは本来は野生の水禽のウイルスで,それらが人間世界に入ってきて定着したものですから,今回のコロナウイルスだけ特別なことが起こったわけではありません.

202009_歯学の行方_図

ヒトとウイルスの関係

ウイルスは別段人間に病気を起こすために存在しているわけではなく,基本的な生存原理に基づき,自分たちの生存と子孫を残すために存在しているだけのことです.そして,ウイルスというものは単独では増殖できず,他の生きている生物に寄生しない限り増殖できず,増殖したままでは感染した生物が死ぬか,あるいは免疫ができてその生物から排除されますので,次々と他の生物に感染していかないと生存できません.ウイルスは生物から生物に伝播していくことによってのみ生存できるのです.

あるウイルスが動物から人に感染したとして,最初はたまたまだと思いますが,感染した人を衰弱・死亡させるほど病原性が強ければ,このウイルスが他の媒介動物を介して他の人間に感染できるか,あるいは遺体の中で長く生存して,他の近寄ってきた人間に感染しない限り,このウイルスはここで絶えます.

一方,感染しても軽症で人間の活動性にあまり影響を及ぼさなければ,感染した人間が移動し他の人間と接触することにより,ウイルスは他に感染して生き残ることができます.そして,その感染を繰り返していけば徐々に人間に適応し,その勢力を拡大し,人間世界で生存していけるわけです.

もちろん,ウイルスは考えて人に適応したわけではありません.ウイルス,特にインフルエンザウイルスや今回のコロナウイルスはRNAウイルス(遺伝子としてリボ核酸(RNA)を持つウイルス)ですが,増殖時の転写ミスの修復機能を持たないため,人間に感染すると,増殖する間に多くの転写ミスを持つ変異ウイルスを生み出し,この中には,不完全なウイルス粒子で生存に適さないもの,増殖の早いウイルスもあれば,宿主の免疫から逃れられるウイルスなど,多くの異なる性質を持つウイルスが出てきます.それらのうち,生存に適したものが選択されているだけです.

人と人の距離が近くて感染伝播しやすい状況だと,ある人に感染して最初に出てきたウイルス,つまり増殖の早いやつは出てきた時点で近くに人がいれば,その人に感染します.その人から出た一番足の速いウイルスが次の人に感染すると,感染が繰り返される過程でどんどん増殖の早いウイルスが自然に選択されてしまいます.一般的には足の早いやつは病原性も強いことが多く,感染効率がよいことが多いので,感染拡大に拍車をかけることになります.

一方,人と人の距離が遠い場合には,最初に出てきたウイルスは行き場がありません.このようなウイルスは早々と死滅します.ゆっくり増殖して遅く出てきたウイルス,つまり回復しつつある頃に出てきたウイルスは,感染した人が移動できる程度に回復していれば,他の人に到達することができて生存できます.このような状況だと,増殖の遅い,どちらかというと人に深刻な症状を起こさない,つまり軽症例や無症候性例が多くて,人間と共存できるウイルスが選択されてきます.

このように考えると,今般のSARS-CoV-2はかなり人間に適応できていることが予想されます.

ウイルスとの共生

巷では「ウイルスと戦う」と言われますが,全く人間の勝手な解釈であり,今般のコロナウイルスもそうですが,ウイルス側から見れば,上述のように生存のための自然選択に身を委ねているだけであって,人と動物との接触が増加することによって,ウイルスは偶然人類という新しい宿主を見つけ,そして,人への感染を繰り返すことによって人に適応し,やがて人から人へ感染できるようになり,人間との共存関係を築くことによって新たな生存方法を見つけ出した,ということになります.

これまでも言われているように,動物との接触頻度を増加させるような環境開発,人から人への感染を助長する人口の密集,そして,それらの人が世界中を移動できることなどを含めて,新しい病原体が出現する原因は人間側にあります.

このような状況では,このウイルスを人間世界から駆逐することはもはや不可能でしょう.であれば,増殖の早いウイルスが選択されないように,地域での感染伝播を少なくすること,これによって感染する人を減らし,一定の割合で発生する重症者を減少させることを画策する以外に,方法はありません.

人間世界の一定数(おおむね60%とされていますが,まだわかりません)がこのウイルスに免疫,あるいは免疫記憶を持つと,おそらくウイルスはその生存のために人と共存できる程度に軽症となっていき,現在の人間世界のコロナウイルスのように地域に溶け込んでいくものと思います.

多くの人が免疫を持つのにどのくらいの時間がかかるのかはわかりませんが,感染する代わりにワクチンによって人為的に免疫を付けることができるようになれば,より早くそうなるだろうと思います.ウイルスのほうが人に近づいているわけですから,それまではウイルスを勢いづかせないように適度に距離をとってお付き合いしていくしかないだろうと思います.

参考文献
*1 Dong E,Du H,Gardner L:An interactive web-based dashboard to track COVID-19 in real time.Lancet Inf Dis,20(5):533-534,doi:10.1016/S1473-3099(20)30120-1


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