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【体験の形式知化】自己犠牲と向き合い、大切なものを見つめる。

自らの何かを犠牲にして、責任を持つ立場、及び責任を持とうとする姿勢を持つ方々全てに敬意を表します。ただ、これからの未来ある若者たちや、新しい何かを始める方々に伝えたいこととしては、自分のすべてを犠牲にして、仕事や、やろうと決めたことにのめり込んでは絶対にいけない。自己犠牲を払う時には、傷ついた自分を、癒やし、救えるように、大切な何かだけは、認識した上で、死んでも離さないように、ということだけを、まず先に伝えたい。

昔も今も、働き方、生き様を含めて憧れている大先輩がいる。その人はいわゆるスーパーマンみたいに、なんでも一人で出来てしまう、国内においても数少ない人材だと思う。そしてよく飲んだ時は、「できれば、俺みたいにはなるな」と口癖のように言っていた。当時はその意味がよくわからず、なれるものならなりたい、としか思えなかった。

今、その先輩と少し似たような立場になり、その言葉の重みがわかる。事業責任者として、自分が働く中では、どうしても一定の自己犠牲は必要だ。常に平等に与えられた時間の中で、その時々に応じて、取捨選択を判断する必要がある。何かを守る代わりに、自分の守りたいことをぐっと堪えることのほうが多いように感じる。責任を持つ者の責務であり、それを望んで、そうなったのだから、そこに不満はなく、まだ上を見つめて働き続ける覚悟だ。

ただ、自己犠牲を払うということは、どこかで自分の精神を傷つけていることと同義だと私は思う。精神を傷つけて、傷つけて、その傷を癒やす手段がないと、必ず人は潰れてしまう。そう思う。

有名な言葉として、死の間際になり、富や名声は色褪せていき、何も意味をなさなくなる。という言葉がある。そのとおりだと思う。富や名声だけでは、自分の心を癒やすことはできない。

俺みたいになるな、という事を誰かに私が言う機会があれば、必ず自己犠牲の話をしようと思う。ビジネスにおいても、また、何かに熱心に、真っ直ぐ打ち込むことにも、自己犠牲と向き合う時は必ずくる。その時、大切なものを再度認識して、必ず死ぬ気で、やることも、大切なものも守る覚悟で、そう臨んでほしい。

ただ、人生において、自分が何をすべきか、何を本当に大切にしたいのかは、自分で感じ、探し出さなければいけない。

それが、人生における最大の難しさだと感じるが、それを考えることから、決して逃げてはいけない。

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鹿(Shika)

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