ひらがなっていつ? なぜ? 生まれのか?
ビジネスに使えないデザインの話
ビジネスに役立つデザインの話を紹介していますが、ときどき「これはそんなにビジネスには使えないだろうなぁ」というマニアックな話にも及びます。今回は、ビジネスに直接使えなさそうな話です。でもおもしろいです。
ひらがなは漢字から生まれた
前回「アルファベットの誕生」について紹介しました。
アルファベットは、ヒエログリフの読める部分だけをつかって、ヒエログリフを使いこなせない外国人が、自分の名前などをあらわすために、工夫した文字が起源でした。これに似て、日本人が使うひらがなも、中国から伝わってきた漢字を日本語の音に割り当てて作った借字(「しゃくじ」。万葉仮名)が起源です。その誕生から現代のひらがなまでの軌跡をざっと辿っていきましょう。
借字(万葉仮名)の誕生は奈良時代
ひらがなの元は、奈良時代、漢字の音に日本語の音を割り当ててつくった借字(しゃくじ)(万葉仮名)でした。これが変化してひらがなになっていきました。
奈良時代っていつ?
奈良時代とは、日本の都が平城京(現在の奈良市)にあった時代で、西暦で言えば、710年から794年のあいだです。
万葉集っていつ?
つぎに借字の別名、万葉仮名にも含まれる「万葉集」っていつの時代に作られたどんなものでしょうか?
万葉集とは、7世紀後半から8世紀後半にかけて(だいたい奈良時代と重なる)編纂された、現存するわが国最古の歌集です。全20巻からなり、約4500首の歌が収められています。作者たちは、天皇から農民まで幅広い階層に及び、土地も東北から九州に至る日本各地に及びます。書名の由来は、「葉」は「世」すなわち時代の意であり、万世まで伝わるように(いつの時代にも伝わるように)という祝賀を込めた名前です。
借字
借字(万葉仮名)は、中国から伝わってきた漢字の音か訓を借りて、日本語を表記したものでした。つまり日本語が先にあり、文字があとから来た漢字をまずは借りて使って表記するようになったということです。漢字は元来、象形文字であり、ひとつひとつに意味があるわけですが、この意味を無視して、音だけに注目して、借りて使い始めたわけです(アルファベットに似ている)。
そのため、「山」を「也麻(やま)」、「なつかし」を「奈都可思(なつかし)」という具合に表記していました。
この借字は、万葉仮名(まんようがな)、男仮名(おとこがな)、真仮名(まがな)、真名仮名(まながな)などとも呼ばれます。
平安時代に入り、借字がひらがなになる
平安時代
都が奈良の平城京から京都の平安京に移り、鎌倉幕府が誕生するまでの焼く390年間が平安時代です。西暦だは794年から1185年まで。
平安時代に入り、借字は発達し、体系化され、ひらがなになっていきます。ひらがなは、女手(おんなで)とも呼ばれていました。それまでは文字は漢字であり、漢字は、主に男性によって公文書や学術のために使われてきました。しかしひらがなが誕生し、格段に使いやすくなったことで、使う人が増え、手紙、和歌などをしたためる女性が増えたため「女手」とも呼ばれてるようになりました。清少納言の『枕草子』や紫式部の恋愛もの『源氏物語』などが好例です。
枕草子
平安時代中期に中宮定子に仕えた女房、清少納言(せいしょうなごん)により執筆されたと伝わる随筆。「まくらそうし」と呼ばれいました。西暦1001年にはほぼ完成していました。
源氏物語
ご存知、紫式部がしたためた恋愛もの長編物語。文献初出は西暦1008年。光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた物語です。
ひらがなを一音一字に統一した「小学校令施行規則」(1900年)
現在のひらがなになるまえまでは、ひらがなの字体は複数ありました。つまり「あ」と読む文字はひとつではなく、いくつかあった状態です。明治時代に小学校が開設されますが、当初は複数あるひらがなの字体を小学校で教えていましたが、明治33年(1900年)になり、「小学校令施行規則」が発令されます。これによりひらがなの字体を統一することが決められました。このときひらがなを一音一字としました。ちなみにカタカナも同様に字体を統一しました。こうして、現在使われているひらがなとカタカナが一音一字に統一され、一般に普及してきました。
カタカナは何?
ひらがなで用は済むのに、なぜカタカナもうまれたのでしょうか。カタカナ(片仮名)の起源は、9世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちのが、漢文を和読するために、借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し付記したものです。
ひらがなとカタカナの違い
ひらがなとカタカナはだいたい同じ時代に生まれましたが、誕生の仕方(目的)が異なっていうます。ひらがなは、日本語を書き表すため、音を借用したもの。カタカナは、お坊さんたちが、漢字を読むために振ったもの。こうして、同じ音を示す文字が2種類生まれました。
カタカナのほうが普及した時代がある
このような漢字とカタカナによる表記を昔の資料として目にしたことがあるのではないでしょうか。ある時期、現代のように漢字とひらがなではなく、漢字とカタカナを使っていました。これは、ひらがなが、主に女流文学で使われ、その一方で、公的な文書ではカタカナが使わるという、使い分けがありました。ひらがなは、やわらかく、文学的(当時なら娯楽的な要素も含む)であり、カタカナは公的なものというニュアンスを持っていました。現代では、おもに外来語、日本語以外の言語の音を表すために用いられています。
第二次世界大戦後に制定された現代仮名遣い
現代仮名遣いは、第二次世界大戦後に制定された新しい仮名遣い(新かな)。この現代仮名遣いによって、特殊な場合を除いて「ゐ」と「ゑ」が用いられなくなりました。
日本語をカタカナに統一しようとする組織「カナモジカイ」
1910年代に、日本で国語改革の方策として漢字廃止論が唱えられたことがあります。漢字を廃止して、カタカナだけに統一する(またはローマ字に統一する)という論旨を持つ運動です。この運動を推進する組織が「カナモジカイ」。その目的は、漢字の不便を取り除き、片仮名による横書きを普及させることです。このカナモジカイは、現在もその事務所が東京都武蔵野市にあります。複雑化した文字体系を簡略化して、国民の、または国外のひとたちに自国の言葉を普及、発展させるという動きは、日本のみならず中国でも起こりました。そのために中国の文字は、繁体字(はんたいじ)から簡体字になりました。
まとめ
わたしたちが普通につかっているひらがなとカタカナ。現代のような使い方になったのはわずか70年ちょっとまえの第二次世界大戦後です。そのため、わたしたち現代の日本人が明治時代あたりにタイムスリップしても、当時の文章はかなり読みづらいものでしょう。今回はその起源と経緯をみてみました。複雑な文字体系をもつ日本の文字ですが、使っているわたしたちはそれほど苦労や不便を感じていないかもしれません。でも大変なのが、日本語の書体デザイナー。アルファベットが26文字なのに対して、日本語は、書体を作るのに最低でも6,743文字作る必要があります。大変……。