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①留学やワーホリそれ自体を失敗した人たちの話。

実際聞いた話に一部脚色しています。

留学中やワーホリ中に起こった笑える失敗談ではなく、情報収集不足や準備不足により、笑えない失敗をした人たちの話です。

私は、ワーホリそのものに大失敗しました。帰国直後はショックのあまり、そのことを誰にも話したくありませんでしたが、数年経ち、何気なくそのことを話すと、何人かが、

「実は、私も留学していたことがあるけれど、失敗して……」
「ワーホリで散々な目に遭って、大好きな国が大嫌いな国になった。」
「留学やワーホリに行ったが、それが次の仕事につながらなかった。」

と他の人に言えなかったことを言い出しました。では、なぜ今まで他の人に言えなかったのでしょうか。

(1)親に大金を出してもらったため、失敗しましたと言えなかった。親の期待が大きければ尚更です。

(2)アルバイトをして大金を貯めて、語学スクールに行って、煩雑な手続きまでしたのに、自分で失敗したと認めたくなかった。

(3)帰国後、周りの人たちから羨望のまなざしで見られたり、当然外国語が喋られると思われるので、留学やワーホリに行ったことを隠すようになった。

私や他の人の失敗談から何かをつかみ取ってくれれば幸いです。

【ケース1】高校の交換留学生として、1年間オーストラリアに留学。留学目的は、玉の輿に乗るため。

彼女は、日本人離れした目鼻立ちがはっきりした美人で、ゆきぽよに少し似ていて目立つ存在でした。地元の中学や高校でも話題の美少女で、彼女もそれを自覚していました。

彼女はその美貌をいかして玉の輿に乗ろうと考えました。どうせ玉の輿に乗るなら、桁違いの玉の輿に!それには、日本人ではなく外国人に!

高校でちょうど交換留学生の話がありました。場所はオーストラリア。彼女は、オーストラリア人の富豪を狙ったのではなく、そこに留学してくる日本人以外の留学生を狙うことにしました。

留学費用を出してくれるような親は、金持ちに違いないと踏んだ訳です。

オーストラリアに留学すると、日本の高校が手配していたこともあり、ホストファミリーもクラスメートも優しかったそうです。

英語には少し悪戦苦闘しましたが、それにも徐々に馴染んでいきました。

肝心の玉の輿ですが、親の仕事の関係や単身留学していた富裕層の子息からは、

「おまえ、早く、日本に帰れ!」

と言われたそうです。もちろん、玉の輿計画は内緒にしていたのだそうです。では、なぜ彼女は嫌われてしまったのでしょうか。

[1]親がオーストラリアに会社(飲食店を含む)を作った子息から嫌われた理由

外国で会社を成功させることは、自国で成功させることよりも難しいことがあります。差別や偏見に苦しむこともあるでしょう。そんな親の苦しむ背中を見てきた子息からすれば、何不自由なく与えられた彼女は受け入れがたい存在だったのでしょう。

[2]親の仕事の転勤の関係で転校してきた子息に嫌われた理由

エリート会社員の父親の転勤に伴い転校してきた彼は、時期がずれてしまったため、プライベートスクール(私立校)ではなくパブリックスクール(公立校)に通わざるを得ませんでした。

家では中国語で話し、パブリックスクールの授業はすべて英語。オーストラリアの大学入試もすべて英語で受けるしかなく、外国語選択科目は中国語にしたかったのですが、そこのパブリックスクールには中国語選択がなかったため、漢字が出てくるという理由で妥協して日本語にしました。

優等生で勤勉家な彼からしたら、彼女の英語のレベルは低すぎました。それなのに、日本語の授業で、生徒だけでなく教師までも、彼女を教師のアシスタントととして接する姿は理解できなかったのかもしれません。

[3]他の国の留学生から嫌われた理由

他の国の留学生の中には、国を背負っていたり、将来自分で会社を作ろうとしていた人もいました。そんな彼らは彼女のほんわかした雰囲気は受け入れがたかったのでしょう。

[1][2][3]いずれも、英語力不足、目的意識の無さが嫌われた理由です。

彼女はその後帰国し、日本の高校を卒業した後、進学はせず、英語を特に必要としないアルバイトを転々とした後、公務員になっていた中学生時代の同級生と結婚し、念願だった専業主婦になったそうです。留学には失敗した彼女ですが、婚活には成功したと言ってはよいのではないでしょうか。

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