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八木志芳はラジオDJですが、他にもいろいろできる人です(プロフィールと仕事紹介)

はじめましての方も、そうでない方も、八木志芳と申します。

志芳と書いて「しほ」と読みます。
よく「芸名ですか?」と聞かれますが、ガッツリ本名です。

職業は「ラジオDJ」です。
元々、地方局のアナウンサーだったので「フリーアナウンサー」と答える のが正しいのかもしれませんが、
「ラジオが大好き」「ラジオを中心に活動したい」そして「ラジオをもっと盛り上げたい」という思いから「ラジオDJ」を名乗り、ラジオ番組のMCを担当させていただいています。

ラジオが中心ということで「どんな声の人?」と気になるかと思いますが、こんな声です。

2020年7月でラジオの仕事を始めて丸10年、11年目に突入しました。

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(ラジオ業界に入ってちょうど一年の私)


有難いことに、これまでラジオを通じて沢山の番組や人とつながらせていただきました。

そして、ラジオパーソナリティーやディレクターの経験をいかして、様々なお仕事も経験しました。

最近「八木さんって〇〇で仕事していたんですか?」「△△もご存知なんですね!!」など、過去のお仕事を知らないリスナーさんも増えてきました。

10年の間、いろいろなところで仕事をするとそうなりますよね。

そこで、私の現在・過去・未来を、ギュギュっとまとめました。

下記の目次から気になるところをクリックして、「八木志芳ってこんなやつか…」と知っていただければ嬉しいです。

1.八木志芳がラジオパーソナリティーになるまで

1984年2月15日に北海道札幌市で生を受けた私。
飲食業の父と専業主婦の母のもとでスクスクと(時には横に)育ちました。

そんな私の家は、ラジオを聞く習慣がありませんでした。
では、なぜラジオを聞くようになったのか。

私がラジオの存在を知ったのは、NHKの英語番組です。
小学生の時、セサミストリートが好きだった私。
当時のセサミストリートは主音声が英語で、吹き替えは副音声でした。
英語がわかるようになりたいと主張した私に、父親が買ってくれたのが
NHKラジオ第二で聞くことができる英語学習番組のテキストでした。

そこで初めて「ラジオ」という物の存在を認識しました。
テキストに書かれている番組を聞くため、カセットテープ を聞くことだけに使っていたラジカセのつまみをクリクリと回すと、雑音が徐々に人の声に変わっていくではないですか!
その感覚は、砂場から宝石を見つけたような「私だけの秘密の場所」を得たよで、強烈に覚えています。

そして、ラジオにのめり込むきっかけになったのが、小学5年生の時に読んだ漫画「星空のウェーブ」でした。
この作品は、当時、少女漫画誌「ちゃお」に連載されていた恋愛漫画で、高校の放送委員が舞台になっています。
ラジオを通して、距離を縮めていく主人公の少女と、彼女の思い人。
ラジオというものがとてもキラキラした存在に感じられました。
そこから、私も気になるラジオ番組を探し、勉強のおともに聞くようになりました。

そうして、ラジオの世界へ憧れを抱きながら、小学校は放送クラブ、高校で放送局、(中学は部活で放送系がなかった)、そして、浪人して入った横浜国立大学でも放送研究会に入りました。

そのまま放送業界を目指そうと考えていた私ですが、大学の放送研究会で大きな衝撃を受けます。

「えっ、みんな喋り上手くない…??」

私はラジオを聞くのが大好きでしたが、自分で話して表現するのは大の苦手。思ったことがすぐ言葉にできず、自分の気持ちを伝えるのが下手くそでした。(それは今も変わってない)

しかし、当時の横浜国立大学の放送研究会には、アナウンサー志望や、ラジオ好きが集まり、一度集えば、話が止まらない…。

さらに、この頃の私は、自分の容姿にとてつもないコンプレックスがあり「こんな私がラジオパーソナリティー目指すなんて無理だ…」と、物凄い絶望感に襲われ、放送業界を目指すことを、早い段階で諦めてしまいました。

そして、就活期に真剣に就職活動もせず、内定をいただいたIT企業に就職しました。
ただ、この適当な就活を、ものすごく後悔するのです。

就職後、私は希望の部署にも入れず、ただ淡々と仕事をこなす毎日でした。
特に好きでもない仕事に、1日の多くの時間を取られることは耐え難く、「私何してるんだろう?」と自問自答の毎日。

その日々の中、心の奥底に眠っていた「ラジオで喋りたい」という気持ちがむくむくと膨れ上がって抑えきれなくなり、遅いとはわかっていながらも、社会人からラジオDJを目指すことを決意しました。

ラジオDJを目指すと言っても、英語も話せなければ、タレント性もない私。
色々と考えた結果「ラジオ局のアナウンサー」という道を見つけ、社会人として働きながらアナウンス学校に通いました。

働きながらのアナウンス受験は、本当に両立が難しく、元々が要領の良い方ではないだけに、余計に時間がかかったように思います。
忙しいIT企業では時間が作れないと、受験のために転職もしました。

そして、「年齢的にも局アナは無理」と言われながらも、夢を叶えたのが26歳。アナウンサーとしては、かなりの遅咲きです。
しかし、この年齢だから、見えたこと、できたことが沢山あったように思います。

こうして、私はラジオの世界に入っていくのです…。

2.現在のラジオレギュラー番組

現在担当させていただいているラジオ番組を紹介します。
※リンクをクリックすると、各SNSに飛べます。

Radio Berry「B with You」
栃木県にありますJFN系列のFM局、Radio Berry(エフエム栃木)で月曜〜木曜の朝9時から生放送されているワイド番組です。
私は水曜・木曜を担当しています。皆さんからのメッセージを中心に、役立つ情報や音楽をお届けしています。
Twitterのハッシュタグは #トチギノアサ です。

茨城放送「Sunday 10Carat Numbers」

茨城県のAM局、茨城放送(i-FM)で毎週日曜の午後1時から生放送の音楽番組です。
毎週テーマを決め、そのテーマに沿ったランキングを発表しています。ちょっと個性的なテーマと、皆さんのメッセージで構成されています。
Twitterのハッシュタグは #テンカラ です。

3.SNSのまとめ

私が持っているSNSアカウントを紹介します。
※リンクをクリックすると、各SNSに飛べます。

Twitter
リアルタイムで言葉を紡いでいく感覚が「ラジオと似ている!」と思い、一番力を入れて更新しているSNSです。

▼Instagram

実はファッションやメイクが好きなので、地味にやっています。おしゃれ感出したいけど、出しきれないアカウント。ファッションに特化したサブ垢立ち上げようかな…。

▼Facebook
一番古くから更新しているSNSです。最近更新停滞気味。お友達申請は自由ですが、一言メッセージいただけると嬉しいです。ただ、個人的判断で申請を承認しない場合がありますので、ご了承ください。

4.こんな仕事もしていました(過去のレギュラー番組編)

2010年7月〜2016年3月はラジオ福島のアナウンサーでした。
アナウンサーとして、ニュース、情報番組、スポーツと幅広く経験をさせていただき、喋り手としての基礎を作っていただいた場所です。
そして、入社後まもなく、東日本大大震災を経験したことは、その後の喋り手人生に大きな影響がありました。震災関係の番組も長く担当させていただきました。
また、「福島から明るい音楽を届けたい」という思いから、福島のライブシーンに焦点を当てた番組も担当していました。

▽出演番組(一部)

踊れ!ライヴマニア(MC)

月曜Monday 夜はこれから!(アシスタントMC)

2016年11月から2017年10月はTokyo FMグループのMUSIC BIRDでアナウンサー兼ディレクターをしていました。

▽出演番組(一部)

アニソン Hi!(MC)

反畑誠一の音楽ミュージアム(アシスタントMC)

2017年11月からはフリーとなり、東京を拠点に様々な局の番組に出演させていただいています。
2020年6月末に閉局した新潟のFM PORTでも番組を担当していました。
自分の出演番組が閉局という形で最終回を迎えるという、想定外の終わり方に、ラジオが置かれている現状を再認識しながら、「だからこそラジオで頑張りたい」と心に強く誓いました。

▽出演番組(一部)

FM FUJI「Sunday Punch☆」(リポーター)

FM PORT「Likey」(MC)

5.こんな仕事もしていました(番組ディレクター編)

ラジオ福島時代は、完全に裏方に徹した番組を制作していました。
ディレクターにも興味を持ったのは、「こんな面白い人がいる!」「こんな素敵な音楽がある!」という発見を、自分以外の言葉で届けたかったからです。
今でもラジオ番組制作のお手伝いをすることがあり、今後も「制作もできるラジオDJ」の道を進んでいきたいと思っています。

▽制作番組(一部)

ひとりぼっち秀吉bandのあなたもまだやれる人

ルルルルズのはらくっちぃラジオ

6.こんな仕事もしていました(動画ディレクター編)

2016年4月に上京した時、アイドル事務所「Dearstage」で動画制作のお仕事もさせていただきました。
初めての動画編集はノウハウがなく、周りに教えてくれる人もいなかったので、かなり苦戦しましたが、アイドルちゃんたちの可愛さを表現したいという気持ちだけで頑張りました。アイドルちゃんと一緒に富士山に登ったの、良い思い出です。(私は頂上まで行けなかったけど)
また機材などを揃えて、ラジオと連動した動画の制作もしてみたいなぁ。

▽制作動画(一部)

2016富士山女子登山部 -前編-

2016富士山女子登山部 -後編-

7.こんな仕事もしていました(ライター編)

元々、インタビューや取材が好きだった私。
フリーになると同時に取材・ライティングの仕事もさせていただきました。
言葉が流れていくラジオと違い、相手や自分の言葉と何度も向き合うライティングの仕事は、自分の言葉力を見直す意味でも勉強になりました。
これからはコラム、エッセイ的な物にも挑戦してみたいです。

▽制作記事(一部)

​中年女性ならではの表現、価値、役割を切り開く、自撮り熟女。マキエマキ(タイムアウト東京様 掲載)

ゲイでも諦めない、ゲイアイドルが国民的アイドルになるまで。二丁目の魁カミングアウト
(タイムアウト東京様 掲載)

インタビュー:渡辺俊美(タイムアウト東京様 掲載)

「そだねー」だけじゃない! 道産子が教える、可愛い北海道弁の使い方
(grape様 掲載)

​IoTは女子のキレイになりたい願望を叶えてくれるのか!?
(ThinkIT様 掲載)

カーリング女子で話題のお菓子も!北海道どさんこプラザを道産子女子が紹介!(東京ルッチ様 掲載)

8.八木志芳のこれから、という名の野望

ラジオDJとして、今いただいているお仕事を大切にしながら、喋ったことのない地域や曲でも声を届けたいし、まだ出会っていない人とも沢山つながっていきたたいと思っています。
ラジオは双方向のメディア、今ある「ラジオの楽しい」の輪を、徐々に広げていきたいです。

そして、ラジオを中心に、もっと活動の幅を広げたいという思いがあります。

一番はナレーション!
テレビCMや動画、ラジオ番組のナレーションの経験はありますが、テレビ番組のナレーションは未経験。
レギュラー番組でテレビのナレーションを任せてもらえるようになりたいです。

また、朗読にも力を入れていきたいです。
以前、渡辺淳一さんの「失楽園」を朗読させていただき、その世界の奥深さと自分の表現力不足を痛感しました。
子供向けから大人向け、そして、ラジオドラマなどにも挑戦したいです。

八木志芳朗読「失楽園」

ここまで書いて、本当にまだまだ未熟だなと思うことばかり…。

ですが、悲観せず、楽しみながら、こだわりを持って、でも柔軟に、ラジオの世界で頑張って行きたいと思っています。それでは、今度はラジオでもお会いしましょう!

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所属事務所 F.Factory Japan までお願いいたします

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