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#03 コーチングを受けていない時の自分のまま死にたくはない

こちらの記事は、コーチングのクライアント経験を元にクライアントの許可を得た上でそのプロセスについて公開しているものです。コーチングの成果については個別性が高く、一つの例としてご覧頂けましたら幸いです。

自己紹介

Dさん(仮名)
WEB広告関連事業の経営者。京都在住。奥様子ども4人の父。

コーチングとの接点は?

僕がサラリーマンだった当時、「どうすれば、部下に上手く仕事を教えられるんだろう?」ということをよく考えていました。そんな時に本屋で「コーチングバイブル」という本を見つけ、「これだ!」と思いすぐに買いました。本を手にしたこの時は、コーチングとは、人に何かを教える時に役立つテクニックだと思ってました。

しかし、少し読んでみるとどうも違う。人に仕事を教えるテクニックなんてそこには書いていませんでした。気がつくと、まるで吸い込まれるように読み進めていました。面白かったんです。それまでは「僕が部下を次のステージにつれていくんだ」と息巻いていたのですが、「大切なのはその人の持っている力を引き出すことであり、僕が行き先を決めるんじゃないんだ!!」ということに気づき始めました。「そうだったのか!僕の考えていたことと正反対だ!」とかなり大きな衝撃を受けたのを覚えています。これが僕とコーチングの出会いです。

時は経ち、独立して自分が会社を経営することになりました。自分で経営目標を立てなければと思う反面、どうも形式的に目標を作っているようでしっくりこない日々を過ごしていました。そんなある日「GoogleもアマゾンもFacebookの社長もコーチングを受けている!コーチングをうまく使いながら、経営者としても自分の考えをまとめていけばいいのでは!?」と思い立ち、早速調べてみることにしました。最初に問い合わせをしたところでは、法人向けだけで、個人のコーチングは受けていませんでした。料金も月に数十万円はかかるという、かなりハードルの高いものでした。そこから更に検索を続けて、Co-leadersのホームページを見つけました。パーソナルコーチングか、システムコーチングかもよくわからないまま、とにかく聞いてみよう!と問い合わせしました。

初めてのコーチングはどんな体験でしたか?

当初の目的は、自分の経営する会社の将来や自分の目標設定のためのコーチングと思って依頼しました。でも、最初の導入セッションの段階で、ライフライン(人生曲線)を描き自分の人生を言葉にする瞬間がありました。

そうすると、なぜか言葉に詰まり、涙がポロポロ流れ出てきました。

自分は小学校1年生の時に、母親が家を出ていったのですが、その時の話をし始めると、涙が止まらなくなりました。話始めるまでは、心を揺り動かすこともなかったのですが、口に出すうちに鮮明にその時の気持ちが蘇り、氷が溶けて中の感情が溶け出したように、涙が出てきて・・・。予想だにしていなかった出来事に「なんだこれは!!!」という驚きのスタートが印象深かったです。

会社の経営に使おうと思っていたのですが、人生の中で自分が触れてこなかったことに触れるというのはとても衝撃的でしたね。

その後のコーチングではもちろん仕事の話もしていたのですが、行き着くところ、仕事上の判断をするにあたり自分がどんな気持ちなのか、感覚なのか、なぜその感覚なのか?が大切だと思うようになって、そしてそれを突き詰めていくと、自分の人生とシンクロしてくるんですね。結果的に、自分が丸裸になっていくことで、「仕事の上で本当に成し遂げたいこと」という部分にやっと触れることができるんだなと。仕事のビジョンを明確にするには、「自分が何を感じていて、どうしたいのか?」ということと徹底的に向き合う必要があると気付かされました。

覚えているセッションなどはありますか?

ーキャプテンの話ですね。(比喩の世界の話です)

金色に輝く子どもが、自分のキャプテン(内なるリーダー)でした。そしてキャプテンが小さな箱をくれたんです。その箱を開けるとそこには何も入っていなかったんですが、なんとも言えない優しい、あたたかな気持ちに包まれました。箱の中には”優しさ”という感情が入っていたんだと思います。あの体験は、一本の映画を見終わった時のようでした。


ーそしてある時は、お葬式を体験しましたね。

自分が死んだとして、棺桶の中に入っていて、どんな人がそこにいて、どんな風景か?ということを体験しました。

長男に対しての見方が明確になりました。僕の人生において、長男って、キーマンなんです。彼が生まれたことで、今の家内と一緒になったということを実感し、子どもに対する愛情を再確認できました。僕は、少し複雑な家庭環境で育ったので子どもにどう向き合えば良いのか、よくわからないところがあったのですが、長男と一緒に勉強したり、さまざまなチャレンジを一緒にするうちに、子どもの成長を味わうことが「ものすごい幸せ」であることを教えてくれていました。それらがお葬式を体験することで思い起こされ、何気なく通り過ぎていく日常が愛おしく思える、、、そんなことに改めて気付かされた体験でした。我が子って、日常ではそこまで意識をしない、居て当然な存在なんですが、その日常にある奇跡を奇跡として受け入れることができた、という尊い時間でした。

ーあとは、僕の仕事に対する考えを、木に見立てて話したことがありました。
根っこ、幹、葉っぱ、果実、どんな風に伸び成長し広がっていきたいのかが、明確にイメージされました。僕はこの業務を気に入っていて、今やっているのはここの部分だなぁ、しっかりこの部分をやっておかないと木が倒れてしまうなぁ、というのを独自のわかりやすいイメージで捉えることができました。エクセルの表や数字だけでイメージする経営ビジョンとは全く違い、自分の仕事と自分の感覚をリンクして考える事ができたので、インパクトは大きかったです。

志帆さんにも「エッセンスレベル*が強いですよね」と言ってもらったこともあって、自分の得意分野なんだと思います。

*エッセンスレベルというのは、アーノルド・ミンデル博士の提唱している「3つの現実レベル」のうちの一番言語にすらならない感覚的な部分の要素のことを示しています。

コーチングをこの2年間で、どう使ってきたのですか?

色々な事情があり、自分の事をあまり表立って出せないという感覚で生きていたのですが、結構しんどかったんだなと思います。(自覚はありませんでしたが)自分の正直な気持ちを出せる場所って、どこにもなくて「自分の本当の気持ちが誰かの耳に入ったらどうしよう」という不安が付きまとっていました。「約束された安心安全な場、守秘義務で守られた場」というのが、自分の気持ちを吐き出せる、そして物事がすべてうまくいく原点でした。

辛いことがあっても、そこで話を聞いてもらえる安心感があったので、
辛さが今までとは全然違っていました。

セッションとセッションの間でいろんな事があっても、「これは次のセッションで言いたい・・・」と思うだけで落ち着くことができたり、人との思いと自分の思いの間の中のジレンマなんかがある時も、吐き出せる場があるだけで、かなり救われました。気持ちを自分で圧縮するしかなかった毎日だったのに、吐き出せる場所ができた。それが最高にハッピーなことでした。しかも、吐き出して言ってみると、大抵のことは、恐怖から開放されるんです。笑

コーチングを例えると?

マトリックスの映画を思い出したんですけどね、今生きている世界が虚像で、実は毎日がコンピュータに動かされていて、自分のみるべきものが予め決められていてコントロールされているという現実があって、でも本当は何も目覚めていない。本当に自分の意識が目覚めて、初めて世界が見えた!という時には、自分で見たいものを決められるという世界がある。そうすると、今まで見せられていたものは、ニセモノだよね、と分かってしまう。映画の中では「赤い薬」「青い薬」を選ぶシーンがあるんですけどね。僕はきっと本物の現実を見つめる「赤い薬」を飲んじゃたんでしょうね。笑

目覚めずに死んでいくのは、ある種幸せでもあると思いますが、僕は、コーチングを受ける前の自分で死ぬよりは、コーチングを受けた後の世界の自分で死ぬ方が断然いいですね。笑

コーチ「志帆」の存在ってどんなものでしたか?

本当に最初の時は、僕が「どこまで話したらいいだろう?」と(初対面の人はみんなそうだろうと思います。)戸惑っていたと思うんですが、本当に上手に、和紙を一枚一枚剥がすように、強制することもなく、一歩踏み出すまで、見守ってくれていていました。

コーチという存在、コーチとしての技術というものすら感じさせない、そういうものがない、静かな水面の様に自分を受け入れてくれました。だから僕が吐き出せた、唯一無二の存在だと思います。

たとえ素晴らしいスキルを持っていても、タイミングとか相性とかもあると思うので、初めてのコーチングでうまくいったというのは、ラッキーだったと思います。

そして、実際のところコーチングのイメージって、”目標達成”のためというイメージが先行していると思いますが、僕にとっては、目標達成はコーチングによって得られる成果のひとつであって、それ以上に、人生においての宝物が得られるような時間だったと思っています。

どんな人におすすめしたいですか?

全人類、、、ですかね。笑


極端にいうと、僕がコーチング受ける前の状態で死ぬ人とコーチングを受けた後の状態で、死ぬ人がいるとしたら、コーチング受ける前の自分って、
常識や自分自身に囚われていて、自分の力も限定し、自分には無理だと思っていて、いろんなことに息が詰まっている状態だったように思うんです。「こう生きるべきだ」と型にはめて生きている状態ですね。

コーチングを受けた後の方が、人間らしさ、好き、嫌いを認めてもらえて、とっても自然な人間になったように思いますね。

結構大人になってからだと、こんな風に自分を出せるようになるには、時間のかかることだと思うのですが、全人類がコーチングを受けて、自分自身の開き方を、学問的に知るべきだと思います。

算数とか国語とか学校の授業で学ぶように、学校の必須科目として、コーチングで自分と向き合う時間があってもいいと思う。当たり前のこととして自分自身を知って、それを土台に探求すべきじゃないかなと思います。僕はコーチングのお陰で、人生に波がある、いい時悪い時、少しずつ受け入れられる様になり、ちょっと客観視できるようになりました。

きっと、コーチング受ける前だったら、こうやってコーチングの感想などを話す時でも、「こんな事言ったら、どんな風に感じられるだろう?」(相手主体で捉えてしまう)と思って何を話せばいいか躊躇していたと思うんですけどね、今は自分の思っていることを話すだけです。笑


「全人類」ってちょっと大きすぎるから、もっと具体的に言うなれば、
「人の目が気になる人」かな。(そこに気づくの難しいですけどね)

意識の置き方が違うという感じです。周囲の人がどう思うか?という視点ではなく、自分を認められている自分という視点から。そうすると生きるのは楽ですし心底楽しめると思うんです。笑

コーチングはこれからも続けるのですか?

これからどうします?と言われていつも僕は「続けたいです」と言っています。この時間があることが、人生にとって安心感になっています。

コーチングを受けることによって、自分の感覚がリセットされる。
心の動きが、凪になる。出すと、落ち着く。リセットできる時間。
心が整う感覚ですね。

何かを解決するためのコーチングというより、自分の気持ちを理想の状態に保つためのメンテナンスです。これはやってみて、発見したんですが、整っていると自分にとって自分の感覚と繋がった判断ができる。仕事においてもプライベートにおいてもその判断ができると、とても豊かな感覚になれるので、これからも継続してコーチングを取り入れていきたいなぁと思っています。

Co-leadersが提供しているコーチングは
コーアクティブ・コーチングとシステムコーチング®です。
コーアクティブ・コーチングは、CTIジャパンの商標登録です。
システムコーチング®はCRR Global Japanの商標登録です。

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