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「私のマル 小野田實展」 感想

こんにちは、Shihoです。

今回は姫路市立美術館で開催中の企画展・「私のマル 小野田實展」の感想です。

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小野田寛は、満州で生まれ、兵庫県姫路市で育った芸術家です。芸術集団・具体の会員でもあります

誰も見たことがないものをつくる、をモットーに吉原を筆頭に集まった芸術集団、具体。

以前見に行った企画展では、具体メンバーの様々な作品が展示されていましたが、今回はその中の一人の作品をまとめて見ることが出来るということで、早速行ってきました。


展示構成

今回の企画展は、小野田の初期の作品から、晩年の作品まで、ずらりと展示された構成です。

初期から晩年という流れの中で作品を見ていくと、彼がどのような変化があったのかが、パッと見て分かります。

途中途中に、小野田自身の言葉が紹介されていて、彼の興味関心がどのように移り変わって行ったのかも分かりやすかったです。

そういえば、去年開催された「ゴッホ展」も同じような構成でしたが、ゴッホ10年の画家生活に対し、小野田はなんと50年以上!(1954~2006年までの作品が揃っていたので、ざっと計算してみると。)

まるで一人の人間の生き様を視覚的に捉えることができる構成。これはまさに、贅沢。


繁殖絵画論

さて、小野田の作品に触れていきましょう。今回の企画展のタイトルにもある通り、彼の作品の特徴は、「マル」です。

例えば、以下の作品(今回こちらだけが撮影OKでした)

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まるで村上隆のような、カラフルで、ポップな色使いが目を引く作品です。

しかし、このような作品がずっと続いていって、それを見続けていると、何とも言えない不安に襲われました。

なんとも居心地が悪い。

心が落ち着かない。

これ、まだ遠目で見たり、または一瞬だけ見るといいのですが、これが全て「マル」であることを作品を通して自分が理解し、そしてそれを一人の人間が描いている姿が想像出来てしまうと、そこにある執念のようなものを感じ、思わずゾッとしてしまったのです。

この作品の側には、小野田が打ち出した「繁殖絵画論」に関する言葉が紹介されています。

そこには、当時流行していたアンフォルメル、アクション・ペインティングに対する危惧が書かれていました。

形に囚われない、自己を示す自由な表現方法であるそれらが、今や「安全な方法」として受け入れられてしまい、本来の目的とはかけ離れたものが氾濫する始末。

そんな状況下、声をあげたのが小野田だったのです。ただのマルを際限なく描くことにより、彼がオートメーション工場で、無限に作り出される同一の製品に対して抱いた「膨大な無意味」の脅威を表現したのです。

彼は大量生産されていく景色を見て、以下のような印象を持ちます。

繁殖といった有機的なものではなく、からっけつで、あっけらかんとした、メカニックなイメージなのである。

小野田の作品に暖かさというものが感じられなかった理由は、まさにここにあると思います。さらに言葉を繋げます。

この世界に「否」をたたきつけるためにも、機械を喰う貪欲さを持って「無意味」に耐えることが必要である。ポカンと空を眺めながら「私のマル」が、この空を、地球を、残る隙間なく覆い尽くすことを夢想する。

無意味に耐える。

1961年に打ち出された「繁殖絵画論」ですが、その背後にあるものを考えると、大量生産が加速していった現代の方がその「無意味さ」はより感じられると思います。

ただ、今はコロナが起こったことにより、気がつけば周りに繁殖していた「無意味」を見つめる機会があった方が多かったのでは。

本当にそれは必要なのか?

そして、本当に大切なものってなんだろう?


小野田の作品は後期から晩年にかけて、スッキリとした印象に変わっていきます。

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小野田實《WORK79-Blue47》個人蔵
(C)ONODA Minoru

上記のように、カラフルな色使いではなく、グラデーションがかった青を使った作品であったり、シンプルな二つの形の異なるモチーフを組み合わせることによって出来る形、関係性に注目した作品であったり。

繁殖絵画論を貫き通したからこそたどり着いた境地。これこそが小野田實が繁殖絵画論を通して得た答えなのかもしれません。


機会があれば是非、足を運んでみてください。20日までと、残りわずかですが…!


以下、引用元


以前具体の作品を見に行った時の記事も、よろしければ。

今日はここまで

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