おばあちゃんとわたし②

おばあちゃんとは色々なところに行った。

旅行が好きだったおばあちゃん。
一緒に行った九州では、目の前に広がる九十九島の景色を横目にソフトクリームのことばかり考えてる私に「景色を楽しみなさい」なんて言ってたっけ。北海道に行ったときには、初めての飛行機に怖がる私の手をずっと握ってくれた。どっちも物心ついて以来本州から出たことのなかった私にとって、とても刺激的な旅行だった。

私が働いて稼げるようになったら、いつか一緒に温泉旅行に行こうね、なんて話してたのに、終ぞ叶わなかった。行けるチャンスはたくさんあったはずなのに、「足がもうしんどいから。」と言うおばあちゃんを無理強いできなかった。車椅子でもなんでも借りればよかったなぁ、と後悔が残ってしまった。

だんだんと老いて足腰が弱くなっていくおばあちゃんを連れてどこかへ出かけるのは、本当に大変だった。

今でも「大変やってんから!」と思い出すのは、数年前の初詣。信仰心の厚いおばあちゃんは、「初詣に行きたい。みんなのことをお願いしに行かなきゃいけない。」と私に何度もねだった。そんなに言うなら、と初詣に連れ出したはいいものの、帰りには疲れ切って歩けなくなってしまった。行きはよいよい帰りは怖いってのはこのことなんだなぁ、なんて思いながら、「あとちょっとやから、頑張って歩いて!」と、寒い中砂利を踏みしめ、その頃はまだ重たかったおばあちゃんを支えながら、2人よろよろ歩いたときのことを未だに思い出す。それがおばあちゃんとの最後の初詣になった。

それからは、外出に車椅子を使うようになった。仕事でも車椅子を使い慣れていた私は、車椅子を使うことに全く抵抗がなかったけれど、おばあちゃんはそうじゃなかったみたい。初めのうちはいつも「恥ずかしいわぁ」と車椅子に乗ることを渋っていた。けれどそのうち「しほちゃんの車椅子が一番安心やわ。」とどこでもかんでも車椅子を使いたがるようになった。「たまには自分で頑張って歩いてよ〜(笑)」なんて言いながら、2人で車椅子を使っていろんなところに行ったなぁ。

車椅子を使うようになったおばあちゃんが、頑張って自分の足で歩いたことがあった。それは、私がオーケストラのコンサートにおばあちゃんを誘った時だった。会場は家から少し遠く、車で1時間。「しんどいから行かない」と断られるかな、と思っていたら、まさかの「最近、ラジオでずっとクラシック聴いてるねん。行くわ」との返事。ホール内を車椅子で移動できることを確認した私は張り切って車椅子レンタルの手配をして、その日に備えた。初めての会場に着いた時、私は途方にくれた。ホールに入るまでに、階段を登る必要があった。おぶるしかないか、と上着を脱ぎ袖を巻くる私を見たおばあちゃんは、「これくらい自分で登れる。」と、車椅子から立ち上がった。心配する私を他所に、おばあちゃんは確かな足取りで階段を登っていった。「本当に、大丈夫なん?」と私が聞くと、「せっかく来たもん。」とおばあちゃんは笑って言った。オーケストラの演奏自体は、あまり私の記憶になくて。ただ、目と耳全部使って演奏に聴き入るおばあちゃんの横顔をずっと眺めていた。

車椅子のおばあちゃんと買い物に行くのは、大変だった。お菓子が好きだったおばあちゃんは、お菓子売り場の前を何度も私に往復させた。ちびっこ達が走り回るなか、車椅子を動かすのは凄く神経を使ったけれど、そんな私にお構いなくおばあちゃんは「次はあっち。」と自由奔放だった。おばあちゃんの膝の上に大量に積まれたお菓子を見て「本当に全部食べられるの?」と私が聞き、おばあちゃんが「食べられる。」と返す。そういうなら、と大量のお菓子を買って帰り、母に「無駄遣いして!」と怒られ、半分以上残ったお菓子はおじいちゃんのお腹の中へ、というのがお買い物での定番になっていた。あ、おばあちゃんが好きだったお菓子も棺に入れてあげないとな。

遂に、自分で立つことも出来なくなったおばあちゃん。そんなおばあちゃんをおぶって病院に行ったのが、一緒にした最後のお出かけになった。初詣に行った時は支えるだけで精一杯だったおばあちゃんを、軽々と持ち上げられてしまうことに、言いようのない寂しさが込み上げた。それくらい、最期のおばあちゃんは小さくなっていた。

背中に感じたおばあちゃんの温もりと重みを、ずっと忘れずに覚えていたいなぁ。そしたら、私の思い出の中のおばあちゃんと一緒に、これからも色々なところへお出掛けできるね!

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