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世界の辺境で『GAFAは何か違う!』と叫ぶ。

プラットフォーマーという言葉を作ったことはOK。
でも
グローバル全ての人種や国家で運用出来て、指示がいきわたるようなオペレーション志向、徹底汎用化&マニュアル化、単純化されたしくみだけ…を開発して100億人ターゲットに売り続けるビジネス……って何か間違ってると感じる。

そこには新しい価値や文化が何も生まれない、ただ便利でグローバルなだけの虚無システムが拡がっている。明日がない。
自動運転も同じだ。ただ機械が運転するだけのこと。あると便利だし、AIの精度が上がれば悲惨な事故は無くなるかもしれない。でもそれだけだ。

かつて狩猟民族だった人類に、全自動狩猟システムを与えたらどうなるだろうか?
彼らは周囲を鋭敏に索敵したり、危機と獲物を感知する鋭敏な五感と感性を持ち合わせていた。その彼らは『仕事』をしなくなり、鋭敏な五感や感知能力を失っていく。
アフリカの狩猟民にはアフリカの自然と対峙した感性と文化。北国モンゴルの狩猟民にはその環境に適合しつつ戦い続ける感性と文化
が育っていたはずだ。それらは全自動狩猟システムによって損なわれていく…。

今我々に必要なのは実はグローバリズムでも生産性の向上でもない。
自分の五感でモノを感じて判断する能力と感性だろう。そして自分が感じたものを仲間たちと共有して、進むべき道を小集団で考えて決める能力

これらの一部は
当のGAFAが実は「デザインスプリント」という名でやり始めてること。
でも彼らには対峙する環境やミッションがない。虚構のグローバルシステムという虚無空間が広がっているだけだ。
一方で我々にとっては地元というローカルで起こる問題も、世界中からはいってくる情報も全てが対峙する環境 であり、生きるテーマである。。

以下僕がちょっと前に描いたスライドを公開する。
願わくば、このデジタル社会にあって狩猟民族の鋭敏な五感と感性を取り戻したいと思っているのだ。