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全方向に配慮しようと思ったら何も書けなくなってしまった

最後にnoteを更新してから、随分と期間が開いてしまった。
在宅勤務が終わって職場まで通勤しなければいけなくなったとか、実は転職したばかりで気持ちに余力がないとか、言い訳は色々と。

けれど一番の理由は、自分の文章で誰も傷つけないように全方向へ配慮しようとしたら、何にも書けなくなってしまっていたという事。


私はとあるカルト宗教の家庭に生まれ育った。
紆余曲折あったけれど、今は宗教や家族から物理的に距離を置くことで、自分の精神を健全に保っている。
ここの所、ツイッターで私と似たような境遇の人とお話したり、意見交換を眺めたりする機会があった。


宗教一家で育った人の中には、年端もいかない頃に半ば信仰を強要された経験から、宗教に対して恨みや憎しみを持っているケースも少なくない。
かく言う私も昔はそうだったので、感覚は多少わかる。
同じ宗教の下で育った者同士なのに、現役で信仰している側と離教した側ではそりが合わず、強めの言葉が飛び交うレスバ状態になってしまう場面も見受けられた。


やり取りの一部始終を見ていたら、
誰も傷つけない文章を書くのは不可能なのではないか?
そもそも自分の考えを述べることと誹謗中傷はどこが線引きなんだ?
いやむしろ自分の考えをインターネットという公の場に晒すこと自体がダメなのか?
といった具合にどつぼにはまって何も書けなくなりましたとさ。


それでもやっぱり書くことを辞めたくないし諦めたくないから、またここに戻ってきました。
「誰も傷つけたり不快にしない文章は可能なのか?」
という自問に対する答えはまだ見つかっていないけれど、書き続けながら模索していけたらいいな。

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最後までお付き合い頂きありがとうございました。ほんの少しでもあなたの心が軽くなりますように。