「~という」という言い回しが気になるのだ
自分でも無意識に書いてしまっているかもしれませんが、人の文章になるとやたら気になる言い回しが幾つもあります。
その一つが「~という」です。
たとえば以下の文。
――
スマホというガジェットは、とても便利だ。
――
この「という」は何でしょうか。文章にリズムを着けるために必要なのでしょうか。それとも、「スマホというものは」と、ことさらにスマホを強調するために必要なのでしょうか。
なんだかよく分かりません。以下のように書いてはいけないのでしょうか。
――
スマホはとても便利なガジェットだ。
――
私的にはこちらの方がすっきりします。
同様に以下の文。
――
この快適さがエアコンというものだ。
――
おっと、こんどは「という」だけでなく、「もの」も気になり出し始めました。
この「という」も、おそらく「これこそエアコンならでは」と強調したいニュアンスを感じます。書き換えられるでしょうか。
さらに、「ものだ」って何でしょう?
書き換えられるでしょうか。
――
この快適さこそがエアコンの素晴らしさだ。
――
あれ、「もの」も消えてしまいました。つまり、さして意味のある「もの」ではなかったのでしょう。
しかし、「もの」は「という」がなくても現れることがあります。
――
エアコンとは快適なものだ。
――
なかなかしぶとい「もの」です。しかし、やっぱり正体が掴めません。まるで鵼のような。
そこで書き換えてみました。
――
エアコンとは快適な家電品だ。
――
「もの」は消えましたが、何かしっくりときません。
――
エアコンとは快適さをもたらす家電品だ。
――
この方がいいかな?
などと、人の文章を読むと気になり出すのです。
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