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Enactivism とは?(wikipedia調べ)

おおばさんは enactivist だったんですね?と言われて、それが何を意味しているのか全く分からなかったのでちょっと wikipedia の記述を読んでみました。

Enactivism は cognition が行動者とその環境のダイナミックな相互作用から生じると主張する。

ふむふむ。認知(cognition)は環境から独立には生じないし、環境との静的な相互作用だけからは生じない、と言ってる。当然のように思えるけどな。いや、パターン認識から生じる文字形状とか文字種の認識とかは、 cognition に含まないことにしようとしてるのかな?静的パターンだから。それならばだいぶラディカルな主張かもしれないな。おそらくそこまでのことは言っておらず、ダイナミックな要因を考えることが大事であるようなタイプの cognition にとくに興味を持って調べます、というぐらいのことだろう。

Enactivism は我々の環境は、我々が世界と相互作用する能力を通して選択的に作られるものだと主張する。

ふむふむ。相互作用に関わらないほとんどの領域は「環境」としては扱わない、と言っているようにも読める。環境世界が、認識主体と独立に存在してるとする素朴な世界観を否定しているようにも読める。でも、おそらくそこまでのことは言っておらず、相互作用を通して定められる限定領域のみを環境扱いするタイプのモデリングしてみますよ〜っと宣言しているのだろう。

動物は環境から来る情報を受動的に受け取ることはせず、内部表現に翻訳することによって受け取る。自然の認知システム(意味を生成するさいに働くヤツ)は変換的な相互作用 (transformational interaction) を行っているのであり、単に情報をやりとりしているのではない。つまり、ある世界に対して enact しているのだと言える。 

前段は当たり前に思える。そうでない受け取り方を考える余地は無いんじゃないの? transformational interaction とは、おそらく認知システム(動物)が相互作用によって認識対象を変化させていることを述べているのだろう。行動によって対象を変化させざるを得ないと。 ふむ。で、enact という妙な動詞の意味については、あとの方でもう少し書いてあるところを読まないと意味がとれない。

enactivism という語は enaction という語から来ており、この語は「知覚主体が創造的に自分のアクションをその状況で要求に合わせてゆく様子」という意味で定義される。enaction という語をこの文脈で導入したのは Francisco Varela, Evan Thompson, Eleanor Rosh であり、彼らは「認知とは決して予め与えられた心 (mind) によるあらかじめ与えられた世界の表現なのではなく、そいつが世界で演じたアクションに関する過去の履歴の元で生じた、世界と心の enactment なのだ」という信念を強調するためにこの語を提案したのだ。

長い英文、ちゃんと読めているか心配だ。

enact という語は、ほぼ舞台上の performance という意味に取るので良いのかな。行動 action はそれ単独では解釈できず、舞台での役者の演技のように、舞台装置や過去から現在までの物語の文脈のなかに置いて初めて意味が評価できる、と言いたいのだろう。

この提案は、Thompsonらによってさらに発展させられ、世界の経験は動物の感覚運動能 (sensorymotor capacity) とその環境との相互作用の結果であるという考えを強調するようになった。

訳せているかな(二度目)?ここだけ読むとこれが概念の発展であるようにはなかなか読めない。むしろ後退であるようにも読める。が、おそらく動物の運動を取り扱う神経生理学の文脈に載せるために、前提を単純化したと思えばいいのかな。

でも、ここまでゆっくり読んでみてだいたい分かった。

神経生理学者が行動と神経活動との関連を調べたいなら、行動データと神経活動データだけ見ていてもだめだぜ、むしろ行動の環境とか履歴のほうにこそ目を向けなきゃだめだし、さらに環境と動物のダイナミックな相互作用の過程を全部見なきゃだめだよ、むしろ環境のがわが本質とすら言えるかもよ、と言うのが enactivism なのね。

神谷さんが「脳活動から映像をデコーディングできたよ〜」って言ったときに、「エンコーダは本質的に文脈依存だから、たまたま文脈が大きく変わらない一時的にのみ成り立つ条件のもとで対応関係が見えたに過ぎないのでは」などとツッコミを入れるのが enactivist なのね。(マサカリ誘発)

で、自分が enactivist なのかどうか?というと、enactivism と名付けられた主要な主張が当たり前にしか思えないという意味では、そうなのだろうと認めるのが良さそう。ただ、当たり前すぎて、これに対立する主張をあまり思いつくことができず、検証に興味を持てないという意味では違うかもしれない。enactivism 批判を探してみたら気持ちは変わってくるかもしれない。


ついでに、重要そうな単語が並べてあったので、あわせてメモっておく。

Mark Rowlands によれば、enactivism は 4E とまとめて呼ばれることのある以下の4種の関連する心理過程理論のひとつである:
Embodied = 心理過程が脳だけでなく身体的な構造や過程など外部要因を巻き込んだ形で身体化されていること
Embedded = 心理過程が、外部環境のうち関連する箇所の中でのみ機能するべく埋め込まれていること
Enacted = 心理的活動が、神経活動だけでなく動物の行動対象を巻き込みながら enact されていること
Extended = 心理過程が動物の環境へ拡張されていること

正直、まだピンと来ない程度に大幅な勉強不足なので、まずはこれから(世の中からマサカリが飛んでくるぐらいには)調べてみようと思う。



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