自己紹介。薬学部時代中編です。

薬学部時代中編です。
薬学部へは2年時の編入学となりました。
当然一年でも短いほうが学費の抑制になるので助かります。
薬学部の一年間の授業料は約200万円なので一年間短縮できるのは
やはりかなりのメリットでした。
義父が援助してくれなければとてもじゃないですが、
私立の薬学部へは入学出来なかったことでしょう。
義父は70歳を超えた今でも年収4000万円もある
とんでもない人です。
私が今まで人生の中で出会った人で会ってすぐにこの人はすごいなと
思ったうちのひとりです。
義父は本業以外に太陽光発電も成功させ、
今の本業を辞めても年間に1000万の収入がある方で、
この間も株で2000万円ほど儲けていつも私の考える金額よりも
零の数が一つか場合によっては2つほど多い方なんです笑
私の年収からみたら雲の上の殿上人ですね。
もちろん上には上がいますが。

さてこんな偉大な義父の援助の元、
薬学部の2年生から新しい生活が始まりました。
2年生から始まったので、
有機化学といった1年生から積み重ねていないと
理解が困難な科目はありましたが、
勉強自体はそんなに大変と思いませんでした。

転機だったのはあれは確か6年生の12月くらいだったと思います。
国家試験まで残り2ヶ月くらいになってきており、
プレッシャーのせいか、
夜眠れなくなってきたんです。
恐らくこのあたりからまた精神的な不調の兆しがあったと思われます。
心療内科に通いはじめ、睡眠薬とある別の薬を処方される
ようになりました。実は国家試験のことだけでなく、
もう一つ別の悩みもあったので、むしろ国家試験ではなく、
そちらの別の問題のほうが問題だったのかもしれません笑

私が通っていた大学は月に一回国家試験を見据えた
模擬試験が行われていて、
私の成績も国家試験合格に十分届いており、
この時点での成績だと誰も私が不合格になるとは
つゆにも思っていなかったと思います。

実際に模試の一番最後の集大成である卒業試験も
悪い成績ではなく、この時もうすでに国家試験まで
あと一週間というところまでやってきていました。
12月から通っていた心療内科への通院も継続しており、
相変わらず睡眠薬は飲んでいました。
心を落ち着ける系統の薬は確か飲んでいなかったような気がします。
精神的な不調がマックスになったのは、
卒業試験が終わり、国家試験で残り2週間と
なったときくらいから酷くなりました。
かつて京大を卒業した後引きこもっていたときくらい
心の調子が悪く、以前のときと同じで
不安のほうが先に来るのです。

具体的には国家試験を不合格になるのではないかと
疑心暗鬼になってしまい、勉強の手につかず、
睡眠薬の量も増え、なかなか眠れない日々を
送り、国家試験当日を迎えることになります。
相当心の調子が悪かったですが、
この時はまだ希死念慮はありませんでした。

国家試験前日大学が企画したバスツアーに
参加し、バスで移動する時も自分は
試験に受からないのではないかとビクビク
怯えながら時間ばかりが過ぎていきました。
この時の主な主訴は国家試験に受からないのでは
ないかという大きな不安でした。

成績的にも十分で落ちる要素などは一つもなかったのですが、
このメンタルが不安定になることこそが不安要素だったのです。
もうこの時は精神錯乱状態で、パニック状態でした。
なんとか国家試験を受けたのですが、
当然手応えもなく、途中で棄権してそのまま
受験を放棄するのではないかと思いましたが、
なんとか受験だけは終わらせることが出来ました。

ただ結果は自分の不安通り不合格。
メンタルが普通ではなかったので
不合格は確信していましたが、
不合格はやはりとてもショックでした。
この時すでに2児の父親でしたのでこの先
どうすればよいのだろうと途方に暮れていました。
この不合格を知ったときくらいからもうすでに
希死念慮が出てきました。
この時すでに42歳で2児の父親で無職。
完全に人生詰んだなと思っていました。
死にたいという気持ちがいつもあり、
ほとんど寝ることが出来ず、
睡眠薬を使っても効果が無かったです。
これほど心の状態が悪くなるのは人生2回目です。

次はかなり精神的にキツかった国家試験浪人時代です。
お楽しみに。







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