遅いインターネット

インターネットを活用することで、情報へのアクセス容易性は格段に高まったが、その反動として、見たいものだけを見るものすごい速さで流れていくタイムラインに気づけば自らも流されてしまう、ということが起きてしまっている。

それにより、かつては国家、宗教などの虚構を共有することで団結し、協力することができていたが、現在は自由をもたらすはずのインターネットがむしろ、分断を加速させている。ブレクジットやトランプ政権の成立が顕著な例だ。

※虚構の共有によるホモサピエンスの繁栄については、『サピエンス全史(ユヴァル・ノア・ハラリ )』に詳しく述べられている。

そこで我々には、情報のインプットを行うと同時に、流されないようにするために、見せかけの自己発信とならないようにするために、批評的にアウトプットをすることが必要である。批評とは、自分自身で問題を設定することだ。そうすることで、世界の見え方を変えることができる。白か黒か二元論で物事を判断するのではなく、その間に別の選択肢を提示して、他者を受容できるようにすること。そうすれば、分断はもたらされることなく、寛容的な社会がもたらされることだろう。

つまり、主体的に生きながらも、自己幻想に陥ることなく、寛容的でいられるようにする、そのためにインターネットを活用することが重要なのではないか。今のままでは、我々はインターネットに操作され、消費される存在となってしまいかねない。