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変わらない自分と、変わっていく自分

外出もままならない昨今、家にいると始めてしまうことが片付け。
2年前より懸案だったウォークインクローゼットを片付け始めてしまった。

片付けの鉄則は「使わないものは捨てる」だ。

わかってはいるけれど捨てられずにいるものがある。

写真だ。

特に大学生時代の写真は楽しい思い出が多く、見ているだけであの頃の記憶が蘇る。当然、苦い思い出もある。

私の場合、大学入学当初から参加していたサークル活動での写真が圧倒的に多い。今回はその写真たちを整理するために(要するに捨てるために)、デジタル化することにした。

それでは捨ててないじゃないかという話もあるが、思い出を捨てたいのではなく、場所をとってまで物理的な写真を置いておきたくないので捨てるのである。

写真はスキャナーでデジタル化しJPEGのデータに落とす。昨今のデジタル写真に比べると解像度(鮮明度?)は低くなるのだが、そもそも劣化も始まっている写真だし、多少解像度が落ちていたほうが時代が感じられてよろしい。

スキャナーで取り込むために、アルバムから一枚一枚外す作業が始まった。

そうすると、一枚一枚見ることになる。

一枚ごとに思い出が蘇る。彼の笑顔、彼女の笑顔。そんな笑顔を見ているとあの頃に戻ったような気持ちになる。みんな若いのだが、自分の記憶の中にある彼らはそのままなので違和感はない。

最も違和感があるのは自分だ。
今の自分と30年以上の時を隔てたあの頃の自分を比べれば、写真以上に劣化していると言えるかもしれない。
自分だけが歳をとっているような気分になった。
写真のあいつが「おう」と声をかけてきても違和感はない気がした。

客観的にあの頃の自分を見ることになった。

「ずいぶん調子に乗っていたもんだ。恥ずかしくないのかね。」

そんなふうにも思うが、今の自分を30年後の自分が見たら、
「相変わらずだね。反省というものがないのかね。いつまで調子に乗ってんだ。」
と思うかもしれない。

それだけ、自分という人間は変わらないんだ、と思った。

写真を見ながら思う。

あぁ、そういうTシャツ、好きだよな。今でもきっと選ぶだろうな。
あぁ、そういう時、そういうポーズ撮るよな。気持ち、わかる。

あの頃の自分が今の自分を見たら、どう思うだろう。
あの頃の自分が今の自分を見たら、なんと言うだろう。

あの頃の自分が憧れるような自分になれているんだろうか。

そう思ったら、

明日の自分は、今日の自分が憧れる自分になれるだろうか?

そんなことを考えた。

昨日の自分が今日の自分に憧れるように、そんなふうに生きてみるのもいいかもしれない。明日は少し昨日の自分と違うってのがいいな。

新年度を迎えたこの時期に、少し気持ちを新たにしてみた。



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