苦しみは今か、それとも

歳を重ねるごとに、「現在」よりも「未来」に一喜一憂する機会が増えた。

これを乗り切れば休みだ!とか明日は仕事だ!なんて言葉をよく聞く限り、この傾向は自分だけではないのだろう。なんなら、「現在」から目を背けるために行動しているような気すらしてくる。

これは、痛みによく似ている気がする。
 
傷を受けた痛み____つまり、「現在」の苦しみは時間の経過と共に治癒されてゆく。当然、負った傷が深ければ深いほど致命傷になる。後遺症が残ることもあるだろう。
それでも適切な処置や時間さえあれば傷を受けた傷を受けた当初よりはずっと回復するはずだ。

では、「未来」はどうか。

今後受けるかもしれない痛みは、リスクを減らすことは出来ても治療することはできない。解決しようにも「現在」の僕らが「未来」の僕らに追いつくことは決してない。
ただ漠然とした焦燥感に首を絞められるのだ。

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スポットライト理論の中でこんな文がある。

現在・過去・未来は同じ時空間に広がっていて、それが散在している。なので、流れるという表現は間違いだ。

この理論では予測される「未来」も確かにあった「過去」も、今この文章を読んでいる「現在」すらも全て同じ時間軸に内包していると述べている。

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「現在」は「過去」であり「未来」である。
我思う故に我あり、なんて言葉が表す通り僕らはこの瞬間も存在しているのだろう。それは今この瞬間を生きることが「過去」歩んでいた事、そして「未来」を歩んでいる事の証明にもなる。

今、この瞬間こそが全てなのだ。
手に届かない何かよりも僕の手の中にある全てを愛せればな、と思った。

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