訪問看護ステーションのつくりかた 〜第1回 ヒト〜

こんばんは、葛飾区の訪問看護師、重本です。

今回から、私が訪問看護ステーションを立ち上げるまでの経緯を、現在進行形でお伝えします。
固い説明や要件は、業界団体や開業コンサルタントのホームページにありますので、そちらを参照頂き、このnoteは一個人の経験に基づく考えとして、お読みください。
全4回、ヒト、モノ、カネ、情報に分けて、ご説明します。

第1回の今回はまず、ヒト。

訪問看護ステーションは、常勤換算で2.5人が設立要件とされており、自分を含め最低でも3人の看護師をどう集めるか、が肝要です。

数年前、当時私が勤めていたステーション。
運営方針に関して、理事長と所長が激しく対立していました。
主任だった私は、所長に誘われました。
所長、私、もう一人のスタッフ、3人でまとめて退職して、利用者も何人か連れて行って、開業してすぐに単月黒字を達成して経営も安定、大船に乗っていくぞー!という「美味しそうな」話でした。
ググッと心を揺さぶられ、深夜のファミレスで何度か密談。待遇や責任の割合など、リアルな数字も含めて話し合いました。
が。
具体的に計画を詰める過程で、3人の方向性の違いが明らかになり。
最終的にはそれぞれステーションを退職して、別々の道を歩むことになりました。

今。
あのときの勢いのままやらなくてよかったんじゃないかな、と振り返り。

まず、自分の所属する組織から3人がまとめて退職して新規開設することは、互いの気心が知れているメリットと同時に、所属する組織に大きな穴を開ける、というデメリットがあったなぁ、と。
理事長と所長が対立していた当時の事情があったとはいえ、内情を知らない外の人間からみれば、既存のステーションから所長ら3人が利用者を連れて分離独立した、という結果しか見えません。
広いようで狭い業界、イメージはとても大切。
意気揚々と橋を渡っていたら、プツリと縄が切れてあーれー、なんてことも……
できることなら、人に後ろ指をさされない自分でありたい。

さらに、青写真の段階では気心が知れていると思っていた所長と私ともう一人が、合流の条件や出資の割合、責任の所在を実際の数字と合わせて検討する中で炙り出された、方向性の違い。
夢と現実の間には検討材料がたくさんあり、検討の過程で、夢から醒め、熱狂が冷徹な現実に縮んでいった実体験……すごく貴重でした。

さて、現在。
所属する組織のスタッフに声をかける代わりに、私が今回したことは、いろんな場所に行って、いろんな人と会って、いろんな話をして、いろんな話を聞くことでした。

言い換えると、(私が)知らない場所に行って、(お互い)知らない人と会って、(相手が)知らない話をして、(自分が)知らない話を聞きました。

行動の前に、ある仮説を立てました。
関係性のない人間の心を揺さぶることができない自分の夢や思いならば、それはきっと他人を巻き込んで人生を賭けるにはあたらない、もしかすると取るに足らない思い付きなのだ。

自ら設定した仮説を結果で打破するために、思いは通ずると信じて、自分の全人格と目標を伝え続けるうち、共感してくれる仲間に出会うことができたのは、涙が出るほど嬉しい、海辺でなくしたピアスをみつけたような(いつかきっとby渡辺美里:懐かしい!!)体験で、起業という0→1を成し遂げようとしている私にとって、ヒトの0→1を達成できたことは、大きな勇気になりました。

たくさん参加した研修や学会やいろんな集まりには、とっても役に立ったものもあれば、始まって数分で「あちゃ〜」と心の中で溜息をついたものも。
ただどちらも、行かないと感じることができなかった点は共通しており、行くか迷ってやめて何もしないならば、とにかく行って空気感だけでも感じてこよう、とは常に思っていました。

あと、私がひとつ幸運だったのは、私の母がたまたま訪問看護師だったこと。
仲間と一人出会うことで、要件を満たすことができたこと。
これもまた、事実です。

起業をするということは、仲間とその家族の生活に責任をもつこと。
仲間がそれを託すに足る思いと熱量が、今後の事業の舵取りにおいても、必須であると感じます。

次回は、モノ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

重本 誠之

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