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後鳥羽上皇御在所跡 風景印と記念碑

 島根県海士町にある菱浦ひしうら郵便局の風景印には「後鳥羽院天皇御在所跡」と書かれた碑が描かれています。

後鳥羽天皇(1180-1239)

 平安時代の末期、源氏による平家追討の真っ最中1183年に4歳で即位した天皇です。1180年に即位した安徳天皇(1178-1185)は平家とともに西国に逃亡中という状態でしたが、三種の神器のないまま後白河法皇の後ろ盾で天皇の座につき、日本に天皇が2人いる状態が1185年の壇ノ浦の戦で安徳天皇がなくなるまで続きます。

 1198年に譲位後は上皇として院政を敷きました。鎌倉幕府は1185年にできたばかりの時期で、朝廷は依然として西国を抑えている状況でした。

承久の乱

 清和源氏の流れをくむ最後の将軍である源実朝が1219年に暗殺されると、討幕を目的に後鳥羽上皇は1221年(承久3年)5月に兵を集め、執権北条義時を討つべく院宣を出します。これによって始まったのが「承久の乱」です。後鳥羽上皇としては勝てる戦と思っていたようですが、実際には真逆で6月には北条側が早々に京に入って勝利、武家政権が朝廷を優越するきっかけになり、京都には六波羅探題が新設され朝廷を監視するようになりました。

 承久の乱の戦後処理は、関与した上皇たちを島流にするものでした。後鳥羽上皇は隠岐国に流され、1221年(承久3年)8月5日に源福寺境内に設けられた行在所へ到着しました。「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」という一句を詠み、その後十余年を過ごし、隠岐島で最期を遂げました。源福寺は廃仏毀釈により廃寺となり、現在はこの御在所跡碑がその場所を伝えています。

地図

 記念碑は隠岐神社近くにあります。また、後鳥羽天皇陵(宮内庁管理)や後鳥羽院資料館が近くにあります。

菱浦郵便局

 風景印は郵便窓口で郵便物を差し出す時に押してもらえる赤茶色の絵入りの消印です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらうことができます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらって差し出さずに持ち帰る(記念押印)こともできます。

 風景印は1974年(昭和49年)6月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。

菱浦


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