見出し画像

観瀾山の太宰治文学碑 風景印と記念碑

 青森県東津軽郡外ヶ浜町そとがはままちにある蟹田かにた郵便局の風景印には太宰治文学碑が描かれています。

太宰治

 太宰治だざい おさむ (1909-1948)は青森県金木町(現・五所川原市)出身の小説家です。青森中学・弘前高校を経て1930年に東京帝国大学仏文科に進みます。中学の頃から同人誌活動を始め、上京後も文学活動を続け、井伏鱒二や佐藤春夫に師事しました。一方で当時非合法とされた左翼活動にも関わって実家から除籍されるなど、ふるさと津軽への思いは複雑なものがあったようです。

 太宰の出身地である金木郵便局の風景印についてはすでにご紹介しています。

太宰の蟹田滞在

 風景印のある蟹田は太宰治の紀行文学「津軽」(1944年)の舞台の一つです。小説中では「N君」とされている青森中学時代の友人である中村貞次郎の実家で宿泊し、蟹田の観瀾山かんらんざん で花見をしています。太宰治は蟹田に着いた時のことを「風の町」と表現しています。

 なお、太宰は蟹田滞在中にも執筆した原稿を蟹田郵便局から送っていたそうです。

 「津軽」については青空文庫にて読むことができます。

動画

 風景印には「太宰碑」と書かれている場所は、実際の碑文には佐藤春夫と書かれていますね。

地図

 記念碑は太宰がN君と花見をした観瀾山公園にあります。1923年(大正12年)に久邇宮邦久殿下(1902-1935)が訪問されたことから「観瀾山」の名称が付けられています。

碑文

かれは
人を喜ばせるのが
何よりも
好きであった!
 正義と微笑より
 佐藤春夫

 説明板が近くにあり、次のように記されています。

郷土が生んだ作家、太宰治の文学碑は、小説「津軽」に登場する友人Nさんこと、故中村貞次郎氏の尽力により、昭和31年8月6日建立された。太宰未亡人の美知子さん、長女園子さん、作家の井伏戦二、檀一雄、伊馬春部、小山清、北畠八穂ら多数が参列して除幕式が 行われた。
碑文の「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった!」は、太宰の作品「正義と微笑」 から井伏鱒二氏が選び、佐藤春夫氏が筆をとったものである。

 「正義と微笑」については青空文庫で読むことができます。

蟹田郵便局

 風景印は郵便窓口で郵便物を差し出す時に押してもらえる赤茶色の絵入りの消印です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらうことができます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらって差し出さずに持ち帰る(記念押印)こともできます。

 風景印は1983年(昭和58年)7月5日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?