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上杉鷹山顕彰碑 風景印と記念碑

 山形県米沢市にある米沢駅前よねざわえきまえ郵便局の風景印には上杉鷹山うえすぎようざん顕彰碑が描かれています。上杉鷹山は江戸時代の名君として名高い第9代米沢藩主です。

上杉治憲うえすぎはるのり(1751-1822)

 上杉治憲(隠居後に鷹山を名乗る)の銅像は、米沢城址にある上杉神社のものが有名ですが、風景印にある碑は餐霞館さんかかんという隠居後の住居跡に1960年(昭和45年)に作られた碑です。

 寛延4年(1751年)に日向高鍋藩主であった秋月種美の次男として生まれ、幼名は松三郎、上杉家とは遠縁でした。

 宝暦10年(1760年)、跡取りの男子がいなかった米沢藩8代藩主上杉重定しげさだ(1720−1798)の娘幸姫の婿養子となりました。10歳の時です。14歳の頃から細井平洲ほそい へいしゅう(1728―1801)に師事し、君主としての知識を磨き、その後の藩政改革に役立てています。

 米沢藩は飢饉などの影響もあり財政が危機的状態であり、1767年(明和4年)に藩主となると大倹約令を実施する一方、農地の拡大、米沢織につながる養蚕の奨励、学問所「興譲館」の開設など改革を実施しました。

 1785年(天明5年)には、35歳という若さで家督を重定の実子冶広に譲り隠居します。鷹山は隠居後1802年(享和2年)に名乗った号です。その住居は餐霞館といい、質素な暮らしを続けたとされています。

 鷹山公初入部200年を記念し庭園が1960年に整備され、顕彰碑が建てられました。顕彰碑には三坂耿一郎作の鷹山のレリーフと「なせば成る……」の歌が刻まれています。


記念碑の地図

顕彰碑は米沢城址上杉神社の南、餐霞館跡の庭園にあります


碑文

なせばなる なさねばならぬ なに事も ならぬは人のなさぬなりけり


米沢駅前郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1988年(昭和63年)1月18日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。


上杉鷹山公の風景印はこの1種類のみ
上には吾妻山と残雪が作る「白馬の騎士」が描かれています。

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