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日本の戦後処理(戦後レジームからの脱却)

2020年7月18日

「日本の教育では、戦争での被害者の立場は大いに語られますが、加害者としての「日本」は全く語られません。非難を受けても仕方がありません。
でも、日本によって被害を被った諸外国と和解できれば、最も良い解決策だと思います。」

(Shig)
ドイツも日本同様、今でも戦後補償で被害国ともめてるみたいです。
社会学者の宮台真司によれば、「ドイツは過去の行いを反省しているけど被害国に謝罪はしていない」そうです。

(参考)
ドイツ「債務削減しろ!」ギリシャ「じゃあナチ時代の賠償金36兆円払え!」←泥沼
https://www.huffingtonpost.jp/2015/04/07/greece-germany_n_7016182.html

実際にはドイツは謝罪もしているけど、日本の今後の進むべき道を考えると、なかなか示唆にとんだ意見ではあるなあと思います。

過去を真摯に反省し、過去と決別した新しい日本の姿を見せ続けることは大事なことです。しかしそこには日本の国益を守るという信念と、合理的なしたたかさも必要だと思うのです。
被害国の人々が「日本は過去酷いことをしたのだから、反省のしるしとして我々の靴をなめろ」的なことを言ってきたとしても、そんなことに従うべきではないし、従う必要もありません。

また日本人個人個人が被害国の人々に反省の態度を示したり、反省の弁を述べる必要もないと思います。それは国としてやるべきことだからです。もちろん個人の自発的行為としてそれをするのであれば、それは素晴らしいことですが。

大事なことは、過去を反省し、過去と決別することです。それは過去を忘れることとは全く違うし、ましてや過去の事実を隠したり、事実をねじ曲げたりするなどは言語道断です。

もう1つ大事なことは、直接的、間接的な被害者の方々の心の癒しです。
これが出来なければ、日本及び日本人が国際社会で尊敬され、誇りある立場を得ることはありません。
よく従軍慰安婦問題について、「日本はいつまで謝罪し続けなければならないのだ」という意見を聞きます。そこに欠けているのは、戦後国際社会は人権というものに対しての価値観が大きく変わってきたという事実の認識です。

海外では、人種、男女、LGBT差別撤廃のために有名無名の人々が多くの犠牲を払い、闘争、運動を行ってきました。そして「人類は全ての人が普遍的に持つ人権を尊重し守らなければならない」という価値観を打ち立てたのです。

LGBT運動の発祥の地であるサンフランシスコで従軍慰安婦の像の建立を議会が決議したのは、まさに象徴的な出来事です。

日本は国際社会に打ち立てられた、この新しい価値観にのっとり、戦争被害者の心の癒しと名誉の回復いう問題に、真剣に取り組まなければなりません。それが出来なければ日本の夜明けは永遠に来ないでしょう。

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「和解 これがポイントだと思います。被害者、加害者、敵、味方ときっちり分けて断罪すると残るのは様々な感情的なモノばかり。
被害国にも生き残りをかけて加害国に協力した人もいるでしょう。その人達も加害者として断罪することになる。悲しいことです。
断罪ではなく和解。謝罪し、受け入れること。」

(Shig)
長い道のりになりそうですねー。
中道の若手政治家が必要だと思います。謝罪と和解をしつつも、しっかり日本の国益を守って、長期的で具体的なビジョンを持ってる人間。
1人思い浮かんだ人物がいるけど、それ書くとフォロワー減るからやめときます。

「そうですね。
勇気を出して罪を認め謝罪し、
勇気を出してそれを受け入れることだと思います。
朴裕河先生の著書を読んで気づかせれました。」

(Shig)
自分の個人的な経験を思い返すと、罪を認めて謝罪する前は、悩んだり迷ったりしますね。今の日本がこの状態ですね。でも自分で決心して行動すれば、すっきりして、なんだこんな簡単なことだったのかと思いますね。

1990年代の後半まで、日本と韓国の民間企業の交流は非常に活発でした(私もエンジニアとして韓国にたびたび出張に行きました)。
韓国には日本の技術が必要で日本には韓国市場が必要というお互いの利益がありました。韓国の大メーカーの社員やホテルの従業員たちは熱心に日本語を勉強していました。

一方政治分野では、首相の靖国参拝、教科書、竹島、従軍慰安婦が問題となっており、韓国国内では大学生などの若者が日本への抗議デモを行っていました。このような状況下で日本は、経済産業分野で韓国への多大な貢献を言い訳にして、先に挙げた政治問題に真摯に取り組んで来なかった。
それが20年経って当時よりも深刻な問題となっている。この反省を生かさなければならないと思います。

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2020年6月15日

彼女は、個人を断罪しようとしている訳ではない。日本がポツダム宣言受諾で誓った「韓国、中国、台湾をはじめとする過去のアジアへの侵略を真摯に反省し、国際社会と協調して生きる」という約束を忘れて、歴史修正とヘイト、排外主義に走っていることについて、 日本社会に批判と警鐘を与えているのだ。
そしてこれは現在の国際世論を代表する声なのである。国連の人権委員会が 日本のヘイト是正を勧告したり、サンフランシスコ議会が従軍慰安婦像の設置を決定したことでもそれが分かる。
日本社会の一員という自覚があるのならば、これらの声に真摯に耳を傾け、今後日本はどうあるべきなのかを真剣に考えるべきなのである。
しかしいくら言っても分からない奴もいる。馬の耳に念仏である。ほっとくしか手がない。国際社会からの手痛いしっぺ返しを受けるまで。。

先にサンフランシスコ議会の話をしたので、サンフランシスコ(SF)という土地について少し説明を加えておきたい。SFはLGBTの社会運動の発祥地である。
レインボーフラッグは、LGBTの社会運動を象徴する旗として現在では世界中で使われているが、1978年6月にSFで行われたGay Freedom Day Paradeで初めて使用された。
その年の11月に、SF市の市会議員ハーヴェイ・ミルクが暗殺された。ミルクはアメリカで初めてゲイであることをカミングアウトした公職者で、SF市政執行委員として市長と共にゲイやマイノリティ差別撤廃を働きかけたが、同じ委員の男によって市庁舎内で市長と共に暗殺された。

ハーヴェイ・ミルクについては、彼の名がタイトルになったドキュメンタリー映画や伝記映画がいくつかのアカデミー賞を受賞したりしているので、ご存知の方も多いと思う。
彼はマーティン・ルーサー・キング牧師と共に、アメリカの人権活動を象徴する英雄の1人である。1999年には「タイム誌が選ぶ20世紀の100人の英雄」に選出され、2009年には大統領自由勲章を与えられている。
これらのことから分かるように、SF市は世界で最も人権について先進的で鋭敏な感覚を持った土地の1つなのである。
そのSF議会が従軍慰安婦像の設置を決めたことの意味を日本人はもう一度考える必要があるのではないだろうか。

彼女は「日本人と一括りにされたくない」と言われ、悩んでいると言っていた。その事についても一言。
昔司馬遼太郎の本を読んでいてこんな文章に出会いました。「江戸時代の庶民には、日本国民という意識はなく、自分たちは地方の行政官に仕える領民であると認識していた」というもの。

領民たちに「あなた方は日本国民なんですよ」と言ったところで理解は出来ないでしょう。民主主義とは何か、というところから教えてやらなければなりません。多分理解出来るまで400年くらいかかるでしょうね。
でも現代でも「民主主義とは何か?」という問いに即答出来る日本人はほとんどいませんね。私もその中の1人でしたが、アメリカ帰りの人に教えて貰いました。民主主義とは「意思決定に出来るだけ多くの人が参加する社会システム」だそうです。何で日本の学校では教えてくれないんでしょうねー。