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まだ挽回できそうな気がする。

友達と柿渋を作りました。

発酵して、ぷくぷく〜!
みんなで作業する時間に、とても癒やされました!


昔から、点と点を直線で繋ぐように動くところがって、それは限られた体力のなかでやるべきことを片付けるため身に付けた術のようでした。
また、そうやって自分の直線だけを見詰めて進むことで、自分の人生に他人が介入することを防ごうとしてきたのだと思います。

しかし最近、やっと体力も回復してきました。

そして、私は今、人と関わっています。
(どうしてこうなったのか、考えるほどに分からない。でも、楽しいということは分かる)

そのなかで、自分の都合だけで動けないケースに遭遇し、つまり「直線」の外側を少し体験して、そこには楽しみや苦しみ、いろんな心動かされることがあるようだと知りました。

この一ヶ月くらい、そのことを感じさせる出来事が多くて(というよりも、そういうアンテナが立っていたみたい)、来し方を後悔しては、将来を不安に思って…と不安定な日々でした。

でもね、私はこのままの勢いで、「直線」の外側をもっと知るべきと思う。

そうしなくては、どういうときに、どの方角から風が吹いているのか理解できないままなのだ。
日本の天気を予報するためには、中国大陸、太平洋、そのもっと外側の気象条件を見なくてはならないように。

外側はさぞかし楽しいことでしょう!辛いことでしょう!


長く連れ添うと、夫婦間での伝え方に工夫をしたり、関係性も変化したり…そういえば、そのご夫婦の現在の結婚年数と、私が生まれた頃の両親の結婚年数は同じ位かなと思いました。

もしかすると、私は両親が自分たちで考えて工夫する機会を奪っていたのかもしれません。

父の地雷を踏みそうな母親をホールドしながら、地雷を踏まれかけて反応した父の気を逸して事なきを得るという芸当を、私は小学生の頃からしょっちゅう敢行していました。
末っ子の私が何をしようと誰も褒めてくれなかったけれど、ほかにも、それぞれの言い分を理解できるように翻訳して伝える、泣く母を慰めるなども。

そうしてしばらくすると、両親はまた同じ事で喧嘩しようとするので理解出来ませんでしたが、あれは私が未然に防いでしまっていたから、夫婦間で解決すべき問題が消化できていなかったためなんですね。

私のことを優しいとポジティブに捉えてくれるかたがいるけれど、安易な優しさは所詮「易しさ」で、それは根本的な問題解決を遠ざける行為でもあるんだな。

では、本当の優しさって…?

迷子。


今考えると、私の行為はすべて自分のためのものでした。
両親の喧嘩に介入したのは、喧嘩によって誰かが傷付くのを傍観する自分を許せない(=自分の無力さを認めたくない)ためでした。
もちろん、自分の環境を平和に保ちたかったからでもあります。

しかし「優」は、「人」を「憂う」と書くことから、憂事に共感するだけの動きで、それ以上のことをするのは、ただのお節介、こちらの自己満足なのかもしれません。

たぶん私は、両親が自分たちで問題解決へ向かうのを信じて待つべきでした。
と、そこまでのことを小学生の私が意図的にしていたら、気味が悪いですね。笑

あの場では、両親も必死だったし、私も必死でした。みんな等しく頑張っただけのことです!

そして、お節介をしてごめんなさい!
(いつの日か、ちゃんと謝ろう。いつかな。)


普段はとても温厚なのに、夫婦間では激しく言い争う関係になることってよくあるみたいですね。

私は、そういう両親の姿を見て、子供心に「そんなに喧嘩するなら、別れたらよいのに(別れてほしい)」と思っていました。

それなのに両親も、ほかのご夫婦も長く連れ添っていて…
私には想像も出来ない繋がりがあるらしいと感じます。

本当に、本当に、まだまだ知らない感情だらけ!


長めの運転をすることがあったので、いろいろ考えてみたものの…
我に返れば、仕事は山盛りで。

自分がしていることを仕事にしていくためには、「直線」を見詰めて進まなくてはならないんでした。

でも、できるはず!
仕事をする、友達と会う、あと睡眠もしっかり!笑

重陽の節句は過ぎましたが、菊のお花を飾りました。

私の生まれ育ったのが「菊名」という地名だったので、なんとなく気になるお花です。

あと、香りが好き!



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島根県石見地方、川本町という人口3500人の小さな町地域おこし協力隊として、染織をしています。協力隊の任期後に作家として独立し、「石見織」を創立するために、日々全力投球。神奈川県横浜市出身。