吉野拾遺 校註者はしがき

小林好日 校註

はしがき

建武の中興ははかなく敗れて、南朝五十年は悲しくも痛ましい歴史を留めた。しかし、南朝の君臣によって開明せられた思想は永く社会の根底に流れて、遂に明治維新の動力となり、国家近代の発展の源流をなした。殊に君臣があらゆる辛酸を嘗め尽くして、孤軍奮闘した悲壮な事績は、夫自身哀婉極りなき詩篇であって、吉野拾遺は、その意味に於て吾々に優れた読み物を提供して居る。

吉野拾遺は松翁と名告る人が静かに世を逃れ人を疎みて、嘗て吉野に在りし時、後醍醐天皇より後村上天皇にかけて仕へ奉りし、多事なりし乱離の日のさまざまのことを思ひ出すままに書きつけたものである。ある時は涙をしぼり、ある時は憤り、ある時は微笑み、ある時はいひ難き懐かしさに充されつ世に在りしそのかみの日を見詰めて居るのである。もとより平安調物語の如き豊麗もなく、艶治もないが、しかしそれだけに更に深い悩みと憧れと虔しさとを持ってゐる。

この書或は後人の偽作にかかるといふ説もあるが、その文辞の当時の体を伝え、記載の事実の往々史伝系図の欠を補ふに足ることを見れば、俄にその真偽を疑ふことは早計である。ただ、貞享板行の三巻本の下の偽書であることは定説があるから、二巻の諸本に就いて参照校訂し各節の標目だけを貞享本から鼇頭(ごうとう)に加へることにした。語法、語格の誤は当時の習慣であらうが、本書は教科用に編した為に、概ね中古の語法に由り、通例の語格に従って改めた。

大正十一年十一月 編者しるす

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