これから30代を迎える人のためにもうすぐ40代になる私が伝えたいこと

これから30代を迎える人のためにもうすぐ40代になる私が伝えたいこと

タイトルが何かやらしさ満載だが、書いている私は本気で伝えたいことがありすぎて気持ちが溢れ出そうなくらいだ。私は今39歳で、今年の7月の誕生日を迎えると40歳になる。嘘でしょ?って正直思ってる。本気で。

一生40歳なんてこないなんて思ってた。でも来ちゃう。ありえない!と。でも来るものはもうしょうが無い。まだ理解したくないのだが、40歳になるころには理解できているだろう。そう信じて7月までの7ヶ月間を前向きに生きていこうと思う。

大した経験は私自身はしてきてないと思っている。でも周りの方すると私は経験値が他の39歳よりも多いらしい。だから話を聞きたいと言われたり、相談も受けたり、何度もイベントなどで呼ばれてお話させてこともある。

自分ではわからないが、周りからよく言われるということはそれなりに経験値があるのだなと納得せざるを得ない。ということは、この経験値を私の中だけでしまっておくのは勿体ないと思った。こうやってnoteで毎日コツコツと投稿しているのだから、もっと多くの人に深く経験をお伝えでき、それが誰かしらのお役に立てればこんなに嬉しいことはない。そう思い立って、こちらのnoteでタイピングを走らせて今このnoteを書いている。


はじめに

私の経験を簡単に言うと、高校卒業後に家庭の事情から大学は行けずに専門学校に入学。その後九州を出て関東で就職して働きながら通信制のある大学に編入学して卒業。32歳で九州へUターンして、35歳でそれまでの小売業からIT業界へ職業訓練校を経て転職。転職すると同時に新会社の運営に関わり、現在2社目の新会社立ち上げに参画中。仕事は、16歳からアルバイトで始め、正社員で働きだす20歳ちょっとまで20種くらいの様々な仕事をアルバイトで経験。ワーキングホリデーでオーストラリアに1年近く滞在したり、副業やNPOでの活動も積極的に挑戦中。

全然簡単に言えなし、もっと言えることが有りすぎてここではもう書かないがかなりの経験だけはあるようだ。そんなもうすぐ40歳になってしまう私から、もうすぐ30歳になる方々。また今20代前半で将来が不安だったり、今バリバリの30代で何すれば良いかでお悩み中のあなたまでにもご参考になる内容だと思う。ぜひ真似でも何でも良いので、何か一歩、いや半歩を踏み出すきっかけになれるよう本気で書く。ぜひ最後迄読んで欲しい。


#これから30代を迎える人のためにもうすぐ40代になる私が伝えたいこと

30歳の時、私は関東にある東証一部上場の大手食品スーパーで青果部チーフとして働いていた。会社の業績も順調だったこともあり、毎日かなり忙しかった。新店舗も年間5店舗くらい出来るので、そこに応援に行ったりもするし、新店舗出店に伴い異動も多かった。

忙しいだけでなくしっかりと給与にも反映されていた。賞与は夏と冬の年2回にプラスして決算賞与も支給される。年収も年々20万円ほど上がっていたし、プライベートも問題なく子供健やかに成長していき順風満帆と言っても良かったかも知れない。

①忙しすぎるくらいでないと給与は上がらないし知識経験も身につかいない

しかしその一方、これで良いのかという気持ちが半端なくあった。30代前半という大事な時期に、小売業という凄く閉鎖的な業界で、今いる場所でしか働くことが出来ないスキルばかり高めているようにも感じられたからだ。

②その企業だけで必要な知識経験だけでなく、どこでも必要な知識経験を付けるべき

これで良いのだろうか?とても悩んだ。

その後友人であり同僚であり同い年の方が30歳という若さで「脳梗塞」を発症した。これは衝撃的であった。私が8歳の時に父が過労で亡くなっているのも有り、その方と父親がダブってしまったのだ。それがきっかけでどうにかしたいと考え出し、会社の労働組合に入ることにもなった。その後「笑っている父親を増やそう」と活動しているファザーリング・ジャパン九州へ入るのもここがきっかけとなった。

③生きていると今まで予期していなかったことが起こる

それに東日本大震災が日本を襲い、生きている感じがしなかった日も続いた。運良く直接的な被災は免れたものの、なぎ倒されたお店の中の商品が店中に散乱する状況で自身の将来をより深く考えることとなった。「絆」という言葉が日本を駆け巡り、前向きな気持には時間の経過と共になっていったが福島原発の放射能漏れで起こったホットスポット区域に私の自宅が入っていたり、輪番停電でお店や自宅が強制的に電源を落とされるという経験もした。その際真っ暗で動いてない信号機のある交差点で、危うく事故にも合いそうだった。

④つらい経験が人生にプラスを与えてくれる

ただ悪いことばかりではない、労働組合に入ったことで今まで知らなかった世界を知ることになった。それは会社の外の世界だ。他の労働組合との会合に参加したりすることが月1回程度だがあったりして、色んなバックグラウンドの方と話す機会を頂けたのだ。またこのお陰で、他の労働組合と合同でアメリカ西海岸への店舗視察ツアーにも参加することが出来た。

⑤思い立ったら先ず行動するべき。それが次のアクションに繋がる

震災がもとで同じマンションに住んでいて、今まで話したこともない方と話すことも増えていった。震災という同じ経験をしているからこそ、共通の話題が有り話もすすむ。よく話すようになると仕事の話まですることになり、過去や今、そして未来はこういうことをしていきたいと前向きな話まで膨らんでいった。これらの経験は私の考えや行動に、間違いなくプラスを影響を与えてくれたのだ。

ただ残念なことに、私を育ててくれた実家に住んでいる祖父が病に倒れた。私は父が早い時に亡くなっているので、祖父が私の父親代わりをしていてくれたのだ。その祖父が、、、となると、答えは明確だ、Uターンして実家に帰ろうとした。実は震災の余震の影響で5歳の娘がかなり不安定だったのだ。それもあり帰ること決め、妻を説得し始めた。すぐには「うん」と言ってくれなかったが、約1年度に娘が幼稚園から小学校に上がるタイミングでUターンして九州に帰ることにした。

⑥仕事に家庭に自分だけではない人生がある

これは私にとって、かなりの決断であった。震災の余震や祖父のことはあるとは言え、仕事としても問題なく、プライベートも充実していた。その状況を捨てての九州へのUターンだ。妻が反対しても何もおかしいことではない。そこをお願いして帰るのだから、勇気もいるし決断にも力が必要であった。

⑦大きな決断も勇気を持ってしよう。失敗なんてない

33歳で地元北九州にUターンした。仕事は関東時代にご連絡頂いた方からのご紹介も有り、同じ小売業界への転職だった。しかしながら、当初の話とは違い店舗管理か青果バイヤーの仕事どちらかの話になった。そこで両方とも経験させてもらい、店舗管理の仕事を選択して副店長として地元での業務開始した。関東の時とは大違いで、アナログのものも多く、それに会社のシステムも昭和に戻った感じがしてならなかった。でもそれが逆にチャンスだと思い、前向きに仕事をこなした。

⑧理不尽なこともあるがそれはプラスにも変えられる

2年半が過ぎたあたりで、私は35歳でもう30代も半分を過ぎた。そこで考えたのは「このままでいいのだろうか?」ということだ。仕事にもなれ、給与や休みは決して嫌ではないがどうしても「このままでいいのだろうか?」ということが付き纏う。相当な時間を使って考えを巡らせてみた。その中でどうして私は小売業を選んだのかを考え直した。私は元々高校時代にフリーマーケットで自分のお店を出したことがきっかけで、販売職という仕事を自分の生業にしたいと思った。

関東時代はそこそこ売れるお店の青果チーフだったこともあり、沢山商品が売れて売れる数をパソコンで追うのが好きだった。しかし地元の中小のスーパーということで、関東時代のあの売れた感、売った感がとてもではないがほぼ無くてつまらないとも感じていた。ということは、これは転職かと考え、その転職という言葉が頭をよぎった。しかし子供も小学生、妻もいて一応大黒柱。そんな挑戦を誰がゆるしてくるのか考えた。ただでさえ関東からUターンしているに。。。

そこで色んな仕事や業界業種を調べたり、どんな状況が自分の理想なのか書き出したりしてみた。まさに自己分析と業界分析というやつか。年も年だけに本気モードでやりつつも、懐かしく学生気分で読み漁った。その中でいくつか出てきた。その一つが「IT関係の仕事」だった。好きな時間好きな場所で働き、そこそこの給与を貰えること。それに私が20代で職を探す際に、小売業界かIT業界で職探しをした。当時ITブームで、サイバーエージェントやライブドア、それに楽天がフューチャーされていてIT業界にも興味があったのだ。10数年越しの挑戦となるが、IT業界へ入ろう決めた。

⑨自己分析や過去の経験を振り返ろう。出来れば3ヶ月に1度はするべきだ。見えないものが見えてくる

スーパーで働きながらそんなにお金も時間も無かったので、どこでも低価格で気軽に学べるUdemyというオンライン学習プラットフォームで勉強を始めた。この学びがきっかけで、なんとUdemyの本社であるサンフランシスコからメールを頂き、オンラインで打ち合わせをして私が学んでいることを記事にしてもらった。それから3〜4回くらい実は記事にしていただいている。最新記事はこちら

⑩新しいことを始めると新しいことが降ってくる

その頃から転職を具体的に考えだしたのだが、関東の食品スーパーで働きだしてからというもの仕事漬けの毎日だったのでちょっと小休止を入れようと仕事を辞めて失業保険をもらいながら学校に通おうと決めた。無事退職も出来、毎日Udemyで学びながらハローワークにも行っていた。そこで新しく良い情報を仕入れることが出来た、それは職業訓練校という制度があるということだ。学校に通いながら失業手当をもらえるということで、これが一石二鳥だと思いそうすることに決めた。簿記などの事務系から、溶接などを学べる学校ある中で、たまたま良いタイミングで「IT系の講座」があった。これに行こうと申し込み、会社を辞めて少ししてから通い出した。

⑪何かをすると何かに気付く。何でも良いので始めてみよう

半年のコースだったので、学べたり人生の小休止を入れる良い時間を神様から頂けた気分だった。この間金銭的には妻には少し迷惑を掛けることになったが、妻も働いていたので妻の給与と私の失業手当で無理すること無く食いつなげた。そこで良い流れも生まれた、私がそれまでは基本平日休みだったのだが、学校行きだしてというもの土日祝日休みになった。土日に妻や娘と出かけることがほぼ無かったのを考えると、妻も娘も喜んでくれた。思いもせず私の時間軸の変更が、家庭状況もそれよりも良くなったのだ。

⑫人生に小休止は必要。思い切って時間を取ることも必要。100年時代なのだから、1年位休んでもどうってことない

自宅や学校で学習をするだけでは飽き足らず、リアルのイベントや勉強会にも参加させてもらうことが増えていった。ストアカでの講座に参加したり、Facebookからのイベントや週2ルール(週2回夜出かける)を守りながら色んな人と交わることでそれまでの閉鎖的な世界から大海原へ航海をしだしたような、広く今まで見たこと無い世界を知ることとなった。そこでUdemyのあるサンフランシスコに行きたいなと思いだしたら、偶然にも素晴らしい取り組みを見つけた。それが福岡市のグローバルチャレンジ事業だ。早速応募させてもらい、日本での研修を受けた後にサンフランシスコに合計で100名くらいで行くことになった。※3回に分かれており、私の回は30名ほどで現地へ行った。

⑬思い立ったが吉日。その勢いのまま走ろう

ここでの経験がとんでもなく素晴らしかった。なんとオンラインでしか話したことが無かったUdemy本社の方と、実際に現地サンフランシスコで会う機会を頂けたのだ。初めて会うのだがまさに感動の再開のような気分だった。そして一緒に行った仲間とは今でも頻繁に連絡を取り、お互いに刺激しあっているというのは言うまでもないだろう。※Udemy 本社訪問も記事してもらった、記事はこちら

⑭仲間は大事。相手が年下でも敬意を持って接しよう

学校にイベントに家族との時間に、35年間生きていた中で一番刺激ある半年間を過ごしている間に仕事も決まった。勉強会などに参加していた時に、その会の主催者であるフロイデというIT会社の社長に直接直談判したのだ。「人募集していますか?」と。すると「エンジニアは無理だけど、新会社のフロイデールの運営をしてもらいたい」と言われ、中途で未経験でしかも小売からITなのにいきなりIT会社の事業運営をすることになった。それまで副店長としてPLやマネジメント管理をしていたので、最初こそ戸惑ったものの数ヶ月で慣れることが出来た。経験はいつか役立つものだと実感した。

⑮過去の経験が生きてくる。失敗なんて恐れるな。やらないことが失敗だと思おう

営業も経理もなんもかもほぼ1人でしなければいけなかったので凄く大変だったが、毎日刺激的でとても楽しかった。色んな人と会う機会も劇的に増えていったのだ。以前は名刺を持っていても、年間で交換する人は10数名くらいだったが、その年から今でも引き続き年間1000枚くらい交換させてもらっている。お陰で名刺管理のEightには大変お世話になっていると感じる。それにFacebookの友人も2016年には50名くらいだったのだが、2020年1月時点で2000名を超えた。友人の数が多ければ良いものでもないが、知っている多くの方々の投稿を見るだけで自分も頑張ろうとやる気が出てくる。昨年からはTwitterも久々に始め、結構最近はTwitterを使うのにも慣れてきた。

⑯数値で見るのも大事。数が増えると人間皆ワクワクするもんだ

本業で働いてる会社ではIT研修事業を運営していたのだが、そこで自分自身をより見つめ直すきっかけにもなった。それはこの研修というもの、つまり人が成長していくというのを見るのがとてもワクワクするのだ。そこでストレングス・ファインダーというのを勧められてやってみたところ、私自身が教育者に向いているということも判明した。なるほど、だから仕事は大変でも楽しいんだと腑に落ちた瞬間だった。

ストレングス・ファインダーをやってみよう。過去の経験が今の自分を作る

しかしながらこのIT研修事業も中々うまくグロース出来なかった。仕事はやりがいもあり楽しいが、それと会社が稼ぐとはイコールではないのだ。そういう話を社内でしていたところ、新しい話が舞い込む。それは障害者支援事業の新規立ち上げの話だ。「高橋さんは向いてるのでは?」ということも言われ、新会社立ち上げに乗ることにした。それが2019年8月より働いているフロイデカムラックだ。これは私のいた会社とカムラックという福岡で障害者支援を行っている会社とのジョイベンで始まり、私の地元北九州で開設した。

そこで働きだして2020年1月現在でもうすぐで半年だが、この道30年近くのベテランの方から「高橋さんはこの仕事向いている」と言われた。これは凄く嬉しかった。ただ障害をお持ちの方の支援は正直メチャメチャ難しい。働くことを支援するのだが、そもそも施設に来ることも出来なくなる人も少なからずいるのだ。しかし施設に来てもらって一緒に成長していけるというのはたまらなくやりがいがある。ふと思い出したのが、関東での食品スーパー時代だ。当時春には新卒、秋には中途入社の人を現場教育担当で預かることが多かった。その数が年々増えていったのだ。それには理由もあり、自分がそこそこ彼らを成長させて送り出していたことと、周りの同じ立場の方々が新人教育を嫌だと断っていたのだ。

⑱嫌がる人が多いことこそ率先して挑戦するべき

それもあり毎年1人面倒を見るのが、2人、3人と年を重ねることに増えていった。正直右も左もわからない人を教えるのは大変だが、大体一ヶ月もするとお互いに慣れていき、一緒に働くのが楽しくなるのだ。この経験が今でも活きているのではと考える。そして障害をお持ちの方が社会でより活躍できるように、今後も支援していきたいと決めて出向で今の会社に来ていたが、2020年1月より片道切符で転籍させてもらった。2020年は彼らの成長をサポートしようと決めた年でもある。

⑲難しこともなんでも人間慣れてくるもの。最初こそ気軽に考えよう

こういったサラリーマン生活をしながら、他にも活動を色々としている。例えばこのnoteもそうだ、2018年10月より毎日休まず投稿しておりnote継続も365日を超えた。またnoteを書くチーム書くンジャーズではリーダーをさせてもらっている。それにストアカ講座も始めた。

また6年ほど前に入ったファザーリング・ジャパン九州では現在理事をさせてもらっている。そこでこのパパ会のメンバー紹介ファイルも始めた。会員同士の交流と、発信をさせてもらう取り組みだ。それに合同会社YOCTOという友人がやっている会社にもジョインしている。会社や個人が何かをやりたいといった時に、サポートする事業を代表の松村とタッグを組んでさせてもらっている。それに子供向けプログラミング道場であるCoderDojo北九州の運営もしている。また起業家支援施設のコンパス小倉ではサポーターとして、起業家や新規創業のお手伝いもしていたりする。

⑳1つ始めると2つ目が始まる。2つ目が始めると3つ目が始める。先ず1つ目を初めてみよう

ちょっと長くなったが、2020年1月現在、39歳と6ヶ月の私は30代をこう生きてきた。少し端折ったり、もっと他にも付けたいことあるがとても終わらそうなのでここで終わりとする。ポイントだけは押させているだろう。9年と半年という長くて短い時間なので、とてもではないが書き出すとここには書ききれない。

㉑10年はあっという間だ。後で後悔しても遅い、今始めよう

今後始める新事業も考えていたり、もう密かに進めていたりするのもある。ただ、これだけ色々と出来るようになったのも周りの皆様のおかげであり、とてもとても感謝している。それに、今までの過去の経験がかなり活きていると感じる。それは、挑戦することやってみることは決して無駄ではないということだ。今すぐに役に立たないとしても、いずれ役立つことがあるということも、ここまで読んできた方であれば私の経験からもハッキリ分かるだろう。

㉒周りに感謝しよう。1人で生きているのではない、皆と一緒に生きている

スティーブ・ジョブズも言っていたが、その時は点でも、その点が線になり、いずれ面になるということだ。人生やればやるだけ点が増え、それがいつか繋がっていくのだ。

これは大前研一さんだったか、人は今を変えるのには3つしか無い。その3つは、

1:住む場所を変える
2:時間軸を変える
3:付き合う人を変える

ということだ。今が嫌であれば、強制的にこの3つを変えることにより新しい世界が拓けるのだ。私も引っ越し、自分を見つめ直そうと人生の小休止を入れたこと、それに新しいことを始めようとしたことで結果この3つの全てを変えることが出来て今がある。

㉓先人の知恵を借りよう。本を読み漁ったり素敵だと思える方を参考にしよう

ただ決して前が悪いわけでもなんでも無い。ただ次のことへ、見たことない世界を見ようとしただけだ。すると新しい世界があったのだ。今に苦しんでいるならば、あたしい世界があり、目の前だけが全てではないと言うことを最後に伝えたい。

㉔目の前の世界が全てではない。新しい世界もあるから悲観するな
㉕諦めずにやり続ければ何かしら結果は付いてくる


まとめ

①忙しすぎるくらいでないと給与は上がらないし知識経験も身につかいない

②その企業だけで必要な知識経験だけでなく、どこでも必要な知識経験を付けるべき

③生きていると今まで予期していなかったことが起こる

④つらい経験が人生にプラスを与えてくれる

⑤思い立ったら先ず行動するべき。それが次のアクションに繋がる

⑥仕事に家庭に自分だけではない人生がある

⑦大きな決断も勇気を持ってしよう。失敗なんてない

⑧理不尽なこともあるがそれはプラスにも変えられる

⑨自己分析や過去の経験を振り返ろう。出来れば3ヶ月に1度はするべきだ。見えないものが見えてくる

⑩新しいことを始めると新しいことが降ってくる

⑪何かをすると何かに気付く。何でも良いので始めてみよう

⑫人生に小休止は必要。思い切って時間を取ることも必要。100年時代なのだから、1年位休んでもどうってことない

⑬思い立ったが吉日。その勢いのまま走ろう

⑭仲間は大事。相手が年下でも敬意を持って接しよう

⑮過去の経験が生きてくる。失敗なんて恐れるな。やらないことが失敗だと思おう

⑯数値で見るのも大事。数が増えると人間皆ワクワクするもんだ

ストレングス・ファインダーをやってみよう。過去の経験が今の自分を作る

⑱嫌がる人が多いことこそ率先して挑戦するべき

⑲難しこともなんでも人間慣れてくるもの。最初こそ気軽に考えよう

⑳1つ始めると2つ目が始まる。2つ目が始めると3つ目が始める。先ず1つ目を初めてみよう

㉑10年はあっという間だ。後で後悔しても遅い、今始めよう

㉒周りに感謝しよう。1人で生きているのではない、皆と一緒に生きている

㉓先人の知恵を借りよう。本を読み漁ったり素敵だと思える方を参考にしよう

㉔目の前の世界が全てではない。新しい世界もあるから悲観するな

㉕諦めずにやり続ければ何かしら結果は付いてくる

「これから30代を迎える人のためにもうすぐ40代になる私が伝えたいこと」ということで、今年で40歳になる自分がこれから30歳になる方へお伝えしたいことをまとめさせてもらった。

自分が全部できているわけでも成功しているわけでもないが、この24個くらいは事前に知っておけばそれなりに知らないよりは良い30代が遅れるのではないかと思う。私の本当の経験から言えることなので、ぜひご参考にして頂けるとこんな嬉しいことはない。


さいごに

ここまで読んで頂き、どうだっただろうか?

もし何か感じたら、ぜひここのコメントにでも書いてもらいたいし、私のTwitterにでもDMでお伝えしてくれれば嬉しい。ぜひ読んだだけで終わらせずに、次の一歩、半歩でいいので何かのきっかけにしてもらいたい。

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ボーっとしていると30代は20代よりもあっという間に過ぎていく。

それを経験している私が言うのだから、間違いないと思って欲しい。ボーっとするのもたまにはいいが、素晴らしく思い出深い30代を過ごしてくれ!

きっと良い30代を過ごせることを願っている。ヨロシク!


おまけ

私が人生で感銘を受けた書籍をいくつか載せておきます。もしよければ合わせて読んで頂けると嬉しいです。







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