カッコつけるより、カッコ悪いことも晒したったほうがファン化しやすい
ひとつ前で、『NHK「100カメ」を見て、ZOZOの裏側を見たらなんだか情が移った話』という話をしているのですが。
ZOZOの日常も面白いし、番組構成も面白かった。
てんやわんやの裏側も、しれっとカッコつけてなかったことにするより、カッコ悪くてもオープンにするほうが見ている人の応援を集められると言う話。みんながみんなそうとは言えなくても、少なくともわたしはそう感じた。
裏側は人間ドラマ。悩んだりケンカしたりしながらも、ひとつの目標を達成するために多くの人が尽力している姿に胸熱。
誰だって、小学生から運動会とか合唱コンクールに情熱を注いで泣いたり笑ったりしてくるので、あれって人間が集団生活する上で刷り込まれるんだろうな。
一方で、そこを『見せない美学』も当然ある。
例えば新宿伊勢丹でフロア面積占めているラグジュアリーブランドがさっきまで裏で縫ってました!って言われたら引くし。
でも、ファッションショーの裏側のバタバタとか、秒でフィッティングしている様子なんかはメイキングで見られると血が騒ぐ。ので、どのフェーズかによる話なのかな。
ものづくりの現場は熱量が見えるほうが圧倒的に強い。
ZOZOは物販とは言っても、今を先駆けてる”ITビジネス”。
ベンチャー気質だしスタッフも若いから、そのバタバタも個人の悲喜こもごももエンタメになる。わたしはエンタメが見たい。
とはいえ、まだまだ続くこれまでの価値観
わたしは最近、製造業の見学や取材を繰り返しているのだけど、撮影禁止や口外禁止がとても多い。自社開発でない限り受注生産が主だから、クライアントから預かっている商品を見せられない。というのはデザインの仕事でもよくあることなので、よくわかる。
ただ、それ以外の、自社の技術や設備も公開できない、と言う声も多い。どこのメーカーのマシンを使っているか、どんなやり方とか、見せたくないと言う。
まだまだ職人の世界なのでいろんなことが『門外不出』なんである。なぜなら、受注産業は常に同業他社との仕事の奪い合いだから。同業他社に手の内を明かすことは、イコール仕事の減少につながりかねない。
今まではそれが当たり前だったし、わたしもそう思っていたし、言っている意味はよくわかる。しかし、果たしてずっとそのスタンスでいいんだろうか?とも思い始めていた。
ベンチャー企業や、ネットやプログラミングの世界では、もはやオープンソースが一般的。できたものをすぐ公開する、または過程すらも公開している。知識も技術も個が独占するのではなく開いていることで、また同業他者が持っている技術や能力を掛け合わせることができ、開発がハイスピードで生んでいく。業界全体でスケールアップしようという考え方。
もちろん馴染みのない当初は驚いたけれど、その価値観が身についてくると、今度はクローズドな世界に違和感を感じるようになる。
応用できないかな?と考えてみる
当然どの業種業態でもオープンソース的な考えが通用するわけではない。けれど、この1、2年だけでも思いがけない変化が続々と起こっている社会で変わらない『守り』のスタンスが必ずしも答えではない。
その姿勢を貫いていくことで結果首を絞めることになるんじゃないか。とすら思ってしまう。
斜陽産業といわれる業界では、時代のニーズの変化だけでなく、多かれ少なかれ「閉じた」業界特性があったりする。
斜陽だから、どこもあの手この手で盛り返そうとしている。だけど、クローズドだから、全然知られていかない。販路を増やすとか、営業すると言っても、今までと同じ相手や同じ市場にしかアプローチしていないわけで、それは広がらない。効果の見えにくい努力に、もやもやする。
技術や設備は公開できない。
でも「人が働く姿」は公開できるんじゃないか?
ZOZOみたいに。
頑張っているを応援したくなるのは、たぶん人間の性である。
自分の置かれた状況でできるように応用して、活かせるように考えてみたい。晒すということ。
もしもサポートいただけましたら、私もまた他のどなたかをサポートしてサポートの数珠つなぎをしていく所存です!!