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【米国ミステリ】 ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』に読む、現実

ザリガニといえばアメリカザリガニだ。

先日、はじめてのnoteへの投稿では、とある中国SF作品を紹介した。ここでは、それととても対称的なアメリカの作品について、SFでもなく、今年でもなく去年の本なのだが、忘れないうちにおすすめしておきたいと思う。

ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)』だ。一昨年のアメリカ国内でのベストセラーの邦訳であり、昨年、話題となった。なんと70歳の女性動物学者によるデビュー作というのだから驚きだ。作品のジャンルは、近代推理小説の祖ポーに始まるアメリカンミステリーとされるが、自然と人間、社会を対比させて描くマーク・トウェインやヘミングウェイにも通じるアメリカらしい文学作品ではないだろうか。70歳過ぎの学者による処女作、物語の舞台である自然環境が重要な小説といえば、ブラピ主演で映画化もされた『マクリーンの川』があるが本作の映画化予定はどうなのだろう。

やはり、こういう作品が一番売れるという現実に、つくづく日本とのちがいを実感させられる。この本をおすすめするターゲットだが、物語が主人公の女性の成長譚でもあるので、やはり思春期の女性になるだろう。もし年頃の娘を持つ親ならば、一緒に読んでみるのもいいかもしれない。

題名にもなっている“ザリガニの鳴くところ”の意味は、作品途中に出てくるので、楽しみにしながら読み進めて欲しい。ノースカロライナ州の自然豊かな湿地で、ある死体が発見されるところから物語は始まる。アメリカ南部、海辺の小さな村で起きた事件の容疑者であり、村人から“湿地の少女”と呼ばれる白人女性が主人公だ。

この作品の醍醐味は、主人公の生い立ちと成長、そして事件の真相が明らかになる過程で、現代アメリカの社会、人生、家族、共同体の「現実」に対する問題意識を絶妙に気づかせてくれるところだ。そして、そうした“絶妙さ”は、著者の人生経験からきているのだろうし、物語の舞台として美しくも悲しくもある湿地という自然を脳裏に現実化させる、動物学者ならでは描写力にあるのだと思う。

主人公は、自然の営みについて次のように考えている。

そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけなのだ。たとえ一部の者は犠牲になるとしても。生物学では、善と悪は基本的に同じであり、見る角度によって替わるものだと捉えられている。

ある意味「現実」の正しい見方ではないだろうか。フェイクニュースがはびこっている昨今、本当か否か、間違わないように物事を捉える難しさが増している。多様性の時代とはいえ、人はなかなか価値観の相違を認められないし、こうした現実に対する認知・理解は、いつの時代も人間にとって本質的な問題だろう。

また、作中では主人公が読み書きを習得する過程で、いくつか「」が引用されているのだけど、これに注目して読み進めることをおすすめする。たとえば、主人公お気に入りの詩として、次のようなものが出てくる。

———求めるのはただ、白雲の流れる風吹き渡る一日             叩きつけるしぶきと舞い散る泡沫                      それにカモメの呼び声があればいい

詩を読み味わうことは、主人公の成長のあかしでもある。詩に心情が投影される。おっと、これ以上のネタバレは厳禁。もちろん、読後に余韻ある結末が待つので、ぜひ本書を手にとって自然と人間社会のリアルに触れてみてはいかがだろうか。


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