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ぶっ飛びな古のヨガの聖人。肉体は消耗品

渋谷のゴールドジムのスタジオで受けたヨガのレッスンが
サイコ~〜!でした。

シャバーサナ(屍ポーズ。クラスの終わりに必ずある仰向けで寝るポーズ)から起きあがり、先生が、コーーーーン とボウルか鐘のようなものを鳴らした瞬間、心がぐわーーんって震えた。

なに、これーーー!!

そんな不思議な感覚を体験できるのが、ヨガの不思議。体を整えるために参加したけど、心のほうが整ってしまった、なんていうエクササイズがヨガ以外にあれば教えてほしい。しかもジムで気軽に受けられるって、なんていい時代。やっぱり東京はいいなー(一方で、2拠点ライフで田舎に住みたい願望有り)。

そうやってヨガの世界を掘っていくと、ヨガ哲学なるもに出会うことになる。ヨガ哲学が学べる聖典はいくつかあるんだけど、それらを読んで修得&実践するのは難しくて、現代のヨガの先生たちの講座を聞いたりして、少しづつ知っていく過程。その中で、最近、ちょっと驚いたことがあったから、書き記しておきたいと思った。

ヨガって何?っていう究極の質問に、ヨガの世界では“馬車”を例えて説明することがよくあるんです。(最近は馬車をクルマにアップデートした例えのほうをよく聞く)。

そこで何を言っているかというと、マインド、魂、肉体の関係

で、この私の体は、「それって全然キミじゃないよ。単なる容れ物だよーー」って言ってるんです!普段みんな「これが私よ」って思ってる、体も思考(マインド)もぜーんぜん“自分”じゃないからねーー。って。

ちなみに、馬車の例えでは、肉体はクルマの筐体のみで、ご主人さま(これが本当の自分)は後部座席に乗っている感じらしい。そして運転手がマインド(思考、脳で考えること)にあたる。

えぇ、脳とか思考とか、意志とかも”自分”じゃないんだぁ。

じゃあ!!「本当の自分」ってなんなの?という問は、また長くなるので別の機会に。

その証拠といっちゃなんですが、さっき触れたヨガ哲学の書物。

めちゃくちゃ大元にして重要度マックスなものに、ヴェーダ(ウパニシャッドが収録されている)やマハーバーラタ(バガヴァッド・ギーターが収録されている)があるが、編纂者が同一人物なんです。

それがどうしました?と思うかもしれませんが、この二つの書物、はじまりから完成まで何世紀にもまたがっているんですーーーー!
ヴィヤーサさんという聖人で、推定年齢ウン千歳!!

しかも、それから更に後期に書かれた、ヨギーたちのバイブル“ヨーガスートラ”のパタンジャリ聖人にいたっては、インドの各地に肉体を脱ぎ捨てたという場所がいくつかあるんだってーー。

思わず“蛇の脱皮”を想像してしまいましたよ。

結局、何がいいたいか。
めちゃくちゃ簡単に言うと、(しかも私の意見)、“老いたり、太ったり痩せたり、外の世界に影響されて変わったり、幸せになったり不安になったり、そんなころころ変動するものは「本当の自分」なんかじゃないんだよ。“本当の自分”ってやつは、普遍であり、何にも傷つかず、めちゃくちゃ満たされた存在。ヨガを練習してそれに気づいていきましょうね。そして、その存在と一体化しちゃいましょう!”ということ(らしい)。

聖人とは悟りに達した人を言う。肉体を脱皮できるレベルの人。太古のヨガの聖人のスケール感ハンパない。

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