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なぜ批判を受けたか?金融庁「人生100年時代」レポートを読み解く(中編)

金融庁「人生100年時代」レポートを読み解く(前編)では、主要なメッセージや、その前提として、日本社会の構造変化をどのように捉えられているかにについて読み解きました。

今回は、「老後に2,000万円が不足する」という数字が一人歩きし、「人生100年時代」レポートが"炎上"してしまった理由を考察したいと思います。

金融庁「人生100年時代」レポートを読み解く(前編)で見たとおり、統計データから高齢者の夫婦世帯の毎月の収支の平均をみると、収入が約21万円、支出が約26万円となっており、月に約5万円が不足しています。この不足分は、自分自身の金融資産を取り崩すことで補われています。

これをベースに、一つの目安として敢えて単純計算すると、豊かな老後の生活のために毎月5万円を取り崩していくためには、30年間で2,000万円程度の金融資産が必要という試算になります。

平均値の罠

この単純な試算が、なぜこれほど多くの批判を受けることになったのでしょうか?その理由は、日本社会の実情を把握し、政策を議論する上で、統計データの平均値が持つ納得感が乏しくなってきたからではないかと思います。

本来、社会の実情を把握したり、政策を議論する上で、平均値を用いることは極めて有効です。平均値のような数字を用いることで、感覚的な議論に終始することを防ぎ、客観性な論拠を持たせることができるからです。

しかし、平均値を使うことが有効であるためには、一つの大きな前提があります。それは、多くの人たちが「自分は社会の平均に近い」と思っているということです。

かつて、日本には「一億総中流」と言われていた時代がありました。そのような時代には、多くの人が自分は社会の平均に近いと思っているため、平均値を用いた政策の議論が効果的だったはずです。

世界がもし100人の村だったら、平均値では実情を把握できない

その正反対にあるのが世界全体です。今から20年ほど前に、現実の世界を100人の村になぞらえた「世界がもし100人の村だったら」という文章が有名になりました。その中に、例えばこんな一節がありました。(注1)

75人は食べ物の蓄えがあり
雨露をしのぐところがあります
でも、あとの25人はそうではありません
17人は、きれいで安全な水を飲めません

このような「100人の村」では、一人あたり平均して、どの程度の食べ物の蓄えがあるかを計算しても、村の実情を把握できません。平均値をもとに食料配分を決めるようとしても、多くの村人たちは納得がいかないはずです。

つまり、社会の平均から近い人たちが減ってくると、平均値を使うことは難しくなります

今回、「人生100年レポート」では、高齢者の夫婦世帯の毎月の収支の平均値を用いて、試算を行いました。しかし、そのような平均値について、自分事としての納得感を持てず、むしろ、「自分たちは置き去りにされている」と感じた人たちが多かったのではないでしょうか?

実際、メディアやSNSでは、「自分たちには貯蓄はなく、年金でギリギリの生活を送っている」「生活が厳しく、老後までに2,000万円もの金融資産を築けるとは思えない」「2,000万円では足りないのではないか」といった声が広がっています。いずれも、平均値への納得感の欠如を表明したものです。

「豊かな生活のためには、年金に加えて2,000万円が必要だと、以前から一般的に言われていたことだ」という声も見受けられるものの、かき消されてしまっています。平均値への納得感の欠如こそが、「2,000万円」という数字が大きな注目を集め、一人歩きしていった根本的な原因だったのではないでしょうか?

「人生100年時代」レポートを最初から最後まで読むと、国民一人ひとりの豊かな老後を実現したい、という力強い意志を感じます。また、誰でも質の高い金融サービスを利用できるようにするという、金融包摂(financial inclusion)に向けた具体的な取り組みも記されています。

「人生100年時代」レポートが、こうした本来の意図とは完全に真逆の印象を与えてしまったことは、大変残念でなりません。

「わかりやすさ」 vs「正確さ」の二律背反

ところで、そもそも「人生100年時代」レポートで、「2000万円」という試算値を書く必要があったのでしょうか?

そこには、「わかりやすさ」と「正確さ」の二律背反を感じます。

「人生100年レポート」では、ライフ・スタイルの多様化により、豊かな老後のために必要な額は一人ひとり異なることが強調されています。しかし、もしも、「一人ひとり異なる」という表現に留まっていたならば、「いくら必要かわからず、不安になる」「具体的な数字を示さない政府は無責任だ」という批判を受けていたはずです。

そこで、一つの目安として、平均値に基づく単純な試算値である「2,000万円」という数字を記載したのではないでしょうか?

「わかりやすさ」と「正確さ」の二律背反は、年金についての記述にも見られます。5月22日に発表された報告書の案では、「年金の水準が、中長期的に低下していく」と書かれていました。これは、わかりやすさを優先した表現です。

しかし、このような表現は、年金の「額」も減っていくという誤解を招く恐れがあります。年金制度上は、デフレが続かない限り、年金の「額」が減ることはありません。低下するのは、あくまでも年金の「水準」です。

6月3日に公表された最終的なレポートでは、「年金の水準が、今後調整されていく」という表現に変わりました。これは正確な表現です。しかし、「わかりにくい」と感じる人も多いはずです。

今回の"炎上"の原因となった、平均値の罠や、「わかりやすさ」と「正確さ」の二律背反は、いずれも構造的なものです。したがって、今後も同じような"炎上"が、形を変えて再び起きる可能性があります。

社会全体にどのように想像力を働かせるか、「わかりやすさ」と「正確さ」をどのように両立させるかーーそこに難しさの本質があることを、今回、改めて痛感しました。

(後編へ続く)

金融庁「人生100年時代」レポートを読み解く(前編)はこちら

(注1)参照先:http://www.apa-apa.net/kok/news/kok214-2.htm(2019年6月13日閲覧)

(注2)年金の給付水準の調整の仕組みについては、厚労省のHP「いっしょに検証!公的年金」がよくまとまってします。

(2019年6月13日15:45に、タイトルを含め大幅な加筆修正を行いました。)

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