小説 介護士・柴田涼の日常 59 「師弟関係」を克服したヤスダさん

 ハットリさんはそばにいるご利用者の何か気に食わない点を見つけるとつい口出ししてしまうので、リビングでは小さな正方形のテーブルに座り、隣にはナシタさんが座っている。ほかのご利用者は四名ずつ、長方形の大きなテーブルに座っている。

 ハットリさんが一階にいたときは、隣にはヤスダさんが座っていたそうだが、そのときは「師弟関係」だったようだ。ヤスダさんのほうが歳は上なのだが、チクチクいろいろ言われ縮こまってしまっていたみたいだ。このEユニットにはハットリさんが先に上がってきた。それからヤスダさんが上がることが決まったが、そのことをヤスダさんに伝えると、ヤスダさんは「あの人がいるところには行きたくない」と泣いて拒んだそうだ。今はハットリさんとヤスダさんの席は離してあるので、師弟関係というほどではない。あるとき、「わたし強くなったから、もう平気になったの」と嬉しそうにナシタさんに話しているヤスダさんの声が聞こえてきた。ナシタさんは聞こえているのか聞こえていないのかはわからないが「ああ、そうですか」と答えてられていた。

 ナシタさんは何を言われても動じない鉄の心を持っているので、ハットリさんの隣にいても大丈夫だ。鈍感なことにかけては、ナシタさんと安西さんは互いに譲らずいい勝負をしている。

 食事の準備をしているときにいつもトイレに行ってしまうヤスダさんに、ハットリさんはこう言っていた。「あんた、ご飯の準備してるときにトイレに行くんじゃないよ。行くんならもう少し前に行っときなさいよ」

 ハットリさんがヤスダさんに注意をしたのはこれがはじめてではない。何度も同じ注意をしている。それでもヤスダさんはいつもご飯を載せたカートが運ばれてくるとそれを合図にするかのようにトイレに行ってしまう。食事の準備中にトイレに立たれると、その分だけ提供の時間が遅れ、それが夕食時ともなれば就寝介助の時間も遅れてしまう。日勤の場合、就寝介助まで終えてから退勤となる。一ユニット十人の口腔ケア、排泄介助、就寝介助を済ませるのにはそれなりに時間がかかる。スムーズに行けばいいが、食事中の大きなむせ込みや嘔吐など不測の事態が起こりうることを考えると、なるべく余裕があったほうがいい。あまり時間にこだわるのもよくないが、サービス残業はなるべくしたくない(この施設は基本的に残業代は出ない)。いい仕事をしたいという思いがある一方で、時間内に仕事をきっちり終わらせたいという思いがせめぎ合っている。毎回、状況を見ながらその落としどころを探っているというのが現状だ。

「わたしってダメね。十七時前にトイレに行っておくようにってハットリさんに言われていたのにね」とヤスダさんは自分を責めるように言う。

「そんなことないですよ。気にしないでくださいね」と僕はなだめるようにして言う。

 ヤスダさんは大きくため息をつく。

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