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流れアジの恩返し

風がやや強かったせいか、昨日の海は思ったより空いていた。
……なーんて書くと海の近くに住んでいるみたいだけれど、そんなことはない。
せっかくのゴールデン・ウィークなので、海に行ってみたのだ。

インナーマッスルを強化しているのか楽しく散歩しているのか、迷いながら砂浜を歩いていると、釣竿をもった家族連れとすれ違った。
いいなあ、海釣り。
海なし県・埼玉出身者にとっては、憧れのレジャーだ。
釣り船に乗ってカジキマグロと死闘を繰り広げる……なんて大げさなものでなくていい。
むしろ、そこらへんの堤防に座り込んで釣り糸を垂れるようなスタイルが理想だ。

ポイントは、「ちょっとヒマだから釣りしてます」というさりげなさだ。
「海に行くのだあああ!」なんて前日から力んだりてるてる坊主をつるしたりせず、
近所のスーパーに行くような感覚で海へ向かう。
そんな気軽さが、海なし県人にはとてもまぶしい。

すれ違った家族は、まさにそんな「海セレブ」に見えた。
ラフな服装で、足元はビーサン。
持ちものはむき出しの釣竿1本。
ああああ、かっこいい。
よく見ると、彼らはバケツやクーラーボックスさえもっていない。
海で遊ぶのが日常のセレブともなると、今夜のおかずを持ち帰ろうなんて欲とは無縁なのだろうか。
アジやイワシが釣れても、「あなたには飽きたわ」なんて気怠くつぶやいてリリースしちゃったりするのだろうか。


釣りにおけるキャッチ&リリースには賛否両論あるらしい。
人間の意見はともかく、魚にとってはどうなんだろう。
もちろん、命拾いした瞬間はうれしいはずだ。
釣り人に感謝し、近いうちに恩返しに行って機織りでもしてこなくちゃ、なんて考えるかもしれない。
でも、果たしてその幸せは続くのだろうか。

魚にとって、「釣り餌に食いつかない」のは生きるうえでの基本。
うっかりカプッといっちゃうような者は、ダメ認定されるはずだ。
そうなると群れでの出世の道は断たれ、「デキないアジ」として一生を送るしかない。
同世代のアジが主任やらチームリーダーやらシニアマネジャーやらになっても、自分はその他大勢のまま。
やらかした失敗が大きすぎて、逆転のチャンスさえ望めないのだ。
たった一度の失敗を悔み、悶々とし続ける人生はしんどい。
あのときリリースされたのは本当に幸運だったのか? なんて考え込んでしまう夜もあるだろう。

うっかり者ではあるけれど気概のあるタイプの場合、群れを離れる、という選択をすることもあるかもしれない。
包丁1本サラシに巻いて日本中をさすらう流れ板のように、自分の力だけを頼りに生きる流れアジになる道を選ぶわけだ。
でも、小さなアジがひとりでサバイバルしていく人生も間違いなくしんどいだろう。

ただし、流れアジとして生きることが不可能なわけではない。
高い能力を持ち合わせていたり運に恵まれていたりするなら、チャンスはある。
それなりの年月を生き抜いてみせれば、アジの新しいライフスタイルの提唱者、アジ界の改革者として注目される……なんてことも起こるかもしれない。
人生苦あれば楽あり。
不遇の時代を乗り越えることができれば、1周回って、リリースされたことが幸運だったと思えるだろう。

今生きていること、成功したことの幸せを噛みしめる余裕ができると、「恩返しをしたい」という気持ちが再燃するかもしれない。
命を助けてくれた恩人に、どんなお返しができるだろう。
定番の機織り? 
いや、現代日本の住宅事情を考えると難しい。「決してのぞかないでください」なんて独占できるような空き部屋がある家は少ないのではないか。
鬼退治に行ってお宝を持ち帰る? 
いや、最近では鬼ヶ島だって携帯が使えるはず。通報されたら、強盗犯として捕まってしまう。

でも、大丈夫。
恩返しだからと大げさなことをする必要はない。
簡単かつシンプル、そして確実に喜ばれる方法がある。
それが、「釣られること」だ。

たとえひまつぶしでも、釣りをしている以上、魚が釣れればうれしい。
だから、恩人に釣られてやればいい。
命の心配はない。
海セレブである恩人は、釣り上げたのがアジだとわかればすぐにリリースしてくれるから。
恩人が来るたびに、一度釣られてやる。
これこそ、最高の恩返しだ。

ただひとつの注意点が、恩人の餌であることを十分に確認してから食いつくこと。
アジをあっさりリリースするのは、海や釣りに慣れているからだ。
万が一、海なし県出身者の餌にカプッといってしまったら……。
そこから先のことは、恐ろしすぎて私の口からは言えそうにない。

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