#45 無上意
宮崎中央新聞
無上意 バス編
「無上意」とはこれ以上無い行為という意味。仏典から来ている言葉。
泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、バスは新宿に向い走っていました。
バスが次のバス停に着いた時、後方から、
「待ってください降ります」と、若い女の人の声が聞こえました。
子どもの泣き声がだんだん近づいて来ることで、泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだなとわかりました。そのお母さんがお金を払おうとすると、
運転手さんは「目的地はここですか?」と聞きました。
そのお母さんは「新宿駅まで行きたいのですが、子どもが泣くので、ここで降ります」
と言いました。
すると運転手さんは「ここから新宿駅まで歩いてゆくのは大変です。目的地まで乗っていってください」と言いました。
そして急にマイクのスイッチを入れ、
「皆さん!この若いお母さんは、赤ちゃんが泣いて、皆さんにご迷惑がかかるので、ここで降りるといっています。子どもは小さい時は泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です!」
「どうぞ皆さん、少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい」と言いました。
ほんの数秒後に、一人の拍手につられて、バスの乗客全員の拍手が返事となったのです。
若いお母さんは何度も何度も頭を下げていました。
お母さんの申し訳ないという気持ち、よくわかります。
場面が想像でき、なんとも言えない気持ちになるのは私だけでしょうか?
運転手さんの想像力と言葉力により、誰一人嫌な気持ちにさせず、幸せな空気を作り出した。これこそ、無上意ではないだろうか。
目的地までお客さんを運べば良い。ただそれだけの仕事観で仕事をしていたら、きっとこのような言葉は出てこない。
思考は言葉になって現れる。
言葉は思考が作る。
この運転手さんから学ぶことは多い。
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