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[日記]オムライスを寝取られ続ける人生。

 私は人生を損している。

 大学生の頃、バイト先の後輩に言われた。

 「えっ、カニ食べられないんですか?先輩、人生損してますよ〜」

 知っている。
 そんな事はお前よりも私がよく知っている。

 私には子供の頃から食物アレルギーがある。具体的には、エビやカニといった甲殻類が食べられない。食べられないといっても、私の場合は目や喉や唇が痒くなったり腫れたりする程度で、命に関わるような症状が出た事は無い。とはいえ、万が一という可能性はあるので、出来るだけ食べないようにしている。

 しかし、不幸にもその美味さは知っている。
 悔しい。とても悔しい。


 バイト先の後輩は修学旅行先でカニ汁が出されて、自分1人だけ食べられなかった経験が無い。

 給食でエビフライが出て、メインのおかずが無いまま完食しなければならなかった経験が無い。

 卒業旅行で、泣く泣くカニを一杯友人にあげた経験が無い。

 家族で旅行に行った時、「ごめんね、カニ食べ放題のプランが一番安かったの」と言われて、目の前でカニをむしゃむしゃ食べられた事が無い。


 くそ、後輩の言う通りだ。私は人生を損している。

 しかし小麦や卵や乳製品が食べられないのに比べれば、比較的ラッキーだったと思っている。

 もし私が重度の小麦アレルギーだとしたら、当然食事には細心の注意を払う。小麦が使われている食べ物はとにかく種類が多すぎる。私が小学生であれば学校側にも伝えただろう。外食も極力せず、宴会の場でもお店に伝えるなどしたかもしれない。

 しかし甲殻類アレルギーの私も、私なりに困ったりする。

 軽度の甲殻類アレルギーの私は、全然普段の食事にほとんど気を使っていない。エビだのカニだのを口にする機会なんて、小麦や卵と比べればほぼ無いと言えるし、なんなら普段は自分にアレルギーがあることなどすっかり忘れている(阿呆だからだ)。食べたいものはなんでも食べるし、友人から食事に誘われればホイホイついて行く。忘年会の案内が来れば何も考えず「参加」に丸をする。そして目の前に運ばれてきた赤々と輝くカニを目の前にひとり呆然とする。
「そうだ、私はカニが食べられないのだった」

 宴会の種類によっては、事前にアレルギーの有無を訊かれることがある。
 数ヶ月前、私は結婚式の二次会の案内を受け取った。大学時代の友人が結婚したのである。会場はどうやら高級そうなホテルである。出てくる料理もさぞ美味しいものだろう。案内にはアレルギーの有無を答える項目があった。

 私は迷う。書くべきか書かざるべきか。

 アレルギーを書く項目があるのならきちんと書いた方がいいのでは?
 万が一の事があって、新郎新婦に迷惑をかけるわけにはいかないのでは?
 残したり誰かにあげたりするくらいなら、食べられないことを最初から伝えておくべきなのでは?

 私は迷う。

 しかし、もし私がここに「アレルギー:カニ、エビ」などと書けば、私以外の全員が、食べられたはずの高級料理を食べられなくなってしまうのでは?
 少し出汁に使われているくらいなら平気だし、目で見てわかるエビやカニは避けて食べたらいいのでは?
 出席するのは二次会だけだし、そこまで気を遣ってもらう必要はないのでは?
 ただひとり、私が気をつければいい話なのでは?

 迷う。困る。

 そうこうしている間に、結婚式延期の報せが来た。例の流行り病のせいである。彼らにはいつか幸せな式を挙げてほしい。


 ところで、オムライスである。

 今日、ふと以前友人といった喫茶店を思い出した。甘味をメインで出している店で、私も友人も「甘いものが食べたい」とパフェを食べに入店したのだった。
 しかし、腹が減っていた私は、パフェとは別にオムライスも注文した。私はオムライスに目がない。特に外食でのオムライスは、自分では作り出せない美味しさがあるように思う。どこへ行ってもオムライスばかり頼んでしまうほど、私はオムライスが好きだ。もはやパフェなどどうでもいい。オムライスの事だけを考えている自分が、そこにいた。

 空きっ腹の私の前に、オムライスが運ばれてくる。
 あぁ、何と美しい。光沢のある表面、上品な膨らみ、とろとろと流れるソース。私は玉子の下に秘められたチキンライスに想像を膨らませ、ゴクリと唾を飲む。そう、私は君を待っていたんだ。
 運命に引き寄せられるように私は自らのスプーンをオムライスに突き立て、そして口へ放り込む。

 瞬間、妙な食感があった。

 あれ、何だっけこれ。すごい懐かしい食感だ。

 張りのある感じ。プリプリって。


プリプリ……?


 私はハッとしてオムライスの中身をよく確認する。すると出てくるではないか。エビ、エビ、エビ……!

 玉子がかかっているから見た目では気づかなかった。メニューを確認しても"シーフード"の一言は無い。もちろん海鮮を売りにしている店でも無い。

 くそっ、やられた。

 同じ事が過去にもあった。違う店で頼んだスフレオムライスにエビが入っていた。オムライスは本当にごく稀にこういうことが起こってしまう。

 もしこれが天津炒飯や茶碗蒸しだったなら、私も気をつけていただろう。どちらも中に何が入っているかぱっと見ではわからないが、中華はエビやカニが使われがちだし、茶碗蒸しもエビが入っているかもしれないと容易に想像がつく。注文を諦めたり、店員さんを呼んで確認したりしたかもしれない。

 しかし、オムライス。普通はチキンライスじゃないのか。確認するまでも無いと思っていた。だって私たち、今までだってそうしてきたじゃないか。

 私は所謂"寝取られ"に近い感情を抱く。

 私が愛するのオムライスの玉子をゆっくりと脱がしていくと、誰のものかもわからないキスマークがびっしりついていて、私が呆然としているうちに横からエビがやって来て「じゃあ、そういうことだから」とニヤニヤ笑って、オムライスの肩を抱いてどこかへ去っていく、という想像をしてしまう。

 くそっ、エビめ。

 しかし殆どの人達はエビにそういった下衆の部分があることを知らない。世間じゃちょっとした高級食材として評価されているし、ファンも多い。外面が良くて人気がある。私が「エビは悪い奴なんだ!」と叫んだところで、誰が相手をしてくれるだろう。

 くそっ、エビめ!あの娘を返してくれ!

「へへっ、いいぜ。オンナはいっぱいいるからな。生春巻きにアヒージョ、パエリアとかよ。エビチリなんか最高だぜ?俺にすっかり入れ込んじまってやがる。だがなぁ、オムライスちゃんがなんて言うかなぁ。また俺のところに戻ってきて、『エビさんが忘れられません、私の中に入れてください!』なんて言うかもなぁ」

 エビはそう言って高笑いすると、八宝菜と天むすを両脇に抱えて去っていった。私はギリギリと奥歯を食いしばりながらそれをただ見つめることしかできないのである。



 エビは忘れた頃にやってくる。
 またいつか私が鼻の下を伸ばしてオムライスにスプーンを突き立てたところで、「よぉ、久しぶりだなぁ」とニヤニヤしながら顔を出すのだ。



 オムライスは私を愛していない。いつか再び彼女は私を裏切るだろう。
 しかし私は彼女を愛している。

 いつか寝取られると知りながら、私はオムライスを注文するのをやめられない。

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