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[日記]犬の餌を食べ、私は私に飼われる。

 犬の餌を食べたくなった。


 子供の頃から犬が飼いたかった。可愛いからだ。友達の家の犬が羨ましかった。ふわふわした生き物が自分になついてくれるなんて、考えただけでも楽しくなった。私は両親に犬を強請ったが、両親は首を縦に振らなかった。当然である。大人になった今だからわかるが、「可愛い」だけで子供が命を飼うのは、あまりにも責任感がない。加えてペットというのは経済的に余裕がなければなかなか飼えないものである。結局、大人になった今でも犬は飼えていない。

 一人暮らしにも大概飽きてきて、温もりを求めて私はまたもや犬を飼いたくなった。しかし残念ながら経済的な余裕は全くないし、そもそも住んでいる部屋がペット可の物件ではない。飼いたくても飼えない。

 そこで私は考えた。私が犬となり、私が私に飼われればいいのでは、と。

 簡単なことである。私が私以外の生物を飼えないのであれば、私が私を飼えば良いのである。私が犬になれば、私は犬を飼っていると言えるのではないか。

 早速私は、ドッグフードを私のために作ることにした。

 まずは材料。

・かぼちゃ
・人参
・鶏胸肉
・小松菜
・小麦粉

 全ては目分量である。犬が食べられない食材は入っていない。野菜はすでに茹でておいた。


 野菜と肉と少量の水をミキサーにかけてどろどろにしていく。
 どろどろにした後の写真も撮ろうと思っていたのだが、出来上がったそれは完全にアレだったのでやめた。

 どろどろになったソレに小麦粉を混ぜ、生地にしていく。

 小松菜の匂いがダイレクトに鼻に入ってきて凄い。笑ってしまった。
 なんとなく、ドッグフードの粒は何色かあるようなイメージだったので、黄色っぽい生地と緑色っぽい生地の2種類作ってみた。絞り袋に入れ、天板に棒状に絞っていく。

 焼く。

 切る。
 じゃがりこみたいな見た目で結構美味しそうである。

 トースターで焼くだけではカリカリ感が出なかったので、フライパンで炒ってカリカリにしていく。

 作っている過程で、自分の中で「大事な飼い犬に食べさせるのだから丁寧に」という気持ちと「私が食べるのだからどうでもいい」という気持ちが交互にやってくる。徐々に混乱していく頭をなんとか持ち上げて、餌の水分を飛ばしていく。
 正直ここまでで2時間くらいかかった。このあと作った夕飯のカレーのほうが手軽に作れた。全く手の掛かる飼い犬である。

 家にあった一番餌皿っぽい皿に入れる。

 フライパンで炒ったぶん少し焦げたが、これで完成である。


 ここからは私が犬になる必要があった。
 餌皿を床に置き、服を脱いだ。一糸纏わぬ姿になる。なぜならば犬は服を着ないからだ。服を着る犬もいるが、生憎私は犬用の服を持ち合わせていない。首輪も持っていなかったが、室内犬であるという設定で自分を納得させる。私は春の夜の肌寒さを感じた。


 その時、私を人たらしめるものは何も無かった。誰かがこの狭いワンルームのドアを開け、私を見つけない限りは。

シュレディンガーの犬。

あるいは私。


 私は冷たい床に四つん這いになり、餌皿に口を近づける。

それでは


Let's eat together.








……。











 まっず。

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