積んでいく事 ~失敗と諦め~

積み重ねが大事
継続は力なり

そういう言葉から目をそらし続けてきた人生に、そろそろ別れを告げたい。
新しいものを積み上げていきたいと思ったのは先日、夢を追う若者と配信で対談した事も大きなきっかけとなった。

ここからでも遅くはない。何かを積み上げて、10年後の自分の後悔を減らしてやりたい。
そう思い立ち、まずは自分の現在地を確かめるべく、書いていく事にする。

・失敗と諦め

俺が今までの人生で積み重ねてきたもの。
それは「失敗」と「諦め」だ。

数知れない失敗と諦めを経験した上に、今の自分は成り立っている。

配信で話す言葉のほとんどが、失敗と諦めの経験に裏打ちされたものだ。

人生に行き詰って悩む若者には自身の「失敗」から。
現在進行形で夢を追いかけて努力している人に対しては、自身の「諦め」からアドバイスをするようにしている。

人間がする失敗にはパターンがあり、大きくカテゴリ分けすればそれほど多くの種類が存在するわけではない。
人間関係、人生の進路、自分自身の現在に関してなど。
全く同じではなくても、自分のケースと、一般的なケースを織り交ぜて話をすれば、ある程度共感性の高い話が出来る。

反面教師として、自分よりも年若い方々の「転ばぬ先の杖」の様な存在になれることは、自分の失敗と諦めだらけの人生にも価値があったのだと思うことが出来て、救われる。
相談をしてくれる方もいて、自分なりの解釈で答えている。
「ありがとう」と感謝してもらえるが、自身の人生に価値をつけてくれたという意味で、俺自身も「ありがとう」と言いたくなる。

相談で一番危険なのは「価値観の押し付け」だ。
深く事情も知らない事柄に対して「こうに違いない」「こうするべきだ」という言い方、そう誤認させるような言い回しをするのは非常に危険だ。

例えば職場で部下や後輩の、業務に関する相談であればそういった単一の回答を提示しても問題ない場合はある。
先輩・上司という立場が自分にあるなら、自分自身が放った言葉に対して「責任」が取れるからだ。
もしくは恋人・家族など、自分が相談者にとって特別な関係性であるならば「責任を一部共有する」ことも出来る。

一方、友人・知人関係の人からの相談に関して単一の回答を提示してしまうと、多くの場合、その選択が失敗であった時に責任が取れない。
ネット上での知り合いに対しては特にだ。

文章化すると「いや、そんなの当たり前でしょ」と思う人が多いかもしれない。しかし、SNSや配信アプリを見渡してみると、相談に対しての無責任な回答のなんと多い事か。

「自分は相談されたから自分の答えを言っただけで、選ぶのは相談者自身の責任」

と言ってしまえば確かにそうだ。選ぶのは自分で、失敗も成功も自己責任である。
しかしだからこそ、言葉は慎重に選ぶべきであると俺は思う。
これは責任の所在の問題ではなく、誠意の問題なのだ。

「自分に相談してくれるほど、自分を信頼してくれる人」
「ネットで知り合った自分に相談したいと思うほど追い詰められている」

そう考えれば、自分のすべき対応も見えてくるのではないか。

そうした相談者に対する、俺が考える回答の最適解は、
「視野を広げてもらう」
「選択肢を増やす」

事だと考える。

悩んでいる人、追い詰められている人の思考は、
「もう、こうするしかない」
という答えに帰着しがちで、視野が狭くなっている事が多い。
それに対して、
「こっち側からの見方をすれば、こうかもしれないよ」
「もしもこういう事情なら、こうするっていう方法もあるよね」

と、その人の思考をほぐしてあげることで、本人が正しい答えを選択できるようになるかもしれない。

それも言い方ひとつで、同じ意味の言葉でも、押しつけがましかったり、誘導しているような言葉になってしまったりすることがある。

だからこそ、言葉を多く持つという事は大事な事なのである。

・言葉を学ぶという事

「うまく言えない」
「思ってることはあるけど、どう説明したらいいかわからない」

と、歯がゆい気持ちになったことはないだろうか。
俺は何度も何度もあった。
それは、発信する側である俺に「語彙力」や「説明能力」が足りなかったから起こった事だ。
だからこそ、俺は人生の中で語彙力・会話力・聞き取り力というものを鍛えてきた。現状まだまだ不十分ではあるが。
それが足りないことによって人とすれ違ってしまうという悲しい「失敗」、どうしても伝えられなくて味わった「諦め」を積み重ねてきた人生だったからこそ、今後の人生でそれらを少しでも少なくしていきたいと思う。

語彙力や会話力は後天的な能力であり、鍛えることが可能だ。
ゲームのコマンドを覚えるように。
動画編集の機能を学んでいくように。

何歳になったとしても、諦めずに鍛えていけるものだ。
なにも政治家やキャスター、タレントやラジオDJのように言葉をスラスラと言えるようにならなくてもいいのだ。

相手に「自分は自分の想いを誠心誠意伝えようとしています」という気持ちが伝わるようになればいい。語彙は多ければ多いに越したことはない、会話力は高いに越したことはない、が、最低限その誠意を伝えることが出来れば、よほどひねくれた人間でもない限り、その言葉・思いは届く。

「伝えようと努力する」人の「うまく言えない」と、「伝えることを放棄した」人の「うまく言えない」は、聞く側からしたら容易に判断できる。前者であれば、俺が聞く側だったらいくらでも待つし、自分の中で嚙み砕いて「つまり、こういうことかな?」と意図を読み取る努力もする気になる。

俺がこれから何を積み重ねていくかはまだ決められていないが、言葉を大切に、伝えたいことを正確に伝えるための努力は継続していきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?