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短編小説・メガネ

虐げられみじめな日々を送っていた僕は、いつしか自殺に生きる活力を見い出して行く。その日もまた不良グループにいじめられていたが…。

【メガネ】

僕はそそそそそそそそと小刻みに息を吸い込んだ。
襟元を締め付けられていた。
間もなく僕は意識を失うのだ。
 
気づくと僕は空き地に放り出されていた。
僕はゆっくりと起き上がる。
口の中で血の味がした。
視界に違和感を感じて眼鏡を外すと、レンズの隅にクモの巣を張ったようなヒビが走っていた。
 
クラスの誰もが僕を嫌っていた。
つまりこういうことは僕の日常なのだ。
僕は自分の処遇を運命だと諦めている。
僕は自分の人生が呪わしい。しかし、死なない以外は生きるしかないのだ。
僕はよく自殺のことを考える。
いや、これはDNAに組み込まれたパターンなのだ。
不安や恐怖に晒されると、僕は自殺を試みる。
まるでこれ以上の恐怖から逃げ出すかのように。
薬物自殺、飛び降り自殺、ガス自殺、首吊り自殺、走る自動車に飛び込んでもみた。
でも、すべて失敗に終わる。
失敗しても失敗しても、僕は自殺をし続ける。
目が覚めると、病院の天井。
そこに迷惑そうな母の顔が覗き込んでいる。
「私はいっそのことお前を殺してやりたいよ」母は言う。
僕は母を気の毒に思う。
けれど、自殺はやめられない。
ある意味、僕は生きるために自殺をする。
そういうメカニズムなのだ。

家に帰ると僕は勉強机に向かい、左手の手首をカミソリの刃で平行に切った。
僕はその行為に集中する。
痛みはほとんど感じない。
いや、興奮と恐怖に覆い隠されているという感じだ。
そうしているうちに僕の中に新たな感情が芽生える。
歓喜だ。
僕は手首にいく筋もの線を引きながら、生きていることの実感を噛みしめる。
僕のペニスはよろこびのあまり勃起する。
僕は傷ついた左手で射精を促す。
幸せが僕にやってくる。
 
リストカットした翌日は頭がぼんやりとする。
まるで魂を抜かれたようだ。
僕は白い布を手首に巻いて、キッチンに降りていく。
席に着くと、僕の左手をまず母が一瞥する。
向かいの兄が鼻で笑う。
眼に映るすべてが湾曲して映る。魚眼レンズのように。
頭の表面の皮がピリピリと痺れている。
出血による貧血を起こしているらしい。
僕は強く瞼を瞬いて、視界を確保する。
「こいつ、また眼鏡を割られてやんの」兄が言う。
「そんなにしょっちゅうレンズなんて買えないわよ。あんたばっかりにお金を使っていられないんだから」母が言う。
「いいさ。この方がかっこいいじゃないか」僕は引き笑いをしてみせた。
「きもっ!」兄が席を立つ。
ひひひひっひひ、小刻みに息を吸いながら引き笑いをしているうちに、僕は過呼吸を引き起こす。
僕はそのままキッチンの椅子から転げ落ちる。
「何やってんだい。このバカ!」
母が僕の勃起したペニスを見て、僕の尻を蹴る。
僕は笑いながら意識を失っていく。

家を出ると、まだ朝だというのに八月の強い日差しが僕を待ち構えていた。
僕は意識が朦朧としたまま、金網のフェンスに掴まってつたい歩きをしながら学校へ向かっていた。
昨晩、雨が降ったせいで蒸していた。
通り沿いの空き地には、赤土で濁った水たまりがいくつもできていた。
僕は滅多なことでは学校を休まなかった。
どうせ体調のいい日なんてなかったし、虐められない日もないのだ。
途中、僕は運悪くぜんそく発作を起こし、フェンスにもたれてしゃがみ込むと、ぜんそくの吸引薬をポケットから取り出し口にくわえた。
そこに同じクラスの不良グループが通りかかった。
僕が家を出たのは、相当な遅刻を覚悟しなくてはいけない時間だったが、どうやら彼らは学校をサボっているようだった。
彼らはお約束のように僕の手から薬を取り上げ、水たまりに放り投げた。
リーダー格の一人を僕は睨みつけた。
「拾えよ」
奴は面白そうに唇を歪めた。
僕は四つん這いになって水たまりに向かった。
僕が水面に浮かんだ容器に手を伸ばすと、彼らは再びお決まりのように僕の頭を押さえつけ、僕に泥水を飲ませた。
僕は水中でもがいた。
間もなく、頭の表面の皮膚が痺れ、手足が痙攣を始めた。
股間が熱くなり、僕は失禁したのだと理解した。
間もなく死ぬのだと僕は思った。
これまで何度も同じことを思った。
でも、今度こそ本当に死ぬのかもしれなかった。
僕は諦めて体の力を抜いた。
しかし、意に反して手足はまるで打ち上げられた魚のように跳ね回っていた。
意識が遠のいていくに従って、視界は逆に鮮明に像を映し出した。
ぶくぶくと泡を吐き出しながら沈められていく水の中で、僕はカエルと目が合った。
カエルの大きな口からは腸がはみ出ていた。誰かに踏みつけられたのだ。
僕と同類なのだ。
カエルはじっと僕を見ていた。

気づくと辺りは静かになっていた。
僕は身を起こし、周辺を見回した。
とうとう僕は死んだようだった。
僕は美しい花に囲まれていた。
花は白く、風に揺れていた。
まったく現実味がなかった。
歩いていくと池があった。いや、水たまりだ。
そこには僕ではなく、僕の頭を押さえつけていたリーダーの男が倒れていた。
彼は濁った水たまりに突っ伏して脱力していた。
カエルが僕を見上げた。
僕はそいつの首根っこをつまみ上げ、顔を覗き込んだ。
奴は口から腸を吐き出してカエルのように死んでいた。
「僕はなかなか死なないというのに、お前は簡単に死んじゃうんだな」
僕は死体を花々の群れの中に放り投げた。
僕は眼鏡を外した。
眼鏡は両方のレンズが銃で撃ち抜かれたように、放射線状にヒビが広がっていた。
僕は眼鏡も捨てた。 
それから水たまりの水で髪を後ろに撫で付けると、学校へ向かった。

実際、悲痛な現実が僕を待っていた。
まず、僕は死んでいなかった。
今まで何度も繰り返したように、病院のベッドに僕は寝かされていた。
極度の酸素不足のために起こるチアノーゼの赤黒い斑点が皮膚を覆っていた。
痙攣で筋肉が萎縮したせいか、体全体にちぎれるような痛みがあった。
僕は病室に一人きりだった。
しばらくすると僕の意識が戻ったことに気づいた看護婦が、慌てて医者を呼びに行った。
医者は言った。
「君は死にかけていたんだよ」
そんなことは改めて聞くまでもなかった。しかし、次に続いた言葉は僕の興味をそそった。
「残念ながら、友だちは助けられなかった」
僕は思わず飛び起きそうになった。
医者はそれを静かに制した。
ベッドの脇のサイドテーブルには、レンズの砕けた眼鏡が置かれていた。
母は退院まで一度も姿を見せなかった。
その代わりに何度か警察がやってきて、あの日のことを聞いていった。
トモダチの葬儀は、僕が入院している間に済んだらしい。
僕は三ヶ月後に退院した。
僕の左手は、長い時間あらぬ方向に強い負荷がかけられたため、骨折とともに腱が断裂し、もう今までのようには動かないらしい。
母は僕に新しい眼鏡を買い与えてはくれなかった。
まるで僕が眼鏡をかけていたことを忘れているようだった。
僕は鏡に顔を近づけて、髪を後ろに撫で付けると学校へ向かった。
 
トモダチの仲間たちは遠巻きに僕を見たが、特に何も仕掛けてこなかった。
トモダチは事故で死んだらしい。
教師がそう言っていた。
僕をいじめるクラスメイトはもう誰もいなかった。
母も兄も、もう僕に何も言わなかった。
代わりに白々しい空気が僕を取り巻いていた。
僕ももう嫌がらせに人前で勃起したりしなかった。
代わりに僕は勉強に没頭した。
兄を追い越すのは簡単だった。
僕は学年でトップの成績をキープした。
僕には計画があった。
僕は大学を首席で卒業し、空軍のパイロットになる。
僕は戦地で爆弾をたくさん積んだ戦闘機を操縦する。
僕は果敢に敵のエリアに突入する。
戦闘機に乗った敵の戦士が僕を狙い撃ちにする。
フロントガラスに蜘蛛の巣のようなヒビが走り、砕け散る。
翼がもげて、エンジンに損傷を負う。
それこそが僕の狙いだ。
操縦不能となった飛行機は、バランスを崩しながらあらぬ方向へ下降を続けていく。
そして罪もない人たちが暮らす住宅地に落ちていくのだ。
 
孤独に押し潰されそうになると、僕は机の引き出しからレンズの砕けた眼鏡を取り出し、かけてみる。
万華鏡のように同じ像が幾重にも目の前に広がる。
そそそそそそそ僕の呼吸は小刻みに震え、快感にも似たあの時の恐怖が蘇る。
ある意味、あいつは唯一の友だちだったのかもしれない。
僕をいじめた一人一人の顔を思い浮かべながら、手首にカミソリで深く、まっすぐに線を引いていくと、僕のペニスは勃起するのだ。

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