見出し画像

どうしたものかなぁ

自分には過去の失敗を振り返る癖がある。いつでもフッと思い出して、心が締め付けられる。あの時ああしていれば、こうしていればと後悔する。あの時もっと勉強していれば、私立の中学に進学していたら。過去を振り返ってああしていたらと考えることは意味がない。しかし、どうしても振り返ってしまう。

振り返ってしまうのは、今が不満、嫌だからだ。おそらく自分の意志でこの場に居ないからだ。どこか人任せ、流されてきた感じだ。それでも、満足に思える要素はあるはずだ。しかしまったくそんな気にならない。何が問題なのだろうか。普通の人生を生きている人がうらやましく思えて仕方ない。隣の芝生は青く見えるとは言うが、自分の現状には不満が多い。

その原因を色々な面に向けて、恨みにも似た気持ちを持ち続けている。やはり、この家の家業、この家の特質だろうか。本気でこんな家、潰れればいいとまで思っていた時期もあった。今でもそう思うことがあるし、実際潰れればいいと思って行動したこともある上に、実のところ現在進行形で動いているものがある。間違いなく不幸しか生まない。確実に自分も不幸になる。しかし、この家をつぶそうと思うだけの怨嗟がそうさせた。今は、医者にも通ってカウンセリングも受けているので落ち着いてはいるだろうか。

それでも自分の人生を楽しくしようと、これからの人生はどうしていこうか考えるようになってきた。はっきり言って今の人生は、嫌な事のバランスをとるために、自分の楽しいことを少しづつ得て、毎日をこなしている。これは今までずっとそうだった。ゲームに熱中したり、パチスロに熱中したり、何か現実から目を背けて、忘れられることばかりやってきた。今は、漫画だろうか。

しかし、この漫画からも少し距離を置かなくてはならない。漫画に使う時間を、自分のこれから、未来の人生を楽しくなるようにするために使わなくてはならない。ここ何か月かは、資格を取ろうと何十年としてこなかった勉強をしてきた。試験も受けたが、結果は見るまでもないだろう。来年も受けて、少しでも自分の人生に変化を起こしたい。

この家業に粉骨砕身で取り組めれば、こんな事をする必要もないのだが、いかんせん、怨嗟までも持ってしまった家業をどうすれば頑張れるのか。それでも、色んな人と接する時に、応援をいただいて、アドバイスを頂戴する。そこで私は、やる気を表面上だけ出しているのかもしれない。自分をごまかしているのかもしれない。だから、何か苦しいのではないか。アドバイスを聞き入れても行動しないのではないか。

先日、45歳の誕生日を迎えたがその数日後にこんなことをnoteにしているようではこれからの人生どうなるか分かったもんじゃない。それでも、意味がない事かもしれないが、せめて使う時間を自分にとって何か積み重なるものにしたいとは思っている。それも許されないような状況がやってくるだろうか。もっと早く気が付きたかった、この自分の生き方の無意味さに。

ただ、どこまでできるか分からないが、やるだけやってみるべきなんだろう。この人生でよかったと思える何かが欲しい。いつからか、不正解な選択しかしてない気がするが、自分の大好きだった人と結婚しなかった選択は正解だったと思う。これは怨嗟の一つでもあるけど、一度、お店に来てくれた時に元気そうな姿を見れたのが本当に嬉しかった。幸せになってほしいなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?