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King Gnuと井上陽水のミッシング・リンク

King Gnuの『CEREMONY』、たぶん今年の日本の音楽シーンを代表する1枚になるのは間違いないと思います。ほんと素晴らしい。

で、繰り返し聴いていて、いろいろと気づくことがあった。

というか、ちょっと乱暴なのは承知の上で、一つの仮説を思いついたので書いておこうと思う。それはKing Gnuの音楽の系譜はどの文脈に繋がるのか、という話。

ちょっと長くなるから最初に目次を置いておこう。

King Gnuとブラック・ミュージック


まず大前提として、King Gnuは「邦楽」の志向性を持ったバンドであるのは間違いない。つまりは、日本語で、メインストリームに届く音楽をちゃんとやる、ということ。それも、単なるセールスとか動員とかの話じゃなくて、新しいスタンダードを打ち立てるという意志がその背景にある。

アルバム『Tokyo Rendez-Vous』のときのインタビューで、常田大希はこんな風に語っている。

「同じシーンにいる、同世代のミュージシャンは洋楽をやろうとしている。でも俺達は邦楽をやろうとしていて、まずその姿勢が違う。日本で活動するという事は、日本人がたくさん聴いてくれるわけで、その人達の心に深く届けるなら、当たり前だと思う。オアシスが地元イギリスでライヴやフェスをやると、『Live Forever』という曲で大合唱が起こるんです。あれは彼らが、母国語の英語で、境遇を歌う事で共鳴し合って生まれるものだと思う。俺達は日本でKing Gnuの曲で、大合唱を起こしたいと思っています」

常田大希、井口理、新井和輝、勢喜遊と、4人とも高い音楽的な素養を持ち、その上で「日本で大合唱を起こせる」ロックを志向して始まったのがKing Gnuというバンド。常田大希と井口理は東京藝術大学でチェロと声楽を学び、新井和輝は日本のジャズ界を代表するベーシスト日野“JINO”賢二に師事し、勢喜遊もセッションバーで新井や常田と出会ったという、基本的に同世代の名うてのプレイヤーが集った面々。

そのうえで「日本のメインストリームのど真ん中」をちゃんと狙って楽曲を制作している。それも過去のスタイルやフォーミュラに乗っかるのではなく、ちゃんと今の時代性を踏まえた上で、それをやっている。ちなみに僕が担当したナタリーの「CEREMONY」リリース時のインタビューでは、ポイントはメロディなのだ、と語っている。

──常田さんは歌謡曲というものをどういうポイントで捉えていますか?

常田 歌謡曲と言うと、昔のポップスを思い浮かべる人も多いと思うんですけど、正直、今のポップスもなんら変わりなくて。俺が歌謡曲と言っているのは、J-POPみたいな意味で言うことが多いです。

──歌謡曲もJ-POPも、どちらもすなわち日本のポップスであると。

常田 そうですね。そういう意味合いで使ってます。で、それは、メロディが一番気になるもの。例えばヒップホップっぽいトラックの上に歌謡曲っぽいメロディを付けたら歌謡曲になるし。それくらい、よくも悪くもメロディに左右される。King Gnuは歌謡曲やJ-POPのメロディと言葉のハメ方をしているから、聴いた人が懐かしくも思うし、これだけの広がりを持つことができているのかなって思います。

──井口さん、新井さん、勢喜さんは、歌謡曲やJ-POPをどういうものとして捉えていますか?

勢喜 歌いたくなる曲ですかね。

井口 僕も同じかな。台所で母ちゃんが口ずさんでいたり、仕事中に思わず歌っちゃったりするような曲。King Gnuの曲たちはそうなり得る曲たちだから、誰しもに届きうるものなのかなという気がします。

新井 確かにこの中では「傘」が一番「歌謡曲っぽい」って言われる気がしていて。理由を考えると、大前提として哀愁のようなものが感じられるメロディラインが大きいのかなと思います。

で。King Gnuの音楽性について、いろんな分析をしている記事がある。でも、正直、読んでも全然ピンと来ないのが多いのだ。

たとえば、以下の現代ビジネスの記事。

King Gnuの「洋楽らしさ」は、リズム隊(ドラムとベース)の演奏と、ヒップホップ経由のスクラッチ音の多用によってもたらされる。つまり、「King Gnuから感じる洋楽」は「ブラック・ミュージック」のことを指す。

とある。

この論旨展開には「えええ? ちょっと乱暴すぎやしない?」と思ってしまう。もちろんKing Gnuの音楽性にブラック・ミュージックの背景があること、ヒップホップやファンクのビートやグルーヴを軸にしているのは間違いない。たとえば以下のインタビューで語っているように「白日」はファンクのスタイルをベースに持つ曲だ。

新井 前のツアーで、理が「白日」の前のMCで、「噂の、超ゴキゲンなファンキーな曲いきます、『白日』」って言ったときに、笑いが起きて。俺はそのときに感じましたね。絶対ファンクだって、あのギターのリズムとかビートを聴いてたら。そうじゃない? 絶対ファンクじゃない?
勢喜 うん!
新井 笑いが起きるところじゃないでしょ?ってそのとき俺は思っちゃって。
常田 でもそれは、理がちょっと笑わせようとして……(笑)。
井口 「ゴキゲン」って言っちゃってるしね(笑)。
新井 え、ゴキゲンじゃない? 「白日」、めちゃめちゃゴキゲンなファンクでしょ?
勢喜 確かに!
新井 超アップビートだよ、あんなの!
勢喜 バラードと思って聴いてるヤツがいるっていうことがさ、ヤバイよなあって思う。
井口 でもいろんな聴き方ができる曲だからさ。頭で言ったらバラードじゃん。
常田 まあ、あれはバラードだよね。
新井 え? あれバラードなの!?
勢喜 マジで?
全員 (爆笑)。
常田 バラードじゃないと売れないからさ。

そして「ブラック・ミュージック」にもいろいろあるけれど、King Gnuの音楽的なイディオムの背景にあるのは、ジャズとヒップホップが融合し革新を果たした2010年代のブラック・ミュージックの潮流だ。上記の記事では、ロバート・グラスパーやケンドリック・ラマーの名前を挙げてメンバー4人がそのことを解説している。

このあたりのセンスを踏まえたうえでロックバンドとして「日本のメインストリームポップスのど真ん中を射抜く」ことを狙って、それを実際に成し遂げているところに、King Gnuの革新性がある。

ただ、「King Gnuの”洋楽らしさ”は”ブラック・ミュージック”のことを指す」と言い切ってしまうと明らかに語弊があるのは、上記の記事で、ジェイムス・ブレイクやボン・イヴェール、ティグラン・ハマシアンらについても語っていることからも明らか。

King Gnuの”洋楽らしさ”と”邦楽らしさ”については、いろいろと紐解いて語っていく必要があると思うのだ。

ルーツとしての「1969年」

そのうえで、まず重要なのは、リーダーの常田大希の音楽的なルーツに対しての考察だと思う。

様々なインタビューで発言しているとおり、常田大希の音楽的なバックグラウンドには60年代末〜70年代初頭のサイケデリック・ロックやハードロックがある。

元々ヒッピーサウンドというか、ウッドストック(Woodstock Music and Art Festival, 1969)のビデオを擦り切れるほど観てたくらいあの時代のサウンドが好きだったから。そういうサイケデリックなサウンドが好きで、それは自分が作る作品のサウンド感をみても、やっぱりすごく影響されてる気がします。
「俺にとってビートルズはちょっと綺麗すぎたんじゃないかな。ジミ・ヘンドリクスやレッド・ツェッペリンが好きだったから」

ウッドストックのビデオを擦り切れるほど観ていたかつての常田少年が、ビートルズよりもジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンをフェイバリットにあげているのはすごく重要なポイント。というのも、ビートルズの『アビー・ロード』に代わって『レッド・ツェッペリン II』が1位となりロックの価値観と時代性が明らかに切り替わったのが1969年という年だったから。

それを踏まえてKing Gnuの「飛行艇」を聴くと、ちゃんとそのルーツを現代にアップデートしているのが伝わる。というか、言うまでもなく「飛行艇=ツェッペリン」だもんね。ANAのタイアップという好機を活かして大ネタへのオマージュに挑んだということは、ちゃんと指摘されてしかるべきこと。


「歌謡性」の源流としての井上陽水


そのことを踏まえたうえで、King Gnuと井上陽水とのリンクについて。

昨年11月27日にリリースされた井上陽水のトリビュートアルバム「井上陽水トリビュート」に、King Gnuは「飾りじゃないのよ涙は」のカバーで参加している。

トリビュートへの参加にあたって、常田大希はこんなコメントを発表している。

2012年のフジロックフェスティバル。
大トリのRadioheadの登場を心待ちにしていた俺はグリーンステージで偶然井上陽水を目撃することになる。
そこで彼を見た感想は一言。渋いっ渋すぎるぜ先輩。
それ以来ザーッと作品を買って歌詞を読みながら聴くほどハマってしまった。
俺もこんなかっこいいおじさんになりたいな。

トリビュートに参加する以前から、常田大希は、たびたびインタビューでも井上陽水からの影響を語っている。

「井上陽水とか山下達郎とか、あの世代のあの感じは好きかもしれないですね。色気あるじゃないですか? 昭和歌謡というか…。あと玉置浩二とか」
俺は昭和の歌謡曲……たとえば、井上陽水さんの歌詞とかがかっこいいなと思うし、憧れるんです。ああいうパンチの出し方ができればいいなって思ってます。

たとえば『Sympa』収録の「Slumberland」という曲は、井上陽水の「傘がない」をイメージして書いた、ということをインタビューで語っていたりする。

つまりKing Gnuの「歌謡性」のルーツとして井上陽水の存在はとても大きい。

で、この時期の彼らにインタビューできてなくてちゃんと指摘できなかったのがとても口惜しいのだけど、井上陽水とKing Gnuの繋がりを考えるうえで、実は重要なポイントは歌詞だけじゃなくてサウンドなんである。

というのも、これは有名な話だけど「傘がない」はグランド・ファンク・レイルロードの「ハートブレイカー」を下敷きにした曲だから。聴き比べると一発でわかる。


で、グランド・ファンク・レイルロードは、1969年に行われたレッド・ツェッペリンの初全米ツアーのオープニングアクトに起用されたことで人気が爆発したアメリカのハードロックバンド。つまり常田大希の言う「あの時代のサウンド」のど真ん中なわけである。

彼らは1971年に初来日して後楽園球場でライブを行っている(ちなみにツェッペリンの初来日も同じ1971年)。

1971年のザ・モップスと星勝

ここまでの前提を踏まえたうえで、ようやく本題。

King Gnuと井上陽水のミッシング・リンクは「ザ・モップス」なのではないだろうか?

というのが、僕の思った仮説。

ザ・モップスというのは60年代後半、GSブームの真っ只中にデビューしたバンド。メンバーは鈴木ヒロミツ、星勝、三幸太郎、村上薫、スズキ幹治。GSといえばザ・スパイダース(堺正章、井上順、かまやつひろし)とかザ・タイガース(沢田研二)のイメージが強いけれど、彼らはアイドル的な人気というよりは「日本最初のサイケデリック・サウンド」を標榜したバンドで、デビューアルバムの『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』とか、今聴いてもかっこいい。

で、グランド・ファンク・レイルロードの1971年の後楽園球場の来日公演のときに前座として出演していたのが、ザ・モップスだった。

そして、ザ・モップスのギタリスト星勝は、「傘がない」が収録されている井上陽水の1972年のデビュー作『断絶』でアレンジャーをつとめている。というか、このアルバムでバックで演奏しているのはザ・モップスの面々だったりする。

以下の記事ではそのあたりの経緯も解説されている。


星勝はその後の作品でも数々のアレンジをつとめ、井上陽水の重要な音楽的パートナーとなっている。

たとえば「氷の世界」がスティーヴィー・ワンダーの「Superstition」を元ネタにしているのも有名な話だけど、これも星勝がアレンジをつとめている。


King Gnuのルーツにはウッドストックが象徴する「あの時代のサウンド」がある。そして、もう一つの影響元として語る「昭和の歌謡曲」の代表は井上陽水で、特にその初期の音楽性は、ザ・モップスを通じて60年代後半から70年代初頭のサイケデリック・ロック、ハードロック、ブラック・ミュージックとダイレクトに結びついている。

こういう風に考えると、いろいろ結びついてスッキリするんじゃないかなあ!と思うのですよ。


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