資本主義の原点回帰へ
アダム・スミスの「国富論」が語られるときに、「見えざる手」を支えているのは同氏の「道徳感情論」であることが省略されている場合がほとんどです。道徳や倫理なき自由は百害あって一利なしでありましょう。
「日本の資本主義の父」と云われる渋沢栄一は、若き時代に体験した西洋社会の「民による国づくり」の可能性を見いだしました。ただ、栄一は「資本主義」という言葉を、実は使っていなく、提唱したのは「合本主義」でした。
「本」(もと)を「合わせる」ことによって価値をつくるという栄一の考えは、栄一が創設した日本初の銀行である第一国立銀行の株主募集布告から読み取れます。
『銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。。。折角人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない。』
栄一は民間力を高めることが、封建制度を打破し新たな時代を迎えた日本の国力(国民の繁栄)を高めるカギを握っていたと考えていたのです。
「本」(もと)を「合わせる」ことによって価値をつくる。これは、様々なステークホルダーがそれぞれの立場から関与して価値をつくることを示しています。合本主義の今風の解釈は「ステークホルダー資本主義」でありましょう。
そして、そのステークホルダーが価値を共創するに重要なことは、ルール(規則、法律)に留まらない、プリンシプル(道理)です。ゴーン被告の主張はルールがInjusticeであること。栄一は、そんなゴーンに問いただしたと思います。「あなたの道理、Integrityは?」
渋沢栄一のトレードマークである「論語と算盤」、経済道徳合一説。これは、過去のものではなく、これからの未来のために遺されたのではないでしょうか。サステナビリティとインクルージョン。これが「論語と算盤」の現代意義だと思っています。
「逆境の資本主義」に必要なことは原点回帰ではないでしょうか。
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