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プロデューサーはピラミッドを建てたい〜第一回:世阿弥のサスティナブル戦略


現在も残っている偉大な芸術家、また現在活躍しているアーティストたちから、そのプロデュース術を分析する連載。第一回は、今また注目されている能の大成者、世阿弥について。


僕は大学入学から足掛け10年以上を京都で過ごした。京都に暮らしたことで様々な経験は深夜12時を過ぎてから友達を呼び出して自転車でラーメンを食べに行くといった些細なことまで今の自分を形作っている自覚があるが、特に大事であったのは場所それぞれに歴史が残っており、その記憶がまた街を形作っているという感覚は、山を削って造られたニュータウン出身の自分にはそれまでなかなか得難い経験だった。

特に京都は、伝統や歴史の街であるということもあり、伝統芸能へのアクセスが非常にしやすい土地であることは良い経験だった。喫茶店で隣の客が謡曲本を読んでいる姿というのを、京都以外で自分は今の所見たことがない。また、そうやって自分の中に能というフィルタを通してみると、他の伝統芸能の関連や意外といろいろな場所に能を舞うための能舞台があること、意外と近いところでも能をやっている場所を発見できるようになる。一度離れたからこそ見つけることのできる故郷への視点。

最近、能が騒がしい。震源地の一つはもちろん宮藤官九郎脚本「俺の家の話」で大々的にフィーチャーされていることだがそれにとどまらず多くの識者からの称賛や、コロナ禍の中で能楽師たちがこぞってネット配信を始めたことで未開拓だった若い世代の興味を引いたこと、また演者も若い世代が頭角を現しつつある現在の能は静かな熱を帯びつつある。

https://www.timeout.jp/tokyo/ja/culture/interview-joe-kowloon

そもそも能は「危機の時代」に強い芸能である。なにせ室町時代から600年以上続いているこの芸能は明治維新によってスポンサーであった侍という階級の喪失や、また国内国外を問わず幾度とない戦禍を乗り越えてきた。そしてその生命力の源は、大成者である世阿弥が最初から多くのグランドデザインを描いているように思われる。その世阿弥の演劇、演出、脚本論それぞれの視点から、世阿弥の「超サステナブル戦略」を分析してみたい。

世阿弥の演劇論:「風姿花伝」
世阿弥の代表的著作である「風姿花伝」は演劇をするものにとどまらず、すべての創作論にも当てはまる金言が織り込まれた古典的著作であるが、その主たる問いは能楽師である世阿弥自身の「いかに演じるか」という問題意識から生まれていることは言うまでもない。芸は7歳くらいから初め、最初は自然に任せること。変声期を過ぎた頃には自然の華やかさを魅せること、その後に熱心に芸を仕込むことといったカリキュラムの立て方、女、老人、素面、物狂の演じ方などを丁寧に叙述し、能役者だけでなくあらゆる人の振る舞い方や生き方への参考になる。
特に最初、幼少のころからいかに芸を仕込んでおくかということへの丁寧な書き方はおそらく、氏が自分の父親である観阿弥から施されたものであることが想像に易い。そうして後継者へ芸を繋いでいくことの重要性を何よりも重視していた。

世阿弥の演出論:「能舞台」と「小道具」

googleマップで「能舞台」「能楽堂」で検索すると、思ったより多くの場所、そして意外と住んでいる場所の近くにその施設があることに驚くだろう。それは屋内、屋外を問わず、ホールにも特設用の舞台があることを考えるとこの芸能の地力の強さを実感する。そしてその能舞台が、それぞれの場所でも舞台の大きさはほとんど変わりがない。それは、演者がそれぞれの舞台を変えるたびに位置を把握し直さなければいけないといった手間を省き、言った先ですぐ演じられるという簡便性を得ることに成功している。
また、能で使われる船や車、大宮といった道具(能では作り物という)は、非常に簡素なもので統一されている。「俺の家の話」でも出てきた鐘も非常に大掛かりに見えるが、能で使われる道具は現地調達で用意できるもののみで作るという縛りがあり、その期間が終わると解体される。

http://awaya-akio.com/2018/06/07/post231/

ジャレド=ダイアモンドは「現在広まっているものがそうであることに理由はないが、廃れてしまったものには理由がある」と書いた。
おそらく、それまでや世阿弥以降の能(厳密には当時は申楽)の中に、世阿弥の能よりももっと派手な演出を施したものや、大掛かりな仕掛けを用いたものなどは多く存在したであろう。しかしそれらは、大掛かりになればなるほど一つの劇場のみでしか使えないものや移動や保存、設営解体のコストがかかるようになり、そのコストがおそらく時代を乗り越えることができなかったのだろう。世阿弥はおそらく舞台の道具のコモディティ化によってそれらをいつでも、どこでもできる芸能として生きながらえさせることに成功した。

世阿弥の脚本論:複式夢幻能に見る構造
世阿弥は多くの能の演目を書いた。その中でも特に代表的であるのが「複式夢幻能」と言われる形式の能である。その多くの話は次のような形式になっている
・旅の者(多くは僧)がある地を訪れ、そこにいる現地の者に土地の話を聞く
・するとその男はその土地でかつてあった出来事(多くは古典作品などからとられる)を事細かに語り、消える。
・実はその者自身が亡霊であり、その語った当時の姿になって再度現れる。そして自身の心残りを吐露した後、舞を舞って去る。

この構成は歴史上敗れ去った者たちの情念を鎮めること、また舞という芸術に昇華させるといった要素も含まれていると同時に、能を観る我々にも多く配慮されている構成であると思われる。仮に時代が現在で、旅の者が洋服を着た現代人であったとしても、登場人物が幽霊であり、その当時の姿で現れるということは必然性がある。かつての歴史の亡霊が現れたとき、それを見ている我々の視点と旅の者の視点は「過去を見ている」ということで一致しているのだ。例えばこれが今起こっている出来事だけであったなら、その価値はその時代時代の解釈や演出によってアップデートしないと、途端に古びたものとなってしまうだろう。

そしてなによりも、世阿弥の大成した能の素晴らしさは、その確固たる美学に基づいた「洗練」と「完成度」を磨き上げたことにあることは言うまでもない。
正直、能は初見を観て「面白い!」と感動できる人はそう多くない。正直「退屈」と言ってもいい。大体初めて能の演目を観ているとき5分くらいすると「次の場面にならんかな」と思いながらみて、ようやく最後にちょっと盛り上がったかと思うと途端に終わる。しかし、その時間が不快かというとそうではなく、意外と「また観たいな」と思わせる気分になってしまうのだ。ライターの九龍ジョーはこの感覚をサウナの「ととのう」と同じ感覚と述べているのがまさしく彗眼で。自分としては、京都で湯豆腐を食べているときの感覚に似ている。食べている最中は途中から何を食べてるのかわからなくすらなってくるのだが、食べ終わったあと、不思議と心地よい感覚に満たされるのだ。そうすると、先程まで自分が思っていた「退屈」の感覚が変わってくる。というより、「退屈」が「つまらない」こととイコールではないということが時間を遡及してわかってくるのだ。ある人はこのような感覚をタルコフスキーの映画などにも感じるであろう。そしてその鑑賞体験は、観ている間にこちらにストレスを全く与えないように配慮された発声、動きによるものが大きい。多くの耳目を集めるために人をあえて不快にして盛り上がることさえも是とする「バズり社会」のなかで能が注目されているのは、そのような現在に生きる我々に安らぎを与えてくれるからかもしれない。

第二回は「糸井重里と安倍晴明」を予定しております。サポートや課金が想定に達した際に書く予定なので皆様の応援をお願いします。

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