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冒険家マークと学ぶローマ帝国史 第3回


ローマは如何にして帝国に成り得たのか?その成り立ちを見ていこう。ローマは偉大にして永遠なり。彼らの軌跡と栄光をコインの図像と共に追っていく。


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前回までのあらすじ
トロイア王国は、アカイア軍のオデュッセウスが考案した木馬作戦の策略にかかり、一夜にして焼き払われた。だが、トロイアから命辛々脱出した王子アイネイアスは、亡命の末イタリア半島に辿り着いた。イタリアを北上した彼は最終的にラティウムと呼ばれる地に安住を得た。その後、彼の末裔たちがアルバ・ロンガ王国と呼ばれる国家を形成するに至った。


アルバ・ロンガ王国のヌミトル王の王女レア・シルウィアは、美しく聡明な人物だった。王ヌミトルの下で何不自由ない生活を送っていた彼女だが、ヌミトルの弟アムリウスが兄の王位を狙ってクーデーターを起こし、自身が王を僭称した。その後、ヌミトルの子シルウィアは、ウェスタ女神の巫女の役職に付けられた。ウェスタの巫女は、三十年間に亘って女神に仕える役職であり、その期間中は交際や結婚を一切禁じられ、純潔を保たなければならないという掟があった。つまり、事実上子孫を残せないことを意味しており、これがアムリウスの策略だった。シルウィアに男児が生まれると、その子が将来的に王位継承権を主張し、自身の地位を脅かす危険性があるとアムリウスは考えていたのである。こうして、強制的に巫女にさせられたシルウィアは、アムリウスにとって脅威の対象ではなくなった。

だが、ある日シルウィアが職務の疲れから神殿の階段で居眠りしていると、たまたま通りかかった軍神マルスが彼女の美しさに一目惚れし、懐妊させるに至った。ウェスタの巫女にしておけば安心と踏んでいたアムリウスの思惑は外れ、シルウィアは子を宿す脅威となってしまった。そこでアムリウスはシルウィアを幽閉し、生まれてきた双子ロムルスとレムスを部下の兵士に殺害するように命じた。だが、兵士は双子を自身の手で殺めることができず、彼らを揺り籠に乗せてティベレ川に流し、アムリウスには無事葬ったと虚偽の報告を行った。安堵したアムリウスは、自身の王権を揺るがす脅威が完全に消え去ったと思っていた。川に流された双子は岸辺で水を飲んでいた雌狼ルパによって保護され、彼女の乳を与えられて、何とか命を繋いだ。


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図柄表:ウィクトリア
図柄裏:マルス
発行地:ローマ共和国ローマ市造幣所
発行年:前108〜前107年
発行者:ルキウス・ウァレリウス・
銘文表:XVI(16アス=1デナリウス)
銘文裏:L VALERI FLACCI(ルキウス・ウァレリウス・フラックス)
額 面:デナリウス
材 質:銀
直 径:18.0mm
重 量:3.82g
分 類:RSC Valeria 11、Crawford 306/1

ローマの始祖の神でロムルスとレムスの父であるマルスを表したデナリウス銀貨。発行者はルキウス・ウァレリウス・フラックスで、本貨は前108〜前107年にローマ市内の造幣所で発行された。兜を被り、右手に槍を、左手には戦勝トロフィーを握っるマルスが描かれている。彼の腹筋は割れており、鍛え上げられた身体が美しい。マルスは戦争を司る男神で、軍事国家ローマでは人気が高く、特に軍人からの信仰が手厚かった。ローマ神話ではアルバ・ロンガ王国のウェスタの巫女レア・シルウィアに一目惚れし、彼女との間にロムルスとレムスをもうけたとされる。

発行者のフッラクス家は、コルネリウスやクラウディウスと並んでローマで最も地位の高い貴族階級(パトリキ)のひとつであるウァレリウス氏族に属していた。 この氏族で初めて執政官職に就いたプブリウス・ウァレリウス・ポプリコア(Publius Valerius Poplicola)は神話上の人物ではあるが、共和政ローマで最初の執政官に就任した人物とされる。彼はローマ建国神話で有名なルキウス・ユニウス・ブルートゥス(Lucius Junius Brutus)と共に執政官職を務めたと伝承される。ルキウス・ユニウス・ブルートゥスは神話上の人物ではあるが、カエサル暗殺者のマルクス・ユニウス・ブルートゥスの先祖とされていた。

原資料に基づく現実的な側面で言うと、ウァレリウス・フラックス氏族は前3世紀から本格的に台頭し始めた。前261年にルキウス・ウァレリウス・フラックス(Lucius Valerius Flaccus)が執政官(コンスル/Consul)の地位を得た。 その他にも全部で4人のウァレリウス・フラックスという同名の人物が、本貨の貨幣発行者の前に執政官に就任しており、彼らは発行者の親族にあたる。

前195年には、ルキウス・ウァレリウス・フラックスが友人の大カトーと共に執政官に就任した。前184年には監査官(ケンソル/Censor)にも当選した。また、前194年にはガリア・キサルピナ属州総督(Pro Consul/プロコンスル)となり、メディオラヌム(Mediolanum)近郊でインスブリ族(Insubres 現イタリアのロンバルディア地方に定住していたケルト系民族)を撃退した。そして、前190年にはイタリア北部のクレモナを植民都市とした。

本貨のマルス及び周辺事物の図案は、戦勝を暗示するものであり、穂の図案は植民地を象徴するものと思われる。マルスの図案は、前209年以降ウァレリウス・フラックス一族が務めてきたフラメン・マルティアリス(Flamen Martialis)の役職も象徴している。 フラメン・マルティアリスは、マルス教団の大司祭職だった。本貨の発行者の父ルキウス・ウァレリウス・フラックスもフラメン・マルティアリスであり、前131年には執政官を務める有力人物だった。父と同様に本貨発行者のフラックスもフラメン・マルティアリスを務め、前103年には財務官(プラエトル/Praetor)に就任した。フラックスは前100年に6回目の執政官職を手にしたガイウス・マリウスと共に執政官職を得た。

プブリウス・ルティリアス・ルフスの証言を引用した帝政初期の歴史家プルタルコスによると、マリウスは敵方のメテッルス・ヌミディクスの代わりにフラックスを執政官として選ぶように投票者らを買収したという。その後もフラックスは出世を重ね、前97年にはカエサルの部下でクレオパトラ女王の夫であるマルクス・アントニウスの祖父で同名のマルクス・アントニウスと共に監察官の役職を得た。ルキウス・コルネリウス・キンナ(スッラの政敵で、スッラ不在中のローマを牛耳った人物)は、フラックスを前86年にプリケプス・セナトゥス(元老院の第一人者)に任命したが、これも前100年のマリウスの時と理由は同じく、自分に賛同する政治家で周りを固めたかったためだろう。

だが、フラックスは民衆派からスッラを支持する貴族派に転身した。おそらく、そのきかっけは前85年に同名の従兄弟であるフラックスが民衆派に突如殺害されたことによる。その後、フラックスはスッラの下で動き、貢献した。フラックスの働きに感謝したスッラは、元老院に彼をインテル・レックス(古代ローマの王政期に王の死に際して元老院が臨時で王権を与えられた際に出現した中間王。共和政期には、任期中の2人の執政官の死亡ないし辞職の際、次期執政官選任までの間、執政官の権力を臨時で有した官職をさした。インテルレックスは、貴族階級に属する元老院議員から選出された)に選出するよう求めた。だが、これはスッラが自身を独裁官として当選させる思惑があった。

その後、スッラはフラックスにマギステル・エクィトゥム(Magister Equitum 共和政期に臨時で設置された公職。騎兵長官という邦訳が与えられる。独裁官(ディクタトル)が置かれた際、独裁官がその補佐役として騎兵長官を指名した)に指名したが、これは名誉称号であり、実権は全てスッラが握っていた。その後、フラックスは前70年代に他界したとされるが、彼に子どもがいたという記録は残されておらず、家系がその後どうなったのかは不明である。


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図柄表:ウェスタ
図柄裏:投票する男性
発行地:ローマ共和国ローマ市造幣所
発行年:前63年
発行者:ルキウス・カッシウス・ロンギヌス
銘文表:L(ルキウス )
銘文裏:LONGIN III V(ロンギヌス 貨幣発行三人委員)
額 面:デナリウス
材 質:銀
直 径:18mm
重 量:3.7g
分 類:RSC Cassia 10


ウェスタの肖像を描いたデナリウス銀貨。本貨は、前63年にローマ市内の造幣所で発行された。発行者はルキウス・カッシウス・ロンギヌスで、ウェスタの図案は発行者の祖父ルキウス・カッシウス・ロンギヌス・ラウィッラが前113年に3人のウェスタの巫女にかけられた裁判の解決に寄与した功績に由来する。発行者のルキウス・カッシウス・ロンギヌスは、カエサル暗殺計画を企てたガイウス・カッシウス・ロンギヌスの弟である。兄弟ともにローマ政界で活躍するエリートだった。

ウェスタは、古代ローマの家庭の女神である。彼女の首元には儀礼用の酒器キュリックスと、発行者の名の一部である「L(LVCIVS)」の銘が刻まれている。ウェスタは家庭を守護する女神ゆえ、家屋のかまどを司った。結婚の女神ユノーの姉にあたり、ユノーと似たような姿で表されるが、短気で嫉妬深いユノーとは正反対の性格であり、穏やか且つ謙虚な奥ゆかしい女神だった。ウェスタは目立つことを嫌い、神話にもほとんど登場しないが、絶大な崇拝を誇った。純潔の女神で、夫や子は生涯持たなかった。彼女に固有の神話はないが、ローマでは極めて重要な神として扱われていた。そのため、ローマの建国以前からウェスタの巫女と呼ばれる特別な女性たちが存在した。ロムルスの母レア・シルウィアもその巫女の一人だった。血縁や氏族を何よりも重んじる古代ローマにとって、家庭を守護する女神ウェスタは欠かせない存在だった。

ウェスタの巫女は幼いうちに選出された。純潔が求められたため、30年間にわたる任期中は交際も結婚も許されなかった。その代わり様々な厚遇を受けることができた。だが、掟を破った場合には土埋めの刑に処された。ウェスタの巫女は、最初の10年が修行、次の10年が実務、最後の10年で指導に回るという。ウェスタが処女神だったため、その巫女たちも30年間の任期が満了となるまで純潔を貫き、ウェスタに奉仕する定めとなっていた。在職中に結婚、交際、不倫などを行った場合は、神への冒涜罪として生き埋めの刑が執行された。こうした制約が多かったものの、劇場では最前列が確保されるなど、いろいろな面で厚遇もされた。当時は男性社会だったため、女性であっても、これだけの権利が認められていたのは、非常に珍しいケースといえる。


狼に育てられた双子ロムルスとレムスは、その後羊飼いの夫婦に引き渡され、彼らは成人すると羊飼として生計を立てた。そんなある日、彼らは村人から自分たちの母親がアルバ・ロンガ王国の王女であり、彼女が僭称王アムリウスによって幽閉されていることを耳にする。憤怒した二人は王国に乱入し、アムリウウスを倒して復讐を果たした。その後、母の居場所を探した彼らだが、時既に遅く、彼女はずいぶんと前に獄中で他界していた。復讐を果たし終えた二人は、再び故郷に戻り、羊飼いとして元の生活を送った。

だが、そんな二人に少しずつ亀裂が入り始めていた。村に戻った二人には、派閥ができるようになっていた。ロムルスを支持する者と、レムスを支持する者で小競り合いが始まるようになった。仲違いした彼らは境界線を引き、ロムルスのテリトリーとレムスのテリトリーというように村を二分化するに至った。ある日、弟のレムスがこの境界線を無視してロムルスのテリトリーに無断で侵入した。怒った兄ロムルスは、その勢いで弟のレムスを殺してしまった。その後、ロムルスの村は彼の名に因んで「ローマ」と呼ばれるようになった。


冒険家マークの豆知識
古代ギリシア・ローマの地名は単語の末尾を「ア」の形にする文法上のルールがある。そして、古代の人々は都市の建設を行った人物の名前を地名にすることが多かった。例えば、エジプトのアレクサンドリアがその良い例である。この都市はマケドニアの大王アレクサンドロスによって建設されたため、彼の名前に因んで付けられている。現モロッコに位置したマウレタニア王国というローマの従属国家が存在していたが、マウレタニアにはカエサリアという都市があった。この地名もかの有名なローマの将軍カエサルの名を冠している。地名は名詞の末尾を「ア」の形に変格させることが原則だが、この原則に沿わない例外ももちろん存在する。例えば、現在エジプトと呼ばれている地は、ローマからはアイギュプトスと呼ばれていた(エジプトの現地人は自分たちの地をケメトと呼んでいた)。このような例外はあるものの、地名の多くがゲルマニア(現ドイツ)、ガリア(現フランス)、ブリタニア(現イギリス)、ヒスパニア(現スペイン)、ダキア(現ルーマニア)のように名詞の末尾が「ア」の形で終わるように名が付けられている。


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図柄表:ローマ女神
図柄裏:雌狼ルパ
発行地:ローマ共和国ローマ市造幣局
発行年:前77年
発行者:プブリウス・サトリエヌス
銘文表:IIAT(コントロールマーク)
銘文裏:ROMA P SATRIENVS(ローマ プブリウス・サトリエヌス)
額 面:デナリウス
材 質:銀
直 径:18.0mm
重 量:3.98g
分 類:RSC Statriena 1


前77年にローマで発行されたデナリウス銀貨。ローマ建国神話に登場する雌狼が表されている。伝説によれば、ローマの建国者ロムルスは誕生後まもなく川に流されたが、雌狼に拾われその乳で命を繋いだという。ただ、ローマでは「雌狼」が「娼婦」の隠語であり、神話の実態を察する。もちろん、当時の人々も本当にロムルスが狼に育てられたとは思っていなかった。

雌狼は娼婦の暗喩であり、誰もがロムルスの出自を理解していた。捨て子が多かったローマでは、娼館が飢えた子どもたちを拾って食べさせる代わりに、教育を施して従業員として働かせていた。それゆえ、本貨はローマの建国者ロムルスの育て親で娼婦のアッカ・ラレンティアが雌狼の姿で表されていると言える。


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図柄表:ローマ女神
図柄裏:雌狼ルパとロムルスとレムス
発行地:ローマ帝国ヘラクレア造幣所
発行年:330〜333年
銘文表: VRBS ROMA(都市ローマ)
銘文裏:SMHE(ヘラクレア造幣局)
額 面:センテニオナリス
材 質:青銅
直 径:17.8mm
重 量:2.42g
分 類:RC 16517


コンスタンティヌス1世による遷都記念貨。330年、ローマからギリシア人植民都市ビザンティウムに帝都を遷し、コンスタンティノポリスと改名した。首都がローマからビザンティウムに移行されたため、ビザンツ帝国の成立をこの時期とする見方もある。

ローマ建国者ロムルス、その弟レムス、義母の雌狼ルパの姿が表されている。前753年4月21日、ロムルスによりローマは建国されたと伝承される。彼はアルバ・ロンガ王国の王女レア・シルウィアの子だったが、生まれてすぐ川に流されてしまう。だが、雌狼に救出され、その乳を飲んで育った。


弟レムスを排除し、ローマの初代王として君臨することとなったロムルスだが、彼は深刻な問題に悩まされていた。それはローマの女性不足だった。ローマの都市は圧倒的に男性の方が多く、子どもが産める若い女性がほとんどいなかった。それはローマが戦争や犯罪で逃れてきたならず者で形成された都市だったことによる。ロムルス自身もトロイア戦争から敗走してきた立場にある。だが、それではローマはこのまま衰退してしまう。ロムルスは使者を通じて周辺都市に集団結婚式の約束を取り付けようと試みた。だが、どの都市もローマの台頭を恐れて色良い返事をしなかった。そこでロムルスは強行作戦に出た。それが後に「サビニ人女性の誘拐」と呼ばれるローマによる女性強奪事件である。

ロムルスは隣国サビニにローマで宴を開くので、是非足を運んで欲しいと伝えた。宴では多くのご馳走や酒が振る舞われた。当時のイタリアでは女性が飲酒することは禁止されていたため、サビニ女性は村に残り、男性のみはローマに訪れることとなった。結果、サビニには都市を守る男性がいなくなり、若い独身女性や妻子だけが残される形になった。宴も終わりに近づく頃だった。サビニ人男性たちは酒に酔っ払ってみな朦朧としていた。丁度いい頃合いと判断したロムルスは部下たちに命じ、サビニへの奇襲を行い、若い女性たちを強奪した。こうして強引な手を使ってローマは女性を獲得し、彼女たちを妻とした。当然、サビニはローマのこの暴挙に激しい怒りを示し、すぐに両国の間で長きに亘る血みどろの戦争に発展した。


To Be Continued...


くつろぐマーク


次回の冒険家マークと学ぶローマ帝国史は、『裏切りのタルペイア』。ローマとサビニの間では激しい戦争が繰り返された。どちらも勢力は互角といったところで、サビニはローマの城壁を突破するのに難航していた。だが、タルペイアという名のローマのウェスタの巫女が報酬目当てに国を裏切り、サビニの侵入を手招きしていたのだった......。


Shelk 詩瑠久🦋

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