見出し画像

アンティークコインの世界|古代オリンピックのコイン


今回は我が日本国で東京オリンピックが開催されているということで、古代オリンピックを記念して発行されたコインを紹介していく。

第一回オリンピック大祭は、前776年にギリシアのエリス地方の都市オリンピアにて開催された。この競技の開催中は各都市国家間の戦争は中断され、選手たちは運動競技を雷神ゼウスのために捧げた。

オリンピックは前776年にエリス王イフィトスによって開始されたと伝承されるが、実際はもう少し前から開催されていたとも考えられている。とはいえ、文献上の記録では、前776年のことであったされている。ギリシア全土に拡がる疫病の蔓延の終息を願って開かれたのがオリンピックの始まりだった。人々は神に運動競技を捧げることで、状況の改善を期待した。かなりタイムリーな内容だが、疫病の最中に行うオリンピックは、実は本来の姿なのである。

当初のオリンピックは、徒競走のみだった。第1回オリンピックの優勝者は、エリスの料理人コロイボスだった。オリンピック当日は、牡牛が犠牲として祭壇に捧げられた。これにハエがたかり、異臭を放って不衛生極まりなかった。体調不良を訴える人々が続出し、結果は衛生面をさらに悪化させるに至った。

現在からすれば無謀極まりないが、衛生管理に関する知識に疎かった当時においては大真面目だった。祈りを捧げて疫病の収束を願ったつもりが、逆に不衛生さが悪化してしまったのは、何ともいたたまれない。

オリンピック開催の背景は疫病だったということに加え、もうひとつ古代ギリシアの前提となる背景を述べておく。まず、古代ギリシアには、ギリシアという単一国家はなく、1200を超える都市国家から形成されていた。また、各都市国家間は非常に仲が悪く、常に他の都市国家を潰そうといがみ合っていた。その点をまず前提にすることで、古代ギリシアの歴史の見方が変わり、ギリシアコインの意図も正しく見られるようになってくる。

ペルシアが攻めてきた時のように同盟を結んで協力することはあっても、一時的なものであって和解はしていない。ペルシアを討った後は、同盟都市を潰す企てをお互い隠していた。ギリシア神話の中にも、各都市が一丸となってトロイア王国を制圧しに行く物語があるが、作中でもやはり各都市国家間の戦士は仲が悪い。

そんなわけで、ギリシア内では都市国家間の戦争が常に繰り広げられていたわけだが、オリンピックの間だけは休戦し、切磋琢磨に男たちは運動競技に勤しんだ。この男たちという点が重要で、実は当時のオリピックは女性の参加が禁じられていた。女性は選手どころか、会場に入って観客として観戦することさえも禁じられていた。それゆえ、古代オリンピックは男性選手のみで、観客も男性選手のみだったという背景がある。女性がオリンピックに参加することが倫理的に良くないものとされていたのである。

そして、古代オリンピックには優勝しか存在せず、二位も三位も存在しない。優勝かそれ以下か。二位や三位の表彰はなく、敗北者としての厳しいレッテルが貼られた。敗北者は国に帰ると罵倒され、中には精神がおかしくなった選手もいるほどだった。ある敗北者のボクシング選手は、民衆の罵倒と暴行に耐えかね、神殿に逃げ込んだほどだった。敗者に対する仕打ちは散々なものだったのである。だが、それだけに優勝者の価値は高く、一生暮らしていけるだけの賞金が付与される例もあった。

また、先に述べたようにギリシアの都市国家間は仲が悪く、戦争を繰り返していた。それゆえ、オリンピックの競技内容も実は戦争に特化したものとなっている。戦車競技は騎馬兵の訓練の一環であるし、レスリングや投石なども元を辿れば戦いの術である。オリンピックには武装競争というものも存在したが、これは武装した状態で走るレースであり、格好自体が戦争に行く時の兵士の姿なのである。このように、オリンピックと戦争は切り離せないものであった。


さて、前置きが少し長くなったが、古代ギリシアと古代オリンピックの簡単な前提を述べので、いよいよ本題のコインについて紹介していく。


188-1ウサギ-side

図柄表:飛び跳ねるウサギ
図柄裏:二頭立てのラバの戦車を操るオリンピック選手と優勝冠を届けるニケ
発行地:シチリア島メッセナ造幣所
発行年:前480〜前461年頃
銘文表:MEΣΣENION(メッセナ)
銘文裏:-
額面:テトラドラクマ
材質:銀
直径:25mm
重量:17.1g
分類:Caltabiano 536、SNG ANS 362

発行都市メッセナから戦車競技優勝者が出たことを記念して発行されたテトラドラクマ銀貨。このテトラドラクマ銀貨は、高額決済用に使用された大型の銀貨で、主に交易や神殿建設、軍の兵士への給与等、額が大きい支払いに対して利用された。

本貨はシチリアがイタリア南部カラブリア地方の都市レギウムに支配された時代に発行された。ウサギの意匠は、かつてシチリアにウサギが大量に持ち込まれた歴史を示したものあり、戦車はオリンピック大祭で戦車競技優勝者を輩出したことを記念している。本貨はレギウムの僭主アナクシラスの治世である前480〜前461年頃に発行された。それゆえ、戦車の図柄はアナクシラスが前494年ないし前480年開催のオリンピックの戦車競技で優勝した功績を表していると推測されている。戦車を操作するアナクシラスの上部には、オリンピック優勝者に授けられる葉冠を持って飛翔するニケが描かれている。勝利の女神ニケは、アナクシラスに葉冠を届けているのである。

発行都市メッセナは、前8世紀頃にエウボイア島の都市カルキスから入植した古代ギリシア人により建設された植民都市と伝承される。鎌状の港湾を持つことから、当初はギリシア語で鎌を意味する「ザンクレ」という都市名だった。だが、対岸の都市国家レギウムの僭主アナクシラスによって占拠され、「メッセナ」という都市名に改称された。

飛び跳ねるウサギの姿を描いたこのコインは、大変人気の高いコインの一枚であり、世界中のコレクターから高く評価されている。まず、ウサギというモティーフが珍しく、通常は馬や鷲といった動物が好まれてコインのデザインに採用される。ウサギのコインで他に有名なものは、ローマ帝国のハドリアヌスの治世に発行されたヒスパニア巡視記念のコインが挙げられる。とはいえ、それは皇帝の足元に小さく描かれている程度で、ウサギがメインのテーマではない。それゆえ、本貨のようにウサギを中央に大きく刻んだコインは非常に珍しい。希少性とその秀逸なデザイン性が相まってアンティークコイン市場では高額で取引されている。


38-1レスリング-side

図柄表:レスリング
図柄裏:投石手
発行地:パンフィリア地方アスペンドス造幣所
発行年:前380〜前330年頃
銘文表:LΦ(造幣所管理番号)
銘文裏:EΣTFEΔIIVΣ(アスペンドス)
額面:スターテル
材質:銀
直径:23.5mm
重量:10.9g
分類:Sear5398

パンフィリア地方のアスペンドスで発行されたスターテル銀貨。表側にレスリング選手たち、裏側に投石手が描かれている。打刻が良好で、レスリング選手たちが互いの腕を掴み、今にも次の手に出ようとしている瞬間をいきいきと伝えている。レスリング選手たちの一瞬の緊張感を表現した古代ギリシア芸術の傑作と言えるだろう。

本貨は発行都市アスペンドスからレスリングと投石の二競技で優勝者が出たことを示している。投石は現在のハンマー投げの前衛にあたるもので、紐を用いて石をできるだけ遠くまで飛ばす競技だった。もともと投石は戦争の際に行われた攻撃のひとつで、旧約聖書のダヴィデ王のエピソードからもその様子が窺える。少年ダヴィデは投石によってペリシテの巨人ゴリアテを倒し、英雄としてその名を歴史に刻んだ。

レスリングは、前708年には既にオリンピックの種目のひとつだった。前410年頃にアスペンドスのレスリング選手が、古代オリンピックで勝利したことを記念し、本貨が発行された。当時のレスリングは、制限時間がなかったため、長時間に及ぶこともあった。

ひとつ興味深いのは、古代のオリンピックはフェアプレー、すなわち武器を隠していないことを示すために全裸で行われたという点もあるが、当初の理由は全裸の方が徒競走で早そうだからという理由だった。スパルタ出身の選手が全裸の方が空気抵抗の関係から早い記録が出せそうだとして、突如全裸になって競技に参戦した。結果、彼は徒競走で見事優勝を収めた。これを聞いた選手たちは、次々に彼を真似て全裸で徒競走に挑戦するようになり、いつの間にか参加者が全裸で競技を行うようになっていたという背景がある。本貨に表された投石手は衣服を着用している。それゆえ、競技によっては選手が衣服を着用していた可能性が窺える。少なくとも、全ての競技が全裸で行われていたわけではなく、当初のオリンピックでは選手は衣服を着用していた。

本貨の発行地域では、ギリシア語の方言のひとつパンフィリア語が話されており、ギリシア文字を借用して派生させたパンフィリア文字によって文字を記録した。このパンフィリア文字については、本貨に刻印された銘文からも窺える。当時最も一般的だったコイネー式方言を表記するギリシア文字には存在しないアルファベットが本貨にも複数見受けられる。

本貨の単位スターテル(Stater)は、ギリシア及びその周辺地域で使われた古代貨幣である。その名称は古代ギリシア語で「重さ」を意味している。テトラドラクマ(4ドラクマ)がスターテルに相当したというが、別の時代や地域では、ディドラクマ(2ドラクマ)をスターテルとも呼んだ。このスターテル貨は、コリントス、アイギナ島、クレタ島などでも発行されていた。


206-1フィリッポス-side

図柄表:ゼウス
図柄裏:騎馬兵
発行地:マケドニア王国アンフィポリス造幣所
発行年:前342〜前329年頃
銘文表:-
銘文裏:ΠIΛIΠΠOΥ(フィリッポスの)
額面:テトラドラクマ
材質:銀
直径:23.6cm
重量:14,1g
分類:Sear6684var

マケドニア王国のアンフィポリス造幣所でフィリッポス2世の治世に発行されたテトラドラクマ銀貨。表側にフィリッポスの肖像をベースにしたゼウスの横顔、裏側に勝利を象徴する植物シュロ(椰子の葉)を持つ騎士が描かれている。この裏側の図案は、フィリッポス2世自身がマケドニアの代表として戦車競技に参加し、優勝したことを伝えている。

フィリッポス2世は、かの有名なアレクサンドロス大王の父であり、弱小国マケドニアを改革し、当時の先進都市であったギリシア南部の諸ポリスに張り合える強国に成長させた。アレクサンドロスの快進撃もフィリッポスが築き上げた土台がなければ叶わないものだった。フィリッポスはテーバイで人質にされていた少年時代に戦闘術を学び、これを基にマケドニア式ファランクスを考案した。田舎の野蛮人と揶揄されたマケドニアがギリシア世界の頂点に君臨できたのは、この重装歩兵による密集陣形によるものだった。マケドニア式ファランクスは通常のファランクスに改良を加えたもので、長い槍サリッサを新たに採用した。サリッサは4〜6mほどの槍で、他ポリスの重装歩兵が装備したものよりも長く、そのぶん戦闘で有利だった。だが、これだけ長身の槍を扱うには相当の訓練が必要とされた。

フィリッポスは、前357年頃にマケドニア南部メトネ市攻略戦で、右目を失っている。前338年のカイロネイアの戦いでは、アテナイとテーバイの連合軍を破ってギリシアの覇権を握った。さらにペルシア帝国への遠征を目指すが、娘クレオパトラとエピロス王アレクサンドロス1世の結婚式の祝宴の席で、護衛のパウサニアスによって突如暗殺された。こうしてペルシア遠征の大事業は、息子アレクサンドロスに引き継がれた。仲が悪く離婚していたアレクサンドロスの実母で元妻のオリュンピアスが、暗殺の黒幕として疑われている。だが、アレクサンドロスが関与した疑いも指摘されている。

妻と子の名は、オリュンピア大祭でマケドニアの選手が戦車競技で優勝したことに由来している。優勝の知らせは、アレクサンドロスの出生とほぼ同時期に彼の耳に届いた。大いに喜んだフィリッポスは、いまだ幼名であった妻の名をオリュンピアにちなんでオリュンピアス、生まれた子にはマケドニア人で初めてオリンピック大祭に参加した選手アレクサンドロスの名前を付けた。

前342年、フィリッポスはアリストテレスを招いて、王子アレクサンドロスの家庭教師の一人とした。都ペラから離れたミエザの学園で、前340年までアレクサンドロスやラゴスのプトレマイオスを始めとする学友たちに教えさせた。この学友たちが、後にアレクサンドロスを支える将軍となる。だが、彼らはアレクサンドロスの死後、ディアドコイ(後継者)戦争を起こして、広大なマケドニア帝国はプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニアのヘレニズム三国に分裂するに至った。


168-1ウサギを捕らえる鷲-side

図柄表:ウサギを掴んで飛翔する大鷲
図柄裏:ケラウノス
発行地:エリス地方オリンピア造幣所
発行年:前244〜前208年頃 
銘文表:-
銘文裏:F A(発行都市オリンピアの意)
額面:ドラクマ
材質:銀
直径:18.0mm
重量:4.7g
分類:-

エリス地方のオリンピアで発行されたドラクマ銀貨。表側にウサギを掴んで飛翔する大鷲、裏側にゼウスの雷霆が描かれている。本貨は第134回オリンピックの際に会場で来場者に配られた記念貨幣だったと推測されている。オリンピックがゼウスに捧げられた祭典だったため、裏側には彼の武器であるケラウノスが意図的に描かれている。

オリンピックは、キリスト教を国教と定めたローマ皇帝テオドシウス1世によって異端の祭典として開催を中止されるまで、実は約1500年間中断されることなく続いた競技だった。ローマ時代に入ってもオリンピックは変わらず開催され、ローマ人も選手として参加していた。最も有名なローマ人のオリンピック選手と言えば、ユリウス・クラウディウス朝最後の皇帝で、悪名高き暴君ネロだろう。彼は審判員を多額の賄賂によって買収し、戦車競走を完走できなかったにもかかわらず、優勝者として表彰されるに至った。これはオリンピックの格式を大きく落とすことなり、周囲から多大なブーイングを買った。ネロの死後、審判員たちは賄賂の返却を命じられたという。オリンピックの優勝を金銭で買ったネロのこの行いは、数多くの歴史家によって非難され、言い伝えられることとなった。

様々な競技がある中で、最も観客を興奮させた競技は戦車競争だった。この種目はオリンピックの花形競技で、戦車レースの選手は人々の羨望の的だったのである。目立ちたがり屋のネロが数あるオリンピック競技の中で戦車競争を選んだ理由には、そうした背景が関係している。だが、映画『ベン・ハー」で繰り広げられていたような激しくスリリングなレースが行われ、怪我人や死者が出るのは日常茶飯事だった。実際、ネロも途中で転倒して完走できていないことからも、戦車競技の難しさが窺える。


オリンピックを含めて古代には4つの運動競技大祭が存在した。日程が被らないようになっていることからも、意図的に開催日を調整していたことは確かである。下記、オリンピックを含めた四大運動競技祭を列挙する。

オリンピア大祭
オリンピアにて4年に一度開催。ゼウスに捧げた祭典。

ネメア大祭
ネメアにて2年に一度開催。ゼウスに捧げた祭典。

イストモス大祭
イストモスにて2年に一度開催。ポセイドンに捧げた祭典。

ピュティア大祭
デルフォイにて8年に一度開催だったが、途中から4年に一度に変更された。アポロンに捧げた祭典。


ピュティア大祭についてはローマ時代に開催記念貨が発行されているので、参考までに紹介する。

画像5

図柄表:カラカラ
図柄裏:ボクサー選手
発行地:ローマ帝国トラキア属州フィリッポポリス造幣所
発行年:214〜215年頃
銘文表:AVT KAI M AVP CEVHPOC ANTΩNEINOC(最高軍司令官 皇帝 マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス 尊厳なる者)
銘文裏:AVΓ KOINON ΘPAKΩN AΛEZANΔP ΠVθIA ΦI(トラキア属州アレクサンドリア・ピュティア・フィリッポポリス)
額面:AE31/メダル
材質:銅鉛合金
直径:31.5mm
重量:18.8g
分類:Varbanov1445、Weber2774ff

ローマ帝国トラキア属州フィリッポポリス(現ブルガリア・プロヴディフ)で214〜215年に発行されたピュティア大祭記念発行貨。表側に時の皇帝カラカラ、裏側にボクサーを描いている。発行都市フィリッポポリスの代表選手の優勝を祝ったコインである。この大祭はオリュンピア大祭と並ぶ大規模な運動競技会で、4年に一度開催された。ギリシアのデルフォイで開催され、アポロンに捧げられる祭儀だった。ちなみにデルフォイは予言の神アポロンの占いが最も当たる神託所があったことで知られる。

ピュティアとは開催地デルフォイの古い呼び名である。ピュティア大祭は当初8年に一度開催されたが、前582年以降に4年に一度の開催と定められた。オリュンピア大祭と時期が被らないようにオリュンピア大祭の開催から2年後に開催された。だが、394年にキリスト教を重んじるテオドシウス1世により異教の祭儀として開催禁止が決定された。

アレクサンドリア・ピュティアという名で表記されている理由については、2世紀のローマの著述家カッシウス・ディオが記録している。パルティアとの戦争でカラカラはトラキアに駐留し、皇帝の来訪を記念して競技祭が特別開催されることになった。そのため、カラカラが尊敬していたアレクサンドロス大王の名をこの祭りの名に添えた。

このアレクサンドリア・ピュティアという名に関しては、トラキア属州の都市フィリッポポリスがカラカラ及びローマ帝国に媚び、その寵愛を得る狙いがあったと思われる。それゆえ、政治的な利益・恩恵を得ようとした策略である。発行された記念貨から、そうした当時の背景・思惑が窺い知れる。本貨は貨幣ではなく、ピュティア大祭を祝した記念メダルだった可能性も指摘されている。


下記のコインはピュティア大祭と断定できるものではないが、明らかに運動競技を意識した意匠を採用しているため、こちらも参考までに紹介する。

画像6

図柄表:エラガバルス
図柄裏:レスリング
発行地:ローマ帝国トラキア属州フィリッポポリス造幣所
発行年:218〜222年頃
銘文表:AVTKMAVPHA ANTWNINOC(皇帝 アントニヌス)
銘文裏:MHTPOPOLEWC FILIPPOPOLE WCNEWKO POV
額面:AE28
材質:銅鉛合金
直径:28mm
重量:15.1g
分類:Varbanov 1712、Moushmov 481、Moushmov 5404

ローマ帝国トラキア属州フィリッポポリスで218〜222年頃に発行されたコイン。表側にエラガバルス、裏側にレスリングの様子を描いている。通常ローマコインの裏面には神、神具、神殿などの宗教的事物が好んで選ばれるが、本貨は珍しくスポーツの様子を表している。ローマ本土から離れた属州では、時折こうした貨幣が見られる。

このコインが発行される500年以上前に上記で述べたアスペンドスで類似したレスリングの銀貨が発行されている。直接的な関連性があるかは不明だが、アスペンドス発行の銀貨を認識しており、その図案を参考にしているようにも思える。アスペンドスの銀貨は、オリュンピア大祭でのレスリング選手の勝利を記念している。

レスリングはギリシア・ローマ時代を通じ、オリュンピア大祭のメイン競技として人々を興奮させてきた。当時は時間制限がなかったものの、ルールは現在とさほど変わっていない。これを「グレコ・ローマンスタイル」と呼ぶが、この形式を基に英国ランカシャーで、全身どこでも使用可能なフリースタイルが誕生した。

エラガバルスはローマ帝国のセウェルス朝に区分される皇帝で、カラカラの死後に即位した僭称皇帝マクリヌスを倒し君臨した。エラガバルスとは実はあだ名であり、本名はウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌスという。ローマの伝統宗教の慣習を無視し、シリアの太陽神エル・ガバルを突然主神と定める方針に走ったことに由来する。エラガバルスは、古代ギリシア語読みのヘリオガバルスの名でも知られる。14歳で即位した少年王であり、統治能力に乏しいため、実権は彼の親族に握られていた。最終的には軍の反感を買い、従兄弟のアレクサンデル・セウェルスに帝位を簒奪され、処刑された。当時の著述家の記録のどこまでが正しいかは定かではないが、アブノーマルな嗜好を持っていたという。


以上、オリンピックに関連した古代ギリシア・ローマコインを紹介した。今日がちょうど東京オリンピックの開会式であり、疫病の不安の最中とは言えど、オリンピックは人々をやはり賑わせている。今から2800年ほど前に始まった運動競技祭が一度は中断されたものの、現在でも脈々と形を変えつつも受け継がれていることには驚嘆する。いつの時代でもスポーツは人々の心を熱狂させ、元気付ける力を持っている。それはもはや、人間のDNAに刻み込まれた本能なのだろう。これからもオリンピックがどんな形であれ、継続され、後世へと引き継がれていくことを切に願うと同時に、その成立に関する歴史背景を共に伝えていけたのなら、これに勝る喜びはない。


Shelk 詩瑠久🦋

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?