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マークの大冒険 フランス革命編 | もうひとつのフランス史 もう一人のシャンポリオン


歴史には、もう一人のシャンポリオンがいた。

古代エジプト語の解読者シャンポリオンの影に隠れた、彼の兄ジャック=ジョゼフ・シャンポリオンとマークの物語_____。



フランス、1822年9月14日_____。



「ジョゼフ兄さん、ついに古代エジプト語を解読した!これでボクらは英雄になる!」

「本当か!?」

「ああ、これからまとめて論文を仕上げる」

「マークにも伝えてやりたかったな」

「彼には本当に世話になった。彼なくして、解読は成し得なかったかもしれない。古代エジプト語の文字が表意だけでなく、音価も示す可能性があるということ、そして何より決定詞という発想とヒントをくれたのはマークだった。今、ここに共にいないことがとても寂しい」

「そうだな。だが、今日は盛大に祝おう!マークもきっと、どこかで喜んでくれているさ」

「でもその前にボクは少し休憩を取るとするよ......」

そう言うと、ジャンはその場で勢いよく倒れた。

「おい!大丈夫か!?」

ジョゼフがジャンの身体を起こそうとすると、ジャンは大きなイビキをかいていた。

「おいおい、寝てるだけか。ちゃんとベッドで寝ろよ。力尽きて死んだかと思ったぜ。驚かせるな。だが、よくやった。弟よ」



🦋🦋🦋



フランス、1798年_____。



「ボナパルトさん、お願いします。俺も行かせてください!どうしてもエジプトに行きたいんです」

「ダメだ、足でまといは必要ない。シャンポリオンくん、キミは兵士としての素質に欠ける。試験に落ちたんだ。資格がない。以上だ」

「ずっとエジプトに憧れてて。どうしても、あの砂漠や巨大建築ををこの目で見てみたいんです。俺、何でもやりますから!」

「キミは少し勘違いしてるようだが、私たちは遊びでエジプトに行くのではない。エジプトを制圧し、インドとの交易ルートを絶って憎き英国を潰すためだ。これは、フランスの命運を賭けた壮大な大戦争なのだ」

「でも......!」

「同じことを言わせるな」

そう言いながら、ナポレオンは少し苛立ったような表情でジョゼフにサーベルを突き付けた。

「そんな......」

苦難に満ちたエジプト遠征

実際エジプト遠征は遊びではなく、危険な旅だった。兵士と同行した学者も多くが他界した。戦闘によるものに加え、疫病の流行にも悩まされ、病で没したものも多かった。学者は総勢151名が遠征に参加したが、そのうち25名程度は現地での戦闘及び疫病で他界した。現地人に追い詰められた学者たちが、マスケット銃で援軍が到着するまで耐え凌いだことさえあった。それだけ命を賭けた危険な旅だった。


「ナポレオン、ジョゼフを兵団でなく、ボクら学者たちの枠組みで遠征に連れて行けないか?ボクの助手という形で彼には働いてもらう」

みかねたマークがジョゼフに助け舟を出した。

「却下だ」

「ジョゼフはフランス革命の政変で満足に勉強できず、弟と妹の世話ばかりだった。それでも、古代史に憧れ、独学でギリシア語とラテン語まである程度マスターした。こんなに熱心で、情熱に溢れた人間はなかなかいない。ナポレオン、思い出してくれ。キミもかつては大志を抱いた一人の青年だったことを。一人の青年に夢を叶えるチャンスを一度でも良いから与えてくれないか?」

「なら、マーク。何かあった時は、お前が全て責任を取れ」

「ああ、それでいい」

「話は以上だ。下がれ」

そうしてマークとジョゼフは、ナポレオンの書斎をあとにした。

「マークさん、本当にありがとうございます。どうお礼をしたらいいか」

ジョゼフは目を輝かせてマークに謝辞を述べた。

「礼はいらないさ。どんなことがあっても、学びを求める者の機会が奪われることはあってはならない。学びの道は、求める者には常に開かれているべきだ。ボクは、そう思う。次はキミが誰かにそうしてくれれば嬉しいよ。そうしたら、お礼なんかいらない」



To Be Continued...



ジャック=ジョゼフ・シャンポリオン

古代エジプト語を解読したジャン=フランソワ・シャンポリオンの兄。副題にも示した通り、彼がもう一人のシャンポリオンである。彼なくして古代エジプト語の解読は成し得なかった。弟のジャンを経済的にも、精神的にも支え続けたもう一人のシャンポリオンである。彼もジャン=フランソワ同様に古代史好きで、超がつくほどのエジプトマニアだった。

ジョゼフの両親は本屋を経営していたが、若くして母が他界し、父は出張で帰らない日が多かったため、弟と妹を親に代わって育てた。実家が本屋であることから、店の本を自由に読むことができる環境に恵まれ、彼は豊富な知識を自然と身に付けていく。また、フランス革命の動乱で初等教育しか受けられなかったものの、旺盛な学問への熱意で古代ギリシア語とラテン語を独学である程度までマスターしていた。

弟ジャン=フランソワの天才的な言語能力にいち早く気付いたのも彼であり、16歳で市役所に就職した後は弟に家庭教師を付けて言語学習をさらに強化させた。ジャン=フランソワは言語能力に長けていたものの、その他数学等の興味のない教科に関しては全くできなかった。特に暗算が苦手で、小学校でよく癇癪も起こした。ジャン=フランソワは一定の教科にあまりに秀で過ぎた優秀な少年だったため、団体が肌に合わず、いじめにもあった。ジャック=ジョゼフはそうした弟の性格を見て小学校を辞めさせ、家庭を教師を付けるに至った。

史実では、ジャック=ジョゼフはナポレオンのエジプト遠征に戦闘要員として志願し、同地に訪れることを夢見たが、却下された。当時の多くの青年が抱いていたナポレオン崇拝に熱を上げていた一人で、且つ遠征地がかつてより恋焦がれたエジプトということもあって、この遠征に参加できなかったことは、彼を二重の意味で失望させ苦しめた。

ジャック=ジョゼフ本人はエジプトに強い憧れを抱いていたものの、結局は一度もその地に足を踏み入れることは叶わず、失意のうちに他界した。本作では、そんなジャック=ジョゼフを哀れんだマークがナポレオンに交渉して彼を遠征に連れていき、古代エジプトの叡智を伝授する。


ジャン=フランソワ・シャンポリオン

フランスの言語学者。通常、シャンポリオンと言えば、こちらの方を指す。古代エジプト語を解読した研究者で、古代エジプト語の他、10個以上の言語を操った天才である。9歳で既にラテン語を習得しており、18歳でナポレオンの調査隊が発見したロゼッタ・ストーンの写しを手にし、研究に当たっていた。その後、19歳という異例の若さでグルノーブル大学歴史学助教授に就任する。

シャンポリオンの発見は、エジプト・ヒエログリフが音を表すサインと意味を表すサイン(決定詞/限定符)の二つから成るということだった。この発見が1824年に発表された『ヒエログリフ体系概説』では述べられている。英国の数学者ヤングが提唱していた音価に、自身のコプト・エジプト語から推測した音価を加えることで解読の糸口が見えた。その他、シャンポリオンはカノプス壺の研究などでも大きな業績を上げており、言語学だけでなく考古学の面でも大きく貢献した。

1830年には念願のエジプト現地調査旅行を果たした。それ以前の彼は、博物館からの提供品を基に研究活動を行っていた。1831年にはフランスにおける学問教育機関の頂点コレージュ・ド・フランスの古代エジプト学教授に就任する。だが、1832年にコレラに感染し若くして他界した。
フランス人の名前

フランス人の名前が「=」で繋がれているのをよく目にするだろう。これはファーストネームに用いられる。これを「・」で繋ぐ例を頻繁に見かけるが、正確に言えば誤りである。

例えばジャック=ジョゼフ・シャンポリオンは、ジャック=ジョゼフがファーストネームであり、シャンポリオンが苗字にあたる。ジャン=フランソワ・シャンポリオンも同様で、ジャン=フランソワが名で、シャンポリオンが苗字となる。

神聖ローマ帝国の皇女でルイ16世の王妃マリー=アントワネットは、「マリー・アントワネット」と中黒で一般的には表記されるが、正確には「=」で繋ぐ。マリーが名で、アントワネットが苗字ではなく、どちらもファーストネームだからである。


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Shelk🦋



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