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おっさんずラブという実験場

「おっさんずラブ〜 in the sky〜」終わっちゃいましたね。
わたしは田中圭の強火担なので、始まる前から楽しみにしていたけれど、なかなか離陸できず、やっと離陸したのは4話でした。

で、今日は良い話と、悪い話があるんだが、どっちから聞きたい?

急にアメリカのドラマ風

じゃあ、悪い話から始めますね?←聞かれてない。
悪い話というか、少しネガティブな感想から書きます。

正直、脚本に<隙が多い>というのは2018年版からそう思ってました。それをカバーして有り余る演技だというのも。
でも、本だけで感動するかというと、シナリオ本を購入して読んだときに、感動しなかったんですよ。逆にどんだけ役者の演技で埋めてるんだ!という驚きはありました。
圭くんが出た舞台「チャイメリカ」は観終わった後に、脚本も読んでみて恐ろしいほどの感動がありました。圧倒的。逆に演じるのも大変だろうなという感じ。

圭くんが『プラスアクト2020年1月号』のインタビューで言っていたけれど

役者が下手でも脚本が面白ければどうにかなるけど、その逆はあまりないと思うんです。役者が上手くても、脚本が物凄くつまらなければやっぱりダメだと思う。

これに尽きるんです。本当に。
で、ぶっちゃけおっさんずラブは脚本が、、、軽い。
良い/悪いで言ってるんじゃないですよ。
好き/嫌いの問題です。
ここは勘違いしないで欲しいんですが、「わたしは」という主語で語っています。

SNSで、「あんなこと航空会社はしない」みたいな批評も目にしましたが、わたしはそこはフィクションだからどうでもいいと思っていて。
でも、機内アナウンス長すぎ問題(長くてもいいけどそんなに語らないで欲しいというか、そこで語るならもうちょっと違うシーンで語らせてもいいんじゃないだろうかとかそんなことが脳裏によぎってしまって物語に入り込めないという現象)はありました。
「あまりにも長すぎる挨拶がありましたが」という黒澤キャプテンの言葉でしれっと収まっていた風だったけれど。

なので、わたしが今回(というか前回も映画版も)脚本として感動する箇所は一切なく、泣かされることはありませんでした。
逆に役者の涙にもらい泣きすることは何回かあった、うん。成瀬の涙には感動した。この世界にあんなに美しい泣き顔ってあるんだね。

じゃあ、次は良い話を書きます。ポジティブな感想ね。

6話くらいから感じていたけれど、成瀬を演じた千葉くんの顔つきが違いましたね。
成瀬が成長すると共にグイグイ表情が変わっていった。
もう最終回に至っては、四宮さんとのグラタンのシーンしかり、春田とのコンビニいきましょうシーンしかり、あぁ、千葉の真髄見たり、、、的な。
ただの可愛い顔の役者さん枠(ごめんね、千葉くん)だったんだけど、今回のドラマですごくイメージが変わりました。いい意味で。

あと、戸次さんもイケメン残念キャラのイメージが覆ったというか、「川柳居酒屋なつみ」でも言っていた通り、正直「おっさんずラブ」の現場に戸惑っていたと思うんだけど、1ステップ上がったんだろうな、というのをやっぱり後半グイグイ感じたし。

それで、ふと思ったんですよ、「おっさんずラブ」って吉田鋼太郎と田中圭による”ドラマ”という名前の”実験場”なんじゃないだろうか……と。
なんの実験かというと、新しいお芝居の作り方。

急に組織論みたいな話をして申し訳ないんだけど、数年前から「ティール組織」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。
これは新しい組織の形と言われていて、例えば今多くの会社や組織がそうであるように、トップがいて、中間管理職がいて、部下がいる、みたいな感じではなく、一つの組織が一つの生命体であるという感覚。
権限を持つ権力者もいなければ、現場での意思決定が最大限優先され、そして全メンバーが対等であり、組織としての目標が個人の目標でもある。
なので個人個人が得意分野でパフォーマンスをあげて仕事をすることで、組織全体が良くなる。
(わたしの怪しい説明だとかなり怪しいので、気になる人はちゃんとした本を読んでみてくださいね)

もしかして、これなんじゃないの?と。
もちろん、演出する監督、座長としての田中圭、お芝居モンスター吉田鋼太郎はいるけれど、誰かがトップで支配していたりするだろうか?と思ったときに、してないなと。
田中圭も潤滑油のような存在というか、自分にできる最大限のお芝居を現場で見せていく中で、他のメンバーにもそれが伝染するという感じなのかなと思っています。
なので大道具さんや小道具さんもこだわりをもったものを自主的に(おそらく)作ったりもしたんじゃないのかな?と。

田中圭がいいものを作りたがってるから協力しようとか、そういうんじゃなくて、おっさんずラブチーム全体がいいものを作ろうとして勝手に動いている感じ。一つの生命体。

このことを仮定すると、脚本がある程度ガバガバでも、即興で生き物のように物語は進んでいく。だって組織自体が生き物だから。
「役を生きる」って圭くんは良く言うけれど、キャラクターがいい意味で脚本を離れていく。
(あ、だからこそ、物語の軸はちゃんとして欲しいのよ、脚本!←急に思い出した)

大きな木の幹はちゃんとしていて(ストーリーとしてもうちょっとちゃんとして欲しいというのがここ)、でもそこからどんな枝葉をつけるのか、どんな花が咲き、どんな実のなる木なのか。
それは現場で役者と監督、スタッフのみんなで作り上げていく。そんなことをしていたのかな?と想像しています。

さてさて、急に組織論語り出してどうしたんだこいつは、と言う感じだけど、ちょっと話を最終回に戻します。

最終回、黒澤が春田と!でした!
これにはびっくりした人も多いと思う。ヒロイン黒澤武蔵は振られてナンボみたいなところがあったから。
でも、正直、わたしは痛快でした!

おっさんずラブは単発からずっと「私たちの中にある常識」をぶっ壊してきた。
単発は、男から言い寄られて気持ち悪い、社内でもそれが噂になる、けど主人公は「悪くないかも?」と思う世界
不動産編は、男から言い寄られる主人公は最初「ないわぁ」ってなるけど、周りや社内は「ありなんじゃない」といい、最後は主人公も男性と結ばれる世界
今回の航空編は、男から言い寄られて気持ち悪いとかそういう描写も一切なく、当たり前のような世界。

LGBTQや他の様々なことついて、<問題>として捉えるから<問題>なんだという感じがわたしにはどうしてもありました。
それを一切捉えない世界線だったインザスカイは、本当に新しい世界だと思ったし、そして最後に武蔵&春田で終わったことで

「男同士の恋愛は綺麗な絵面で若い男性同士」

という私たちの潜在意識にある常識をぶち壊しにきましたw
いや、ごめん、吉田鋼太郎さんが綺麗な絵面じゃないって言ってるわけじゃないんだよ??
でも、あったよね?どこか心のどこかで武蔵は振られるんじゃないの?って思い込んでた。
でも、20歳くらい違う二人が恋愛なのか親子愛に近いのかなんなのかそういう良く分からない気持ちで惹かれあってもいいという世界。
痛快じゃない?常識という思い込みをぶっ壊しにきたよね。

あと、あんなフワフワした良く分からない気持ちで、告白して大切なこと決めちゃっていいの?的な感想も見たけれど、それに関してもどこか<常識>が入っているなぁと思う。
わたしは誰かと誰かが永遠の愛を誓って生きていくというのはもう古いと思っていて、心地よいから一緒にいる、ただそれだけなんじゃない?って。
だから一緒にいることに「頑張る」とか言い出したら終わりだと思っています。それはドラマの世界だけじゃなくて実生活でもそう思ってる。

後、成瀬のこと好きだったのに、急にキャプテン?みたいなのもあると思うし、そこに関してはもうちょっとストーリー(先ほど言った大きな木の幹の部分)でちゃんと描いてほしかったけれど、演技の”間”や些細な表情に現れているなぁとも思います。
いや、描いてほしかったけどね?(まだ引っ張る)

さて、本当に長くなりました。
田中の圭ちゃん、「おっさんずラブ」という実験場で大暴れしてくれたなと思っています。
これほど視聴者のみんなが賛否にせよ何にせよ心揺さぶられていろんなことを思いながら見るっていうのは、その実験が大成功してるから。
それは視聴率とかそういうんじゃなくてね。

だからわたしはまた違う世界線でもいいし、このインザスカイの春田の続きでもいいけれど、春田をまた見てみたいなぁと思う。
さっき話した組織論で言えば、このチームで全然違う作品をやってみても面白いんじゃないかな?とかね。

本当にいろんなことを考えさせてもらいました!
始まる前から色々あったけど、総じて楽しかった!

最後まで読んでくれてありがとう!
この感想、おっさんずラブファンの人の3割くらいにしか伝わらないかなーと思うんだけど、どうだろうねw

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