見出し画像

〜隠れた真珠〜エルサレムのシリア正教会 No.2

オスマン帝国からの迫害を逃れ、シリア正教徒は長い時代住み慣れたトルコ南東部のトゥール・アブディーンその他の街から世界中に散らばっていった。その中のあるグループは聖地エルサレムを目指した。

この時代は時代の変わり目、激動の時で、第一次世界大戦に参戦したオスマン帝国は敗戦、そして400年近くの歴史を重ねたオスマン帝国は崩壊し、その後、ヨーロッパの列強たちが版図を分割していった。そのうちのエルサレムを含むパレスティナ地方は1922年に大英帝国が国際連盟から正式に委任統治権を得て、”英国領パレスティナ”として、イギリスの植民地となった。このような混乱期にシリア正教徒はエルサレムへとやってきた。

エルサレムももともと彼らにとっては住みやすい所、とは言えなかった。オスマン帝国時代はイスラム教が中心であったし、キリスト教側からすると、エルサレムはやはりギリシア正教会がその中枢にあった。しかし、今や事態は違う。なぜなら、支配層は大英帝国であり、イスラム教でもギリシア正教でもない”クリスチャン”だったのだ。このことが彼らにとっては逆に幸いとなる。


当時の大英帝国は、世界中にある植民地にバグパイプ軍楽隊を配置していた。これは大英帝国を象徴するシンボルともなった。だから今でも、中東ではヨルダン、カタール、オマーン、サウジアラビア、そしてパキスタンなどでも、当時の面影を残すバグパイプ隊が存在している。

ここで思い起こされるのが"コンタクト・ゾーン”という概念である。これはアメリカの文学研究家、マリー・ルイーズ・プラット(Mary Louise Pratt)が『帝国へのまなざし(Imperial Eyes)』[1992]という著書の中で定義する概念で、彼女は序論においてこう述べる。

”コンタクト・ゾーンという社会空間は、地理的にも歴史的にも隔たれた、全く異なる文化が出会い、衝突し、格闘する場所である。それは、植民地主義や奴隷制度など...しばしな支配と従属という、極端な非対称的関係において生じる”


シリア正教会は”イギリス領パレスティナ”となった1922年に、いち早く”シリア正教会スカウトクラブ”を発足させた。そしてなんと、宗主国であるイギリスに自ら”バグパイプの演奏をしたい”と申し出るのである。それは、プラットの論を逆手に取ったような、”従属側の中のマイノリティ”が生き残るには、支配層にコンタクトを取る、という"世渡りの知恵"がここに見えかのようである。そしてシリア正教会はバグパイプ隊を結成し、それはあっと言う間に成長し、特にベツレヘムのシリア正教会のバグパイプ隊は世界でもトップレベルの実力を誇るまでに成長した。Syrian Orthodox Church's Bagpipe→https://www.youtube.com/watch?v=7HzdK77xFrY


彼らの主なレパートリーはシリア正教会聖歌、パレスティナの音楽、そしてスコットランド音楽である。ここでいうシリア正教会聖歌とは、彼らの典礼音楽"ベイト・ガゾー”とは別の、比較的新しい時代に書かれた”新しい聖歌”と呼ばれるジャンルのものである。これが非常に興味深く、メロディーはなんとなく”クルド音楽”のような印象を受ける。決してパレスティナにあるような旋律ではない。それもごくごく当然で、彼らが長い時代過ごしたトルコ南東部は、いわゆる”クルディスタン”地域なのである。だからクルド音楽の影響があるのは自然なことなのである。

1. 聖木曜日・シリア正教会バグパイプ隊→https://www.youtube.com/watch?v=tKA2dKl8snI  2. ダイロヨ神父と聖歌→https://www.youtube.com/watch?v=Ktb5pv3SeLQ

1番目のビデオはエルサレムの聖マルコ・シリア正教会で、聖木曜日の洗足式が終わった後、司教、神父たちに先導してバグパイプ隊が聖堂前から教会の中庭まで行進する。2番目のビデオは後日、私がダイロヨ神父にインタビューを行った際に神父がその時のビデオを片手に、”これは我々のアラム語の聖歌だ”といって、ビデオと一緒にアラム語で詠唱してくれた時のもの。


さらに後日、私はベイト・ガゾーのことを尋ねに、教会の最古老である”アブーナ・シモン”と呼ばれるシモン神父を訪ね、その時にこの”新しい聖歌”はクルド音楽のようではありませんか?と質問して見た。すると彼は "ああ、確かにそうかもしれない。クルド民謡では、歌の合間に”レレー”という合の手を入れるんだけれども、このあたり(パレスティナ)の民謡ではそれは聴かない。私はトゥール・アブディーン生まれだから、それを覚えているんだ”という、目が覚めるような答えが返ってきた。だから、このシリア正教会で鳴り響いている音楽は、2000年前から続くアラム語のテキストに、クルドのメロディーがつけられ、さらにそれがスコットランドのバグパイプでエルサレムで演奏される、という、まさしく歴史が重なった”ハイブリッド”な音楽となっていることがわかる。


シリア正教徒は数々の困難を乗り越え、今、エルサレム・ベツレヘムを中心にコミュニティを築いて生活している。その中でもひときわ、人々の希望を集める存在が、若きダイロヨ神父である。今年で34歳になるダイロヨ神父はなんと、約100年ぶりにエルサレムから誕生した神父なのである。

シリア正教会はこれまで述べた困難な歴史に加え、現在イスラエルはシリアと国交がないため、シリアから司教や司祭、神父、助祭などを呼ぶことができず、非常に限られた人員で祭儀を回している。そんな中で生まれた、地元出身の神父に、コミュニティのメンバーは勇気づけられ、元気づけられている。素晴らしい歌声でベイト・ガゾーを歌いまわし、美しいアラム語のカリグラフィーを書き、最近はコミュニティの子供たちにアラム語を教え始めた。中には近所のイスラム教徒の人も”教えて欲しい”と頼んでくる人がいるようで、”時代が変わってきたことを感じる”と述べる。


イスラエルとパレスティナ自治区との間に分離壁ができてしまったことも、彼らにとっては大きな試練だった。それまで自由に行き来できたのが、そう簡単にはいかなくなる。特にベツレヘムの人々は、移動の制限が厳しく、生活は困難が増した。そこで彼らが何をしたかというと、バグパイプの練習により一層打ち込んだのである。どこにも出かけずに日々集まってバグパイプの練習に明け暮れていたら、どんなことになるかは目に見えている。彼らは飛躍的に実力が上がり、今や、本家のスコットランドのバグパイプ隊も青ざめるほどの演奏テクニックがあるというのだ。これが、ベツレヘムのバグパイプ隊が世界トップレベルになるに至った理由である。数年前、エルサレムとベツレヘムのバグパイプ隊で合同演奏しよう、という話が持ち上がった時に、彼らはもはやエルサレム隊はついていけないほどのテクニックとレパートリーの数を持っていてどうにもならず、大変なショックを受けた、という話をエルサレム隊のメンバーから聞いた。そこはかとなく、悲しい話である(笑)

ところが、2019年に始まったコロナ渦で、ロックダウンが続いたエルサレムの街で、バグパイプ隊のメンバーは奮起して、日々ひたすら個人練習を続けたという。おかげで彼らのテクニックもかなり上がり、今年の夏からエルサレム・ベツレヘム隊の合同練習が始まるという。めでたしめでたし(笑)


このシリア正教会バグパイプ隊の演奏が聴けるのは正教会カレンダーのクリスマス(なので12月25日ではない)、復活祭、ヨルダン河におけるセレモニーで、など。

コロナ渦が過ぎて、イスラエル・パレスティナを旅行される時は、ぜひこのバグパイプ隊の演奏が聴ける時期を狙ってみるのもいいかも、しれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?