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ただ思うこと

◎ここ2か月の出来事

人生は、なにが起きるか分からないなぁと思う。
25年しか生きてない小娘がなにを偉そうに!って感じだけれど、わたしは本気でそう思っている。
いや、正確には、そう思っていた。

3月末にコロナの影響で神戸に帰ってきた。
いや、正確には、コロナは単なるきっかけでしかなくて、わたしは東京を離れたかったし、神戸に帰りたかったのだと思う。
神戸に帰ってから1か月とちょっとの期間、会社に籍はあったけれどコロナで休業していたこともあって、ほぼ無職だった。
いや、正確には、コロナの影響で無職だったのではなくて、わたしの気持ち的に働けなかったし働かなかった。
無職の期間は、料理をしたり、ピアスをつくったり、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、読書したり、考えたり、泣いたり、そんな毎日だった。
コロナのざわざわ、人と会えないこと、無職という立場、色んなことが重なって、ただひたすらに孤独を感じる日々だった。

籍を置いたままだった会社は、5月頭に退職した。
このまま籍を置いてても迷惑になると思ったし、何より、いつかまたお店に立ち接客する自分を想像できなかった。
ずっとファンで、憧れていて、大好きだったお店。
そして今でもやっぱり大好きなお店。
そのお店との繋がりを、こんな形で断ってしまった自分が悲しいし情けない申し訳ない。
だけど、これからもまたひとりの客として大ファンでいたいし、自ずとそうなるだろうと思っている。

ご縁が重なって、ゴールデンウィーク明けからは別の会社で働き始めた。
社会人2年目にして、4社目(出向も含めたら5社目)の職場となることに、履歴書を書きながら自分でもちょっと引いた。
オフィスは東京にあるのだけれど、完全にテレワークで今は神戸から働いている。
テレワークだから会社の人に会ったことはないけれど、みなさん優しいし、はじめての業種かつ分野だから日々学びも多く、わくわくしながら働いている。
そして何より、会社の目指す世界に心から共感しているから、その世界をつくっていくほんの一部を担わせてもらえていることが嬉しい。
ご縁を紡いでくれたお友達と、こんなわたしを働かせてくれた会社には、本当に感謝してもしきれないなぁと思っている。
だから、わたしにできる仕事はもちろん何でも懸命にするし、積極的に会社に貢献していきたい。

5月の中頃、数日間だけ東京に戻った。
必要そうなものは16箱の段ボールに詰め、不要なものは回収業者に買い取ってもらい、東京の家を引き払った。
こんな形で東京暮らしが幕を閉じると思ってなくて、なんだか自分自身がこの展開についていけず、夜にひとりで号泣した。
1年間というあっという間の期間だったけれど、喜怒哀楽いろんな思いを巡った1年間だったから、こうして慌ただしくここでの暮らしを終えてしまうことが、東京でお世話になった方々に対しても、過去の自分に対しても、なんだか申し訳なかった。

そして先日、自転車をとばして区役所に行き、転入届を出してきた。
3年ぶりに神戸市民になった。
書類を記入していると、窓口の職員さんに「阪神淡路大震災の日に生まれたのですね」と言われた。
なんだかその言葉から神戸を感じて、本当に帰ってきたのだなぁと思った。

この数か月だけをとっても、また、社会人になってからの1年ちょっとの期間をとっても、自分がこういう人生を歩むとは全く思っていなかった。
だから、人生はなにが起きるか分からないと思っていた。
だけど、人生はなにが起きるか分からないという言葉からは、自分の人生の手綱を、自分で持っていない感じがしてしまう。
その感じがわたしは好きじゃないし、せめてまず自分の人生ぐらいには責任を持ちたいし、これからは、人生なにが起きるか分からないとは言わないことにしよう、と密かに決めた。
仕事を辞めたことも、仕事を始めたことも、東京を離れたことも、神戸に帰ってきたことも、最終的には自分で決めているのだから、ひとつひとつの出来事を起こしてきたのは自分だなぁと思う。
もちろん、ご縁やきっかけといった恵みがあったということ、突拍子のない行動のせいで迷惑もかけているということも忘れたりはしないけれど。
未来のわたしがなにを起こすのか見えない部分も多いものの、それはなにを起こすか分からないのであって、なにが起きるか分からないのではないように思う。
それに、自分がなにを起こしたいのかは絶えず考え続けなければと思うし、考え続けたいなぁとも思う。

◎山と海の街、神戸

3年ぶりに神戸市民になった今、わたしはこの神戸の街になにを思うのだろう。
わたしはずっと神戸の街が好きだった。
それに、神戸の街を好きと言う神戸市民は多い気がする。
実際わたしの周りには、神戸の街が好きだという同級生が少なくない。

神戸の魅力が語られる時、「山と海がある」というフレーズがよく使われる。
わたしも、山もあって海もある、そんな神戸が素敵だと思ってきた。

もう7年前ぐらいになるのだけれど、石巻の十三浜に行った時、初めて、山と海はつながっていることを知った。
山の恵みが海の恵みとなると聞いた時や、海を豊かにするために山の手入れをする漁師さんがいると聞いた時は、とても驚いたし鳥肌がたった。
川や水脈や大地を通じて、山の恵みが海におちて海の恵みになるというごく自然な流れに、なんだかわたしはときめいた。

先日、久しぶりに神戸駅から三ノ宮駅に向かってぶらぶらと歩いた。
左手には山が見え、右手には海が見え、やはり神戸は山と海がある街だなぁと思った。
三宮駅に着いた時、三宮の本当に中心部に新しい建物が建設されているのが見えた。
三宮駅の周りは、いま絶賛開発中で、神戸がどんな街に変化するかについてのポスターや説明書きもたくさん掲示してあった。

三ノ宮駅周辺の開発について思いを馳せながら、ふと「山と海の街、神戸」という言葉を思い出した。
わたしは、「山と海の街」である神戸で育ってきながらも、山と海のつながりを感じずに、知らずに、育ってきたことに気づいた。
わたしの経験不足・感性不足も大きな理由だと思う。
でも、石巻では直感的に分かった山と海のつながりを、25年間神戸で生きてきながら、神戸では感じられなかったことは紛れもない事実だと思った。

神戸にあるのは「山と海」ではなく、「山」と「海」なのではないかと思う。
建設中の建物に象徴されてしまうように、神戸の山と海は分断されているように感じて、切り離された山と海は、果たして何なのだろうと不思議な気持ちになった。
石巻の「山と海」と神戸の「山と海」は、どちらも山と海なのだけれど、全く異なるもののように思えた。

なんだか勝手に、わたしを育ててくれた街、大好きな街である神戸にがっかりしちゃったのだけれど、でもこれはきっと、わたしが、まだまだ神戸の一部しか知らないからなのだと思う。
そう信じたい。
いつまで神戸にいるかは分からないから、有限であるこの期間中に、わたしが知らない素敵な神戸を、たくさん知っていきたい。
きっと神戸でも、山と海のつながりを感じられるはずだから、まずはそこから知って感じていきたいなぁ。


写真:5月31日 @三宮駅
三宮駅の中心に新しいビルが建設されていく様子。


(おわり)

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