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コロナで思うこと5 「アート」

◎アートが持つ力

アートは、心と暮らしを豊かにしてくれるものだなぁと思う。
また、真っ暗闇の中の小さなあかりとなる力が、アートにはあるように思う。
アートについて、何か勉強してきたことがあった訳ではないけれど、子どもの頃はピアノを習ったり、お絵かきに没頭したり、大学生の頃はアクセサリーをつくったりしていて、音楽や創作に触れる機会はたくさんあった。
東京に暮らしていた1年間は美術館にはまって、いくつかの企画展にも足を運んだ。
ピアノを弾いたり、お絵かきをしたり、アクセサリーをつくったりする時間はとても幸せだし、美術館からの帰り道は、本当に景色がときめいて見えた。
また、民藝の話を聞いてからは、暮らしの中に溶け込むアートにも興味を持つようになったし、気を留められることがないぐらいに当たり前としてそこに存在し、暮らしを豊かにし、つられて心も豊かにするものが本当のアートなのかもしれないと思うようになった。

コロナとの共生時代が始まってから、アートについて考えることが増えた。
それはきっと、コロナ の影響でライブやコンサートや個展は軒並み中止となっているのだけれど、コロナとの共生時代には、この時代に合った形のアートがどんどん生まれていて、本物のアートは形を変えて残っていくのだということを、目の当たりにしている気持ちになるからだと思う。
また、家にずっといて、自分と向き合う時間が長い分だけ、感性が研がれ、今までなら見過ごしていた小さな心の震えにも気づくことができるからだと思う。

星野源の「うちで踊ろう」を見た?聴いた?時には、もう本当に、とてもとても感動した。
ひとつの楽曲を様々な形で色んな人が表現していて、見て聴いてとてもテンションが上がった。
すごく偉そうな言い方になってしまうけれど、形を変えながらも、人々の心にあかりをもたらすことはぶれていないその様を、アートの真髄のように感じた。
わたしもついつい「うちで踊ろう」をピアノで練習したり、友達と合わせたりもして、それはとても楽しいひとときだった。

ロックダウン中のインドから、イブラヒム、ラヒーム、カリームの絵が送られてきた時も心が震えた。
ロックダウンでイブラヒムが少し気落ちしている様に感じられたので、気落ちしている時こそ楽しいことを!と思い、彼らが絵を描く気持ちになるかは分からなかったけれど、絵を描いてほしいとお願いした。
その数日後に届いた3枚の絵には、3人のメッセージ、感情、言葉にならない思い、感性、色んなものが詰まっていると思って、写真越しにでも彼らの絵が持つエネルギーが伝わってきて、それは確かにアートだと感じた。

昨日はピアノの先生から、高嶋ちさ子の動画が送られてきた。
急すぎて最初は思わず「え?」と思ったけれど、バイオリンをはじめとする色んな楽器が登場して、ZARDの「負けないで」を合奏しているその動画からあふれるエネルギーは凄まじかった。
上手な演奏ももちろん感動したのだけれど、演奏者ひとりひとりの思いが音にのって伝わってくる感じもたまらなかった。
なんだかとても楽しくて、勇気づけられて、この動画を通じてもアートの持つ力に触れた気がした。

命を守ること(死なないこと)はとても大切だけれど、同時に、心を死なさないこともとても大切だと思っている。
心と暮らしを豊かにしてくれて、また、真っ暗闇の中の小さなあかりとなり、心をほぐして生き返らせてくれるアートは、少なくともわたしにとっては、自らの心を殺さないためにとても大切なものと感じている。
目に見えなくて実用的ではないアートは、真っ先に切り捨てられるものなのかもしれなくて、それはとても悲しい気もする。
でも、切り捨てられて終わってしまうほど、守らなければならないほど、アートは脆くはないとわたしは信じている。
ソーシャルディスタンスが普通な日常が始まっている今、物理的には離れていながらも個と個の心が繋がりつくり出されるアートに、わたしはとてもわくわくしている。

◎ピアスづくり

神戸に帰ってきてから、アクセサリーづくり(ピアスづくり)を再開した。
ときどきつくってはいたけれど、ほぼ毎日つくって、頭の片隅でいつもアクセサリーのことを考えている日々は久しぶりだなぁと思う。
つくったピアスは、#chiffonier_challengeとして2日に1回インスタに投稿している。
また、毎回のピアスにはテーマをもうけていて、そのテーマはストーリーで募集をしている。
「こんなご時世に、なに呑気にピアスつくってるの」って思われるかもしれないけれど、それなりの思いを持ってピアスをつくり、インスタに投稿しているつもりではある。
神戸に帰ってきたのを機にピアスをつくり発信しようと思ったのには、3つの理由がある。

1つ目は、自分の心が気圧されることを防ぐためだった。
コロナの未知性、社会や経済の混乱、1年後はもちろん1週間後も見えない不安、この社会がどうなっていくのかも分からないし、自分自身もどうなっていくのか分からない。
そんな中で、なんとか自分の心を保つための方法のひとつが、実際に手を動かすことだった。
アクセサリーをつくっている時は、目の前のアクセサリーをつくることに没頭できる。
今自分が抱えているいろんな気持ちを、目の前のアクセサリーにそっと託すことができる。
そのひとときはとても真剣で、幸せを感じることができる。
現実逃避なのかもしれないけれど、わたしには現実逃避も必要だった。

2つ目は、ゆるくあたたかいつながりを持つためだった。
物理的には限られた人としか接することがない今、会うことができない友達と繋がりたかった。
幸い、わたしのアクセサリーをかわいいと言ってくれる友達がいて、ピアスの投稿を楽しみにしてくれている友達がいる。
ピアスの投稿をきっかけに、ゆるく、あたたかく、やさしい気持ちで、友達と繋がりたかった。
Zoomのように画面越しに顔を合わせる繋がり方あるならば、ひとつのピアスの投稿を通じて、そのピアスと投稿に込めたわたしの思いを、投稿を見た人が自由に受け取るような繋がり方もあっても良いなぁと思った。
また、ピアスのテーマの募集には思ったよりもたくさんの友達がコメントしてくれて、しかも普段連絡を取らない友達からもコメントが来たりして、そのささやかなコミュニケーションは心強くて嬉しかった。

3つ目は、なんとかして、わたしにもできることが欲しかったからだろう。
この不安ばかりの日々の中、もしかしたらわたしのピアスの投稿が、かわいい!と心をきゅんとさせるひとときをもたらすかもしれない、少しばかりの明るさをお届けできるかもしれない、という淡い期待を持ちたかった。
わたしも、ハンドメイドのピアスというひとつの小さなアートをつくり出したかったのだと思う。
まずは自分ができることをしていきたくて、そのはじめの第一歩だったのだと思う。

誰にどんな風に届いているのかは分からないし、実は結局どこまでいっても自己満なのだけれど、先が見えない中で「続けていくこと」が大切だと信じている。
また、まだ3週間ほどだけれど、ハンドメイドのピアスというひとつの小さなアートから、思いが伝わったり、かわいいが伝播したり、ネットを通じた多様な有機的な繋がりが紡がれたりするのは、面白くてあったかくて心地良いなぁ、好きだなぁと思っている。
わたし自身も、誰かと心を繋げてアートをつくり出していけたなら、それはとても幸せなことだなぁと思う。


写真:2020年3月28日 @実家
コロナを機につくり始めたピアス。1番最初のもの。


(おわり)

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