ホワイトデーのビターなトラウマ

 小学生の頃、バレンタインデーというイベントがあることを初めて知った時、僕はとてもワクワクした気持ちになった。果たして自分はチョコを貰えるのだろうか。僕が気になっているあの子は誰にチョコをあげるのだろうか。しかし、そんな思いは担任の先生による「明日はバレンタインデーですがチョコは持ってこないように」という発言によって溶けて消えてしまった。

 中学生になり吹奏楽部に所属していた僕は、人生で初めてバレンタインデーにチョコを貰った。しかも9個だ。もちろん全て部員から貰った義理チョコになるのだが、義理だろうがなんだろうが嬉しいものは嬉しい。いかにも"初めてチョコ貰いました"みたいな顔で、僕はチョコを持って帰ったのだ。
 それから1ヶ月後、ホワイトデー前日になってから初めて「ホワイトデーにはバレンタインのお返しをする」という文化を耳にした。さらに、自分以外の吹奏楽部男子は何かしらお返しのお菓子を作っているらしい事を訊いた僕は、焦って家を飛び出した。とりあえず市販のチョコを買おうとしたのだ。当時の僕に"自分で作る"なんて選択肢は無かった。作ろうしても完成するのはダークマターみたいな"黒い何か"になってしまうことを確信していたからである。
 夜な夜なコンビニで市販の板チョコを9枚買った中学生は、翌日それを部員にお返しとして渡した。当然ラッピングなども無いただの板を受け取った女子たちは「おぉ〜…?あっ、ありがとう(笑)」といった反応を見せてくれた。僕からしてみればこれは「なんじゃこりゃ」と言われているのとほぼ同じである。溶けることの無い苦い敗北感を味わったまま、僕は『ハハハ…』と乾いた笑いをすることしかできなかった。

 1年後、後輩もできた僕の所には去年の倍以上の義理チョコが届いた。まるでめちゃくちゃモテているかのような量。流石にニヤニヤを禁じ得なかった。そして、去年のようにはなるまいとホワイトデーの準備に取り掛かった。
 去年の反省を活かし、何か自分でお菓子を作ることにした…のだが、突然自力で作れるわけもなく、母親に手伝ってもらいながら"マーブルケーキ"を作ることにした。
 お菓子作り自体経験が無く、内心ワクワクしながら作業をしていた。それを見た母親も嬉しかったのか、どこかいつもよりも高めのテンションで手伝ってくれていた気がした。
 最終的に6〜7割は母親の手によるものではあるが、大体20人分のマーブルケーキをなんとか完成させた。余りを少し食べてみたが美味しかった。これならみんなも喜んでくれるはず。そう確信していた。

 ホワイトデー当日、昼休みの時間にみんなにケーキを渡して回った。正直、20人以上ともなると誰に貰ったのか曖昧になっていたので、恐らく僕にチョコをあげてない人もケーキを貰っていたと思う。
 これまた母親に手伝ってもらいながらも一つずつ綺麗なラッピングをした物を渡していたので、あげた女子からはとても高評価だった。そりゃそうだ、去年はただの板チョコを渡してきたやつだったのに、1年後にはそれが綺麗なラッピングで包まれたマーブルケーキに変貌しているのだから。

 僕は勝ちを確信した。
 今年のホワイトデー、確実に僕が"獲った"。周りを見る限りここまで凝ったお返しをしているやつなど居ない。そもそも20個もチョコを貰えたやつがほぼいないからだ。これで去年からの飛躍込みで考えても僕の評価は爆上げ、うなぎ登りよ。
 配っていくうちに1人の女子が「いま食べても良い?」と訊いてきたので、『いいよ〜感想聞かせてくれ』と答えた。美味いぞ〜それ。昨日食ったけどめちゃくちゃ美味しかったんだから。さぁ…どうだ?!と僕は期待でいっぱいになっていた。
 すると、ケーキを一口食べた女子は半笑いで「う〜ん、味噌蒸しパン?(笑)」と呟いた。ん?なんだそれ。そんな食いもんは無いぞ。ん??このケーキのこと言ってるのか。いや、えっ、ん???
 こいつが何を言っているのか、僕が何を考えようとしているのかが2つ同時にわからなくなった。なに、"味噌蒸しパン"って。知らないんだけどそんな食べ物、あるの?ねぇ、その食べ物は存在するの?

 そんな中、教室に僕と同じ吹奏楽部の男子2人が入ってきた。この2人も僕と同じく大量の義理チョコを貰っており、それぞれホワイトデーのお返しを作ってきたらしい。
 2人がそれぞれ作ってきたのは"チョコプリン"と"ガトーショコラ"だった。それをみた女子達は、とりあえずこの味噌蒸しパンよりもチョコプリンとガトーショコラが優先だ!と言わんばかりに、綺麗にラッピングされた味噌蒸しパンを置いてお返しを貰いに行った。
 どちらも味の評判は良く、ラッピングも綺麗にされてあった。完全敗北である。こんなにもわかりやすい負けがあるとは。人生には負けて初めて学びになる事もあるらしい。

 あれから6年ほど経ち、改めて"味噌蒸しパン"という食べ物をネットで検索してみた。すると、味噌蒸しパンのレシピがいくつか出てきた。味噌蒸しパンは、あの女子の心の中にだけ存在するお菓子というわけでは無いらしい。トホホ。

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