"生きてるんだから"の重さ
いつもと何も変わらずにTwitterを見ていたら、ある1人の学生のインタビューの記事を見つけた。
僕と歳が同じで、東北に住んでいる専門学生の方らしい。『震災で両親を亡くした』と言っていたその表情は、どこか楽しそうでも苦しそうでも無いように見えた。
10年前の事は正直そんなに覚えていない。
小学校の帰りの会の真っ最中で、強い揺れに驚きながらも机の下に身を潜めていた。その後に姉と下校した。家のテーブルにたまたま立ててあったリップクリームが倒れていないのを見て、姉弟で騒いでいた。それぐらいにはまだ子供だった。
ただ、その後ニュースで東北の映像を見た時の衝撃は今でも覚えている。
"まるで映画か何かのよう"とは、まさにこの事だった。これがたった今日本で起きている事なのが信じられなかった、津波はこんなにも簡単に全てを持っていってしまうのかと。
同時に、「自分は"たまたま生き残っただけ"なんだ」とも感じた。自分と亡くなられた方とは何ら変わりは無くて、ただその場に居たか居なかったかで、どちらも等しく"1"で。
風化させてはいけない、忘れてはいけないとは言いつつも、ずっと想い続けてしまうと一生前に進めなくなってしまう気がして。
だからこの"3.11"という節目に、絶対にこの日だけは想い、また前を向こうと考えて10年が経ったのは、早すぎてちょっと信じられない。
続けてインタビューに答える学生の方は『生きてるんだから楽しまなきゃ』と言っていた。これを僕が考えるんじゃあ軽過ぎると思った、自分なんかではわかってるようでわかってなくて、この方とでは重さが違って。それでも、そうだよな、そりゃそうだよなと思った。心の中に刻みつけた。
まだ震災は終わってなくて、これからもずっとまだ終わらなくて、その上でもう10年、100年と生き続けるんだと思います。
この気持ちは、心の中には絶対に置いておかなければいけない。だって、生きてるんだから。
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