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なぜ決められたものになりたがり、そしてまだなれていないと思うのか?自称で肩書きを作った僕が思うこと

よく、「リッキーって何になりたいの?」的なことを言われる。主に会社で。

言いたくなる気持ちも分からないでもない。サメが好きで水族館やサメイベントに通い、サメの首を除肉して顎の標本を作り、生き物の動画や自分が語る様子をYoutube で流すサラリーマン。サメだけ好きかと思えば「ウナギを食いすぎるな」とか「カワウソはペットじゃない」とか言い出し、最近なら「カラスって面白い!」と言う始末。よく捉えればアクティブでフットワークが軽い、悪く捉えれば鵺のような化け物か、全部中途半端人間だ。

ただ、「結局どうなりたいの?」と聞いてくる人に言いたいことがある。

僕はすでに「サメ社会学者」という自分で決めたなりたいものになっている。

無論、「自称」なので、誰の許可も承認もお墨付きももらっていない。でも、だから何だってんだ。

会社員が学問やって何が悪い?研究室出なきゃサメの発信しちゃダメって誰が決めた?そもそも何で自分の存在を既存の職業で規定されなきゃいけない?イエス・キリストは「救世主」って職についてたか?(無神論者の僕がこれを言うのは皮肉だけど笑)

大統領とか特定の上場企業の社長とか、ある程度なるのに時間がかかって自分だけじゃどうにもできない制約が多いものを目指すなら、僕が言うことは当てはまらないかもしれない。でも、僕はなりたいものが既存の職業にないっぽいし、そもそも着地点が分からなくて実践の中で決めていきたかったこともあり、研究室とか学会とか入る前にとにかくまずやれることやろう、って考えた。だから勝手に肩書を自称して勝手にやりたいことをやってきた。なりたいものを自分で作って、なってやったわけ。

サメ社会学者がやることはサメを中心テーマにして自然と人間の関りについて考えて発信していくこと。だから僕はそれをやっている。サメだけが全てじゃないし、結果サメ関連で活かせることもあるので他の動物についても学ぶ。何より僕が「面白い」とか「大事だ」だと思ったらやる。ただそれだけ。

「なりたい」より「なる」と言う人が夢を実現するなんて言うし、実際そうかもしれないから否定しないけど、「自分はもうなってる」と思って活動するのも楽しいし、ある意味最短で夢実現してる。『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウも、船はおろかクルーさえいない時も「キャプテン・ジャック・スパロウ」って名乗ってたでしょ?

僕の生き方がベストだとは言わない。僕だって、力不足を理由に大学院とか専門学校とか、一時的に既存のレールに乗ることも選択肢に入れてはいる。でも、自己啓発本やあるある話の将来像に縛られてモヤモヤしている人は、ちょっと考えてみてほしい。

そのなりたいもの、自分で勝手に宣言して今すぐなってみない?、と。

※写真はアカシュモクザメ。変な形に見える頭も、彼らなりの進化の証です。