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学問と「問いに学ばされ続ける」わたしたち

こんばんは、シェアスタッフのひらっちです。日本が赤道に近づいているんじゃないかと疑うぐらいには連日酷暑が続いてますが、なんとか元気にやっています。

さてさて、ゆうすけに続き、第2弾として「学問の社会的意義」を考えてみます。

学問をするということ

Study Talk Vol.0で、学問は「問い」がキーワードになっている、というお話がありました(25分10秒あたりから)。個人的には全くその通りだと思います。さらに言えば、学問は「人間が自分たちの知的領域を押し拡げた所産」とも言えるのではないでしょうか。

では、「学問をする」とは何なのか。学問は少なくとも人間の知的生産活動の所産であるはずです。正面から論じるのは難しいですが、僕は「問いに学ばされ続ける」状態が、学問を「する」ときの十分条件となっていると思います。学問を「する」という能動的な言葉の裏には、問いに「学ばされてる」という状態が一体となっているとも思うのです。

人と学問を表す図として、僕はいつも学問分野ごとの特色がグラデーションとしてあらわれた円環と、その内側に個々人のもやもやした思いが渦巻く円のゾーン、という図を思い浮かべます。ここでいうもやもやした思いとは、各学問分野の研究上の問い・問題意識ではなく、もっと根本的に自身の中から発せられる、言語化できるとは限らないもやもやです。学問分野としての哲学に近しいかもしれませんが、これを便宜上「〈問い〉」と表記することにします。

学問をするには、円環の外側から円環に入る動きと問いの円から外向きに円環に入る動きの2通りがあります。「〈問い〉から始める」か否かです。どちらの入り方が良いとか悪いとか、そういった議論は置いておきますが、重要だと思うのは学問をすることで自身の〈問い〉を把握する可能性が生まれるということです。

よく、大学と高校までとの違いとして挙げられるのが研究と勉強の違いですが、研究は必ず問題意識に基づいて行われるのに対し、勉強は既知のものを知る(=必ずしも個人的な問題意識を必要としない)、という違いがあります。研究に似たことを大学に入る前からよくやってきた学生は、〈問い〉を感じ、それにこたえようとするという「円→円環」の動きにも慣れているかもしれません。他方で、「どこか(外側)→円環」の動きで初めて学問に触れる学生もいます。学問に触れることで自分が前提としていた認識に気づかされ、前提を崩され、自分の〈問い〉の存在を把握することにつながります。

自分の〈問い〉は実際の過去の印象的な経験によって作られていくこともあります。しかし、その存在に実際に気づくのは、学問することによってであると思います。スタートの違いこそあれ、この場合両者とも自身の〈問い〉に一段階近づいた、「円」に近い「円環」にいることができる、といったイメージです。

「学び直し」をささえる〈問い〉

ここ数年、日本政府は「人生100年時代」の到来を見据え、リカレント教育の推進を目指しています。リカレント教育とは、生涯学習の達成のための一戦略であり、大学を卒業し働き始めた後も、本人が望めばいつでも学ぶことができる教育システムの提供などとして語られます。

これらリカレント教育政策のねらいには、教育プログラムを受講した個人の職業能力の向上によるキャリアアップなどが含まれますが、現状として「仕事・子育てが忙しすぎて学び直しができない」といった課題があるようです。これらの課題に対してはもちろん、個々人が学びやすい環境を提供・享受できるよう必要な施策が取られるべきだと思います。

しかし、もっと大事だと思うのは個々人の学び直しに対する考え方です。大学卒業後は、個々が自分自身の費用と判断と意思で学び直しを行います。しかし現状は、仕事・子育てにかける費用・時間、娯楽にかける費用・時間などと競合するある種ひとつの「商品」として、大人の学習がこれらと競合しているのではないでしょうか。先に述べたように、もちろん外部から介入してより学びやすい環境を目指すことはできますが、ある人にとって学習の優先順位が他に比べ低いのであれば、それは個々人が働き方や暮らし方、ないしは自身の「生き方」をどのように捉えるべきなのか、という〈問い〉のひとつにも繋がるように思います。キャリアアップのための学び直しといっても、そもそもこれ以上キャリアアップしなくても別に良い、といった人もいるでしょう。

学び直しを行うためには、結局のところ個々人が自身の生き方など、〈問い〉に向き合うことを必要とすると思うのです。デンマークには、フォルケホイスコーレという成人の学校があります。試験や成績、評価、卒業証書、資格認定もなく、純粋に一つのテーマで議論するということが行われます。これは、「〈問い〉に学ばされ続ける」≒「学問をする」ことをそのまま表現しているのではないでしょうか。

学問の社会的意義

一生涯に渡り学び続けることを求められるこれからの社会で、個々人を学びに向かわせるのは即物的、即効性な目標ではなく、一見直接的には役に立たなそうなこともする「学問」とそれを導く〈問い〉ではないでしょうか。無論、学問も様々に分類でき一般的に語ることは難しいですが、問い(〈問い〉)に向かわせ続けるものとして、私は学問を捉えています。

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—あそび、ゆらぎ、むすぶ。—
Share Study β 大平 拓実
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